02 プログレ一般

2010年6月 9日 (水)

DARRYL WAY'S WOLF / Saturation Point

Saturasion_point


 ウルフは1973年、カーブド・エアからヴァイオリンをもっと弾きたくて脱退したダリル・ウェイによって結成されたインストバンドである(ヴォーカルが入っている曲がないことないのだが…)。メンバーはギターにジョン・エサーリッジ、ドラムがイアン・モズレー、ベースにデク・メセカーという布陣で、当時は全くの無名なミュージシャン達だったが、ウルフ解散後にそれぞれソフト・マシーン、トレース、キャラバンといったバンドを加入するのだから、実力的には指折りの面々であった。
 アルバムは3枚ほど残したが、やや方法論として行き詰まった感のある3作目「Night Music」はともかくとしても、残りの2枚については、ヴァイオリンをフィーチャーしたロック・アルバム…、否、非ジャズ系のインスト・プログレの傑作といってもいい仕上がりだったと思う。

 さて、本作だが1974年に発表された第2作である。1作目の「Canis Lupus」はプロデューサーにキング・クリムゾンのイアン・マクドナルドを招聘して、全体としてはリリカルな叙情性と暴力性が奇妙に交錯する作品だったが、本作はよりメンバーの音楽嗜好をビビッドに反映させ、クラシカルセンス、ジャズ的なセンス、そしてテクニック至上主義のようなものが曲毎に明らかになったところに特徴があった。
 それは「The Ache」「Saturation Point」「Toy Symphony」という3つの曲に結実されているといっていいだろう。「The Ache」では、ヴァイオリンとギターの執拗なユニゾンといい、その間隙をぬうように現れる短いソロのテクニカルさといい、このバンドの技術的な水準の高さを見せつけるような曲になっているし、「Saturation Point」ではジョン・エサーリッジがフィーチャーされたソフト・マシーンやブランドXを思い起こさせるジャズ・ロック、叙情性と激しいテンションが一体となって文字通り「ちいさなシンフォニー」を形成している「Toy Symphony」のクラシカル・センス....といった具合である。

 ついでにいえば、本作はこの3曲の傑作に加え、いまひとつの名曲「Slow Rag」がある。日本人好みのメランコリックな旋律に、アコギとヴァイオリンの洗練されたインタープレイを織り込んだ、本作でも一際忘れがたい曲になっている。今ではあまり忘れられてきているが、この曲はたかみひろし氏の強烈な愛好振りによって、日本版のウルフのベスト盤に収録され、少なくとも日本においては「ウルフの不動の名曲」になったものだ。
 という訳で、この4曲でもって本作は、アルバム自体が傑作と呼ぶに相応しい佇まいを持つに至ったと思う。前作の「悲しみのマクドナルド」に匹敵する名曲が本作にはない…という指摘は当時からあったけれど、その点は認めつつも、トータルな意味では本作の方が上回っているのではないか、少なくとも私はこちらのアルバムの方をかれこれ30年以上愛好しているのだか....。

2010年4月25日 (日)

CAPABILITY BROWN / Voice

Capabilitybrown

 これ20年振りくらいに聴くんじゃないのかな。キャパビリティ・ブラウンは、私くらい世代のプログレファンにはなかなか忘れられないバンドである。それともいうのも、このアルバムは日本で発売された1977年といえば、ELP、ピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾンといったメジャーなプログレ・バンド以外のアルバムが大量に紹介されていた時期であり、このアルバムもフォノグラムから出たプロフェッショナル・コレクションの第一弾として発売されたように記憶している。
 記憶によれば、これと同時に発売されたアルバムは、ベガーズ・オペラの「宇宙の探訪者」やオルメの「フェローナとソローナ」、そして「ジェネシス・ライブ」といったものだったはずで、今から考えてもかなり渋い選定である(当時のジェネシスはそれほどメジャーではなかった)。まぁ、ジェネシスやオルメはともかとしても、ベガーズ・オペラとこのキャパビリティ・ブラウンについては、そのバンド名すら初めて聞くという全くの無名なバンドであった。しかも内容はガチなプログレというよりは、B級なブリティッシュ・ロックに分類されるべきアルバムだったのである。

 それでも、ベガーズ・オペラの「宇宙の探訪者」はまだ「マッカーサー・パーク」というとんでもないプログレ名曲をフィーチャーしていたからまだ良かったが、このキャパビリティ・ブラウンは、基本的にトリプル・ギター、ベース、ドラムス、ボーカルという6人編成でメンバーに多数はボーカル兼任という、一瞬フォーク系と思わせるコーラス・バンドであり、プログレというにはあまりに家内手工業的、フォークやトラッドというにはコーラスがやたらとテクニカル過ぎる、なおかつオーソドックスなロック・バンドというにはあまりに手が込んでいるという、分類好きにとっては落としどころがないボーダレスな音楽を展開していたのだ。
 それでもA面の4曲はまだオーソドックスであった。1曲目はアフィニティの同名アルバムから、そして3曲目の「Midnight Cruiser」は意外にもスティーリーダンのデビュー・アルバムのカバーであり、前者はオリジナルより「軽く」アレンジし、後者は逆に「重厚に」アレンジしているが、いずれも分厚いコーラスをフィーチャーした比較的スタンダードなブリティッシュ・ロックであり、2曲目はテンポの良いフォーク・ロック風、4曲目は典型的なブリティッシュ・ハードといった感じバラエティは感じさせるものの、同様な趣きを感じさせる音楽であった。

 ところが、様相が一変するのがB面の組曲なのである。キャパビリティ・ブラウンは専用のキーボード奏者がいないバンドのようだったが、冒頭からシンセ、チェンバロ、ピアノによるクラシカルでシンフォニックなムードで堂々の序奏部をつくり、次第に楽器を厚くしながらそのピークでギターが哀愁の旋律を泣きまくるという、もうプログレとしかいいようがない展開になるのだ。この第一部が一段落すると、今度は分厚くテクニカルなコーラスがアカペラが展開されると、リズムが加わりオーソドックスなフォーク・ロック風な音楽となるが、途中にトラッドなどに寄り道しつつ、流れるように展開していく構成はジェネシスの「サパーズレディ」を思わせる巧緻さがあり、まさにプログレ的醍醐味を味わせる。
 中盤はいったん静まり、やはりコーラスをフィーチャーしつつ、ファンタスティックな音楽な展開していくが、途中、メロトロンの大洪水!を挟んで、フォーク・ロック的なオーソドックスなスタイルでしばらく進み盛り上がると、再び一転してハードなスタイルにチェンジ、途中、ジャジーなムードなどにも色目を使いつつ、ドラマチックなハイライトを形成し、やがて冒頭のテーマが回帰していく。素晴らしい構成力としかいいようがない

 そんな訳で、このアルバムB面の異様なまでのプログレ風味は一体なんだったのだろうか。おそらくこのバンドはいわゆるプログレ・バンドではなかっただろう。1973年という時代の趨勢からして、器用なバンドがたまたま当時のトレンドだったプログレ風なスタイルに挑戦しただけ....といった見方も出来ると思うが、それにしてはこの組曲を聴いていると、GG、マイク・オールドフィールド、ジェネシス、M&Gといったバンドが走馬燈のように頭をよぎったりして、そのコアっぷりはちと出来過ぎなような気がする。
 ともあれ、当時これを聴いてやけに興奮した私は、イギリスには未だこんな凄いアルバムが、きっと沢山埋もれているのだろうと、金の鉱脈でも見つけたような気分になったものだった。もう30年以上も前の話である。

2010年4月16日 (金)

SECRET GREEN / To Wake The King

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 一般的にエニドの全盛期といえば、やはりデビュー作から第4作目ということになると思う。もちろんその後も「ザ・スペル」とか「ホワイト・ゴッデス」といった傑作と呼べるアルバムも少なからず発表はしているのだけれど、それらの作品に対して「何かが足りない」と思ってしまうのも確かなのである。では、第4作目以降のエニドが失ってしまったものとは何か?。もちろん、いろいろな考え方があるとは思うが、その大きなものはやはりフランシス・リカーリッシュなのではないだろうか。彼が初期のエニドで何をやっていたのか、実はよくわからないところもあるのだが、ある種の退廃的で耽美的な文学性だとか、マーラーからほとんど引用といいたいような影響(これはゴドフリーにもあるが)、謎解きのような仕掛け、そしてある種のコンセプチュアルやムード的な部分(第1作の「最後の審判」、第2作の裏ジャケに掲載された詩)といったものは、実はリカーリッシュに負うところが大きかったではないかと、私は思ったりしているのだ。

 さて、このアルバムはそんなリカーリッシュがリーダーとなって結成されたシークレット・グリーンのアルバムである。この30年の間、彼が何をやっていたのか私は全く知らないし、どうして今頃になってこんなバンドを結成したのかも良く分からないが、とにかく本作は初期のエニドのコンセプトをある意味継承する形で作られた音楽になっている。バンドはリカーリッシュの他、元エニドのウィルアム・ギルモア(key)、ヒラリー・パーマー(Vo)の3人にギターとドラムを加えた5人組で、ゲストにこれまた元エニドのデビッド・ストーリー(ds)や、なんとロバート・ジョン・ゴドフリーその人の名前まで見えるからおもしろい。音楽的には、もちろんゴドフリーが居ないのだから、エニドのサウンドとは微妙に違うが、本家と同様に疑似管弦楽をベースにしたクラシカル・ロックで、随所に全盛期のエニドに近いあの香りが感じられるのはなんともうれしいところだ。また、女性ボーカルをフィーチャーし、全体的に中世風な香りが強いところはエニドにはあまりない部分である。

 アルバムはワーグナーの「ラインの黄金」の序奏部のような雄大な幕開けで始まり、マーラーの交響曲第3番の第4楽章の引用、「死の舞踏」、またエニド時代の楽曲も多数引用しているあたりは、非常にエニド的な部分であり、ロック・ビートにのってうねるようなギターで繰り出されるフレーズは全くもってエニド的なものである。ただし、疑似管弦楽の編曲はエニドとは違っていて、金管や木管系がシミュレートが重視され、ストリングス系はエニドほど執拗な感じはなくあっさりしている感じだ。また、トラッドな女性ボーカルを随所にフィーチャーして中世風に典雅な趣きに接近するところが多数あるが、これはおそらくリカーリッシュがエニドでやり損ねたところだったと思う。
 そんな訳で全体としては、女性Voが入った「アルビオン・フェアー」って感じだろうか。リカーリッシュも歳をとったせいなのか、聴く前に期待したようなかつての耽美さ、退廃美といったものはそれほどでもなく、この点では少々肩すかしだった。ひょっとするこうした部分は、やはりゴドフリーのセンスだったのかもしれないな....などと今になって思い直したりもしているのだが。

2010年4月 7日 (水)

STEVE HACKETT / Darktown

Darktown


 スティーブ・ハケットもほぼ10年分未聴アルバムを溜めてしまった。彼の場合、ジェネシス・トリビュート・アルバム、来日、そしてEMIから出たクラシカルな「真夏の夜の夢」、そして本作あたりまではなんとか追いかけたが、その後、ライブ音源を大量に発掘したから縁遠くなってしまったような気がする。今、彼のウェッブサイトで調べてみたのだが、その間に出たアルバムは、持っているものもあれば、存在自体を知らないものまで、計6,7枚はあるようで追いつくのが大変だ。いや、単に購入して持っているだけでもいいのだが、こういう昔からお馴染みさんというか、自分の音楽感を育ててくれたアーティストともなると、やはりその恩義から?、きちんと音楽を聴いてあげたいという気持ちも強い。購入して一回聴いて「あっ、このアルバム、こういう感じね」と、済ませてしまいたくないのだ。

 さて、この「ダークタウン」だが、リアルタイムではあまり聴いていないような気がする。なにしろ冒頭の「Omega metallicus」がまずかった。ストロングでアシッドな打ち込みビートがいきなりフィーチャーされ、「あれ?、今度のハケット日和っちゃった??」みたいな感じだったし、次の「Darktown」も彼のモノローグ風なボーカルをフィーチャーしたかなりエキセントリックなサウンドになっていてすっかり当てられてしまったからである。スティーブ・ハケットという人は実にいろいろな音楽的引き出しをもっている人だから、このアルバムの場合、レギュラー・アルバムの途中でたいてい出してくるエキセントリックな凶暴系サウンドを、たまたま冒頭からやっているだけということは考えられるし、今を聴けば特にこのアルバムだけが特異ということもなくもないのだが、やはり、冒頭2曲にこれを持ってきた効果は強烈であった。なので、私にとってこのアルバムはどうも手を出しにくいアルバムになってしまったのだ。

 ところが、このアルバム何度か聴いていると、くだんの2曲を通り過ぎでしまうと、実はこの意外にも佳曲揃いなのことに気がついたりする。3曲目「Man Overboard」は陰影の飛んだアコスティック・バラードだし、5曲目はトニー・バンクスのアルバムにも参加していたジム・ダイアンドのボーカルをフィーチャーした「The Golden Age Of Steam」は壮大の夕暮れみたいな美しさがある作品、6曲目の「Dreaming With Open Eyes」は場違いなボサノバのリズムが不思議に気持ち良く、7曲目「Twice Around The Sun」とラストの「In Memoriam」はハケットのギターとメロトロンをフィーチャーした雄大なシンフォニック作品(後者の聖歌のようなコーラスと哀感はなかなかだ)という具合で、傾聴すべきところや聴かせどころは沢山あるのである。しばらく前にTwitterで話題になり、それがきっかけで聴いてみたのだが、聴くほどに「あれ、こんなに良かったけかな」、「あぁ、自分はどうしてこんなおいしいところをこれまで聴き逃していたのだろう」と感心してしまうくらいなのである。

 どうやら、この作品、特定のストーリーかアルバム・コンセプトのようなものがあって、それを敷衍した音楽をやった結果、こういう独特な構成、雰囲気になったのだろうが、その良さを体感するには、やはり多少は聴き込むという作業が必要....ということを痛感した。昔は「聴き込む」なんてのは、当たり前のことだったが、世の中がどんどん刹那的になり、今や音楽にしろなんにしろ、すぐに快感を感じられないものはすべからくダメみたいな風潮になっているから、こういう作品はなかなか評価されないのだろうなとも感じた次第であある。いや、人のことは全然とやかくいう資格はなんだけど。

2010年2月24日 (水)

ANTHONY PHILLIPS / Sides

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 マイケル・ジャイルズのタイコが好きだ。ところが、彼の最盛期のドラミングが聴ける作品は意外と少ない。さしずめ「クリムゾン・キングの宮殿」を筆頭に、「マクドナルド&ジャイルズ」と「ポセイドンのめざめ」がピック3といったところだろう。もちろん、M&G以降もロパート・ハイン、ジョン・G・ペリー、あとレオ・セイヤーなどの作品などに、彼の名前はみかけたが(近年、当時お蔵入りなったソロ・アルバムなども出たりした)、クリムゾンやM&Gのようなドラミングを期待して聴いたところで、どれも前記3作のようなそれは全くといっていいほど披露せず、もっぱらセッション・ミュージシャン的な手堅いドラムで、律儀にリズムをキープしているだけだった。一体、ジャイルズにとって、「宮殿やM&Gでのドラミングはなんだったんだ?」と思わざるを得なかったが、そのマイケル・ジャイルズが、奇しくも「宮殿」から10年後に、あの時のドラミングを思い出したように披露したことがあった。それが本作、アンソニー・フィリップスの「サイズ」である。

 本作はアンソニー・フィリップスが残した膨大なソロ・アルバムでも、おそらくもっともジェネシス的なシンフォニック・プログレ的な色彩が強い作品だと思う(「1984」や「スロー・ダンス」というシンセ作品もあるが)。多分、フィリップスは当時、順調に第二の全盛期を迎えていた古巣のジェネシスの活動を尻目に、一枚くらいそうしたアルバムでも残して起きたいとでも考えたのだろう(前作の「ワイズ・アフター・ジ・イヴェント」に多少その兆候が現れていたが)。アルバム冒頭を飾る「Um & Aargh」、旧B面トップの「Souvenir of Remindum」、そしてオーラスの「Nightmare」というアルバムの勘所となる3曲は、それまでの穏やかでノーブルな田園風景を紡いできた彼にしては、ちと異様なほどプログレ色が強い作品になっている。前作に続いて、ルパート・ハイン絡みで参加したマイケル・ジャイルズは、時ならぬフィリップスのプログレ的テンションに、思わず本気を出してしてまったのかもしれない。「おやおや、前のアルバムみたいに、のんびり叩けばいいのかと思って来てみたら、こんなハードな曲をやるのかい!」みたいなところだろうか。

 「Um & Aargh」は、クリムゾン時代に比べればまだまだリズム・キープに徹しているところはあるものの、要所要所に入るメロディックなフィル、中間部でハケット風なギターのバックで流れるライドシンバルの例の装飾感、最後のフェイドアウト部分での聴こえるタムのメロディックなフレーズなど、「おひさしぶり、ジャイルズ!」という感じであった。「Souvenir of Remindum」はトニー・バンクスの作風を拝借したようなシンフォニックなインスト作品だが、さざ波のようなアルペジオの主題が繰り返されたハイライトで、一転して現れるクリムゾン風な変拍子による攻撃的な部分では、ジャイルズのドラムがそのパワーの源泉となっているのは一聴瞭然だ。また、ラストの「Nightmare」は、いくら手数を重ねても決して下品にならず、メロディアスとしかいいようがないフレーズが満載されたまさにクリムゾン時代を彷彿とさせたプレイである。特に中間部、ロールから始まる流れるようなドラミングとそれに続くシンセとドラムのユニゾンなどは圧巻、あれから10年、彼が突然思い出した「21世紀」のドラミングとしかいいようがないものだった。

 そんな訳で、本作はそもそもアンソニー・フィリップスのディスコグラフィ中でも、かなりの傑作の部類に入る仕上がりだと思うが、個人的にはこのようにマイケル・ジャイルズが久々に本領を発揮した演奏が聴けるということでも忘れがたい作品になっている。このアルバムの後、彼は以前にも増していっそう隠遁ドラマーのような存在になってしまい、こうしたドラムを披露することも全くなかったことも、その印象際だてることになった。ちなみにジャイルズが再び「宮殿」風なドラムを披露するのは、このアルバムのはるか後年-まさにしく21世紀に入ってから-結成される21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドにおいてである。

2010年2月22日 (月)

KEATS

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 これも今頃になって聴いたピーター・バーデンス関連作品。ご存じの通りこのキーツは一応ピーター・バーデンスがリーダー格にはなっているが、英国の比較的知名度の高いメンツを集めた上で、全体はアラン・パーソンズに仕切らせて上で制作された、アリスタ・レーベルからの一種の「戦略商品」であった。おそらくこれを発表した時期に一斉を風靡していたエイジアの成功が念頭にあったのだろう。集められたメンバーはバーデンスの他、ゾンビーズのコリン・ブランストーンがヴォーカル、パイロットからイアン・ベアンソンのギターとディヴィッド・ペイトンのベース、、英国のセッションドラマーとしては最高の安定度を誇ったスチュワート・エリオットという、地味ながら中々のメンツを揃えている。
 また、前年に発表されたキャメルの「シングル・ファクター」と、パイロット組を始めとしてメンバーが何人か共通しているのもおもしろいところだ(そういえば、かのアルバムにはバーデンスがゲストで参加していた)。インタビューでは、キャメルがポップ化したのをパーデンスのせいにしたがるラティマーであるが、結局はバーデンスに先んじて同じような音楽をやっていた訳である(笑)。

 さて、アルバムの内容だが、アラン・パーソンズのプロデュースで、集まったメンバーがこれだから、当然アラン・パーソンズ・プロジェクト(APP)のスピンアウトのような仕上がりである(調度1977年のアンブロージアがそうだったように....)。ピアノ、ベース、ドラムが作り出す太くシンプルなリズム(ベースとバスドラムのユニゾンを多用)を底辺にして、シンセが立体感のある空間を演出、そこにポップでソフトなヴォーカル&コーラス、そして伸びやかなギターが乗るという、このバンドの基本サウンドはまさにAPPの方程式といってもいいと思う。
 もちろん、APPに比べれば多少ハードなサウンド(というかバンドっぽい音というべきか)ところはあるし、ボーカルもけっこう歌い上げ系になっているので、当時流行っていた「産業ロック」なところも感じさせるが、あまりそういう方向に大きく舵を切ることなく、いかにも英国産といった感じの穏健さとまろやかさ、クウォリティは高いものの、常識的なサウンドに終始しているあたり、やはりアラン・パーソンズが仕切ったことを如実に物語っている。なにしろクレジットを見れば分かるとおり、本作のキーボードはバーデンスだけでなく、共同プロデュースに当たったトニー・リチャーズが弾いていたりするのだから、制作時のバンド状況もわかろうものである。

 とはいえ、バーデンスらしい色彩は前回取り上げた「ハート・トゥ・ハート」同様、随所に感じられる。1曲目「Heaven Knows」のちょっと切なさが入り交じったドラマチックさは「レインダンセス」の頃を思わせるし(ちょっとコリン・ブランストーンのヴォーカルは違うな....と思うけれど-笑)、サックスをシミュレートしたシンセ・ソロは、その後バーデンスのメルク・マールになるサウンドだ。またメドレー風につながる2曲目「Tragedy」はエレピや白玉のサウンドがどことなくキャメルを思わせたりもする。6曲目の「Turn Your Heart Around」もかなり体育会系のアレンジにはなっているものの、基本的には「水の精」とか「雨のシルエット」といった曲と共通する陰影を持った曲だ。
 という訳で、私のようにバーデンスらしさを期待しつつ聴くと、多少、「ねじ曲げられたな」みたいな感を抱かざる得ない音楽だと思うが、84年に作られた産業ロックというか、プログレの残光を感じさせるポップなロックとして聴けば、これは中々の仕上がりだと思う。こんなこと云ったら怒られるかもしれないが、そういう面でのクウォリティは、むしろキャメル本体の「シングル・ファクター」より高いような気がする。これが目論み通りヒットしていたら、バーデンスはその後、どんな人生を歩んだのだろう?。

2010年2月20日 (土)

NEKTAR / Recycled

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 今を去る十数年前、ネットの代名詞がまだパソコン通信だった頃、私は常駐していたNifty Serve内の某プログレ専門の会議室で、「プログレ暴走機関車」という言葉を使ったことがある。この語感でだいたいわかる人もいるかと思うが、これは何かというと、いきなりドッカーンと始まり、次々に曲をつるべうちにしつつ、ハイ・テンション演奏がアルバムの終局まで途切れなくようなアルバム(もしくは片面を使った組曲も含む)のことで、具体的にいえば、トリアンヴィラートの「スパルタカス」、パトリック・モラツの「i」、マンダラバンドの「曼荼羅組曲(片面)」、キャナリオスの「四季」といったものを指していた。このさしずめ映画でいうなら「ジェットコースタームービー」みたいなプログレを私は異常に偏愛していて、この種の話題をそこで度々話題にしたものだけれど、このネクターの「リサイクルド」こそは、「プログレ暴走機関車」の代名詞たる作品として、飽きずに語り続けた作品なのであった。

 ネクターはドイツで活躍した英国産のプログレ・バンドではあるが、どちらかともいわずとも当時は二流バンドであり、72年のデビュー以来、コンスタントにアルバムはリリースしていたものの、聴かれるサウンドといったら、ハードロック的なギターサウンドをベースに、プログレ的なセンスとブルース・ロック的な泥臭さが奇妙な具合に混ざり合った(というか混濁していたというべきか)ようなものばかりであった。テクニックも作曲能力もそこそこあるが、例えばイエスあたりと比べると、どこか突き抜けたところがないバンドといったイメージも強かったと思う。この「リサイクルド」は、そのネクターがなんの音楽的前触れもなく、1975年に突如変身して作り上げたプログレの金字塔的なアルバムである。

 アルバムはティンパニのドロドロ、ギターのカッティングとスペイシーなシンセに彩られシンフォニックなイントロをスタートに、ヘビーなギターのリフとハイ・トーンなボーカル交錯するイエス風な「Recycle」から始まる。既にこの時点で物凄いテンションである。続く「Cybernetic Consumption」はテクノ風なシーケンサー、シンセ・パーカッション、ハードロック風なギターのリフ、冒頭の主題がつるべ打ちのように襲いかかって来る。そのまま続く「Recycle Countdown」は「Recycle」のボーカル主題が回帰、更に「Automation Horrorscope」はヴォコーダー、ボーカル、ギター・リフ、そしてA面後半のテーマを予告と、再びふんだんに音楽的素材を繰り出し、まさにジェットコースタームービー的なテンションで進んで行く。そしてA面最後の「Unendless Imaginations ?」では、前出の「Automation Horrorscope」で予告したテーマをハイライトに朗々と展開しつつ、中間部ではシンセがシンフォニックな白玉で更にムードを盛り上げ、いよいよそのハイライトでウェイクマンの「地底探検」よろしく、大仰な混声合唱団を登場させてしまうのだからたまらない、まさにシンフォニック・プログレの極致といった感じである。

 続くB面も素晴らしい。A面ほどのつるべ打ち感覚はないが、逆にのびのびとした開放感があるのは大きな魅力だ。まず「Sao Paulo Sunrise」だが、これはちょっとトロピカルなリズムの乗って現れるファンキーなギター・カッティングがメチャクチャ格好が良い。あまりプログレ的とはいえないかもしれないが、アルバムのもっとも印象的な部分のひとつとなっていることは確かだ。「Marvellious Moses 」は前2曲のムードを引き継ぎ、いくらかトロピカルなムードを漂わせつつ、サビの部分で見せるコーラスのイエス風な高揚感がなんといっても印象的。中間部で見せるハード・ドライヴィングなギター・サウンドのテンションも素晴らしく、これと前述のコーラスが交錯する部分は文句なく全曲中のハイライトとなっている。

 という訳で、先日聴いたシナジーの「10番街の殺人」がきっかけになって、ここ2,3日というもの本作を何度も聴いているのだが、やはりこのアルバムは、その高揚感、ドラマチックさ、異様なほどハイなテンション、曲を次々につるべうっていくアレンジ、どれをとっても、私にとって最高の「プログレ暴走機関車」であることを痛感した次第である。
 最後にラリー・ファーストについて書いておきたい。シナジーのところでかなりネガティブなことを書いてしまったけれど、本作での彼はまさに水を得た魚の如き大活躍ぶりで、レギュラーのキーボード奏者タフ・フリーマンを完全に食ってしまっている。このアルバムのシンフォニックなスケール感のかなり部分は、彼によってもたらされたのではないかと思えるほどだ。それは近年出たリマスター盤に収録されたジェフ・エメリックによるラリー・ファーストのシンセが大幅にカットされた(というかラリー・ファーストが後でダビングしたのだろう)、リミックス・ヴァージョンを聴けばそれが分かる。このヴァージョンの「リサイクルド」は、突然変異でもなんでもなく、1974年の「Down to Earth」に続くアルバムとして素直に聴けるのである。

2010年2月13日 (土)

UKZ / Radiation

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 エディ・ジョブソンといえば、昨年ようやく重い腰を上げて、UKZなるレギュラーバンドを発足させた。このUKZはデビュー・アルバムに先行して、4曲入りのミニ・アルバムを出し、6月には早々と来日公演もちゃっかりと実現させて、往年のUK作品はもちろん、きっとベースにトレイ・ガンがいることで実現したのだろう、なんとクリムゾンの「太陽と戦慄II」なども演奏したらしい(ジョブソン自身も、かの曲には少なからず縁があるのはご承知のとおり)。
 さて、本作は前述のミニ・アルバムである。すぐにでも出そうな勢いだったデビュー・アルバムも、目下のところ、発売にこぎつけておらず、新星UKのサウンドを聴けるのはこの4曲だけ....という状態が、都合もう1年も続いている訳だ。早いところフル・アルバムを聴かせてもらいたいものだが、とりあえず、今夜はこのミニ・アルバムでも聴いて、新生UKへの渇望を癒すこととにしたい。

 UKZのメンツはジョブソンとトレイ・ガン以外はあまり有名ではなく、アレックス・マクヘイサック(gt)、マルコ・ミネマン(ds)、アーロン・リッパート(vo)という布陣である。こんな形容をしたら、本人達に怒られるかもしれないが、おおよそ「21世紀のテリー・ボジオ&アラン・ホールズワーズ+アルタナ系ボーカル」といった感じだろうと思う。少なくともジョブソン自身が、メンバーのそうした腕やセンスを見込んで、このバンドを結成したことだけは間違いない。
 1曲目の「Radiation」など、まさにそういう感じの音になっている。イントロは「アラスカ」や「テーマ・オブ・シークレット」を思わせるジョブソン得意のちょっと歪んだ空間サウンド、本編は「パワー・トゥ・ビリーブ」のクリムゾン風な-ということはレディオヘッド的ということでもある-ヘビィでモダンなサウンドとなっている。ギターはかなりソリッドでエッジの切り立っており、これにアーロン・リッパートのボーカルがのると、いかにもオルタナ系な音楽に近づくものの、中間部ではやはりクリムゾンの「ブルーム」を思わせるギターのアルペジオから、ははーん、やっぱりという感じのホールズワース風のギター・ソロが登場して、プログレ的なところもしっかりみせている。

 2曲目の「Houston」はアコスティックな趣もあるミディアム・テンポのジェントルな作品。シンセの白玉、アコギ、フリップ風な息の長いEギターが組み合わさったサウンドで、やはりクリゾン風、ただし、こちらは「スラック」期のクリムゾンのバラードに共通するセンス。3曲目の「Tu-95」はインスト作品で、本作に収録された4曲中、もっとクリムゾン色の強い作品となっている。ほとんど「Elektrik」や「The ConstruKction of Light」の異母兄弟といいたいようなサウンドだ(ただし、クリムゾンがやったような、テーマ部分のテクニカルな楽器のリレーはない)。なお、中間部では短いがジョブソンによるオルガン・ソロも登場する(かつての「メタモーフォシス」や「ジ・オンリー・シー...」でお馴染みのアレ)。4曲目の「Legend」はエピローグ風なギター・ソロだ。
 そんな訳で、このミニアルバムを聴く限り、バンド内でジョブソン自身は拍子抜けするほど露出していない。おそらくトレイガンに音楽の実質的な主導権を委任してしまっているのだろうが、もう少しジョブソンの個性を出しても良かったと思う。来るデビュー・アルバムではそのあたりはどうなるのだろうか?。


※ ジョブソンといえば、間もなくUKZとは別のバンドで来日するようです。マーク・ボニーラやビリー・シーンを擁したスペシャル・プロジェクトのようですが、それはそれでいいとして、一体UKZのアルバムはどうなったんですかねぃ。

2010年2月 8日 (月)

PETER BARDENS / Heart To Heart

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 現在、キャメルといえば「アンディ・ラティマーのバンド」という評価が歴史的にも定まっているのが、彼らの黄金時代、つまり70年代中盤頃は、ラティマーをリーダーとするバンドというよりは、演奏面であれ、作曲面であれ、ラティマーとピーター・バーデンスが同等にリーダーシップを握るいわば双頭バンドの形態をとっていた。彼ら自身も確か当時のインタビューで語っていたような記憶があるが、ビートルズでのレノン&マッカートニーのような体制だったのだろう。この時期の彼らが残した「ミラージュ」、「スノーグース」、「ムーンマッドネス」の三作は、ラティマーとバーデンスの個性がある時は拮抗し、またある時は離れがたく結びついて、絶妙なバランスを見せたプログレ史上の傑作である。おそらくこの点にはついては、誰もが認めるところであろう。ところが、この両者の音楽的な均衡は「レイン・ダンセズ」あたりから綻びをきたし、ついに「ブレスレス」では、決定的に崩壊してしまうことになったらしい。結果的にバーデンスはこれ最後にバンドを脱退、その後のキャメルは一貫してラティマーが仕切っていくことになるのは周知のとおりだ。

 さて、本作はそんなピーター・バーデンスがキャメルの脱退直後の79年に発表したソロ・アルバムである。キャメル本体でいえば、「リモート・ロマンス」の頃の作品ということになるが、当時、熱狂的なキャメル・ファンであった私からして、このアルバムはそもそも存在自体を知らなかったのだから(当然、国内発売はなし)、ほとんどプログレ・ファンから黙殺されたのも同然だったように思う。私はこのアルバムを実は数ヶ月前に購入して、今ようやっと聴いているところだが、この内容からして、当時、これを聴いたファンなら黙殺せざるを得なかったのも分かろうものである。なにしろ、アルバム全体が70年代後半の喫茶店なんかで流れていてもいっこうに違和感のない、当時流行のフュージョン的な感触を取り入れた、軽い(本当に軽いのだ)イージー・リスニング調ロックといった音楽なのだ。
 なにしろ冒頭の「ジュリア」からして、あまりといえばあまりに力の抜けたボサノバ風なポップ作品、2曲目の「ドァーイング・ザ・クラブ」はブラスをフィーチャーした意味不明なボードヴィル調、3曲目の「スリップ・ストリーム」でようやく、多少キャメル時代のスペイシーさを思い出したようなシンセ・サウンドを見せるが、これにしたって基本はポップなディスコ・ナンバーである。当時聴いたらほとんど脱力ものだったのではないか。

 もちろん、キャメルとの音楽的関連を探せばいくらでも見つかる。5曲目「ジンクスド」は「ブレスレス」の「ザ・スリーパー」と似ているともいえなくないし、6曲目の「アフター・ダーク」で聴けるオルガンはいやおうなくキャメルを思い出させる。また、7曲目の「スロー・モーション」のテーマは「アースライズ」を、タイトル・トラックでは「レイン・ダンセズ」の抒情が甦ったりする人もいるだろう。ただ、なんていうか、つい何ヶ月前までキャメルに居た人が作った音楽としては、あまりに「緩くぬるい」のである。当時、リアルタイムで聴かなくて良かったとさえ思うくらいだ(笑)。おっと、誤解がないように書いておくと、これは決してネガティブな意味ではない。バーデンスはこれら一連のソロ・プロジェクトを全て失敗した後、90年代に入って、折りからのニュー・エイジ・ブームにのって、「シーン・ワン・アース」等ヒット作を出す訳だけれど、本作はこれらのニュー・エイジ作品の美点を踏まえた上で聴くべき作品であり、この「緩くぬるい音楽」は決して欠点ではなく、キャメルとは切り離して地点で、初めて心地良く響くものだといいたいのである。つまり、本作は早すぎたニュー・エイジ作品なのだ。私は近年そういうバーデンスの音楽をますます好きになりつつあり、本作もそうした意味で、やけに心地よく聴ける作品となっている。

2010年2月 6日 (土)

MORAZ, BRUFORD / In Tokyo

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 どういう訳か、昨年になって発掘されたモラーツ&ブラッフォードのライブ音源(昔出ていたブートをオフィシャル化したものかもしれない、音質的には良好なカセット録音といったレベルである)。1985年、本邦、赤坂におけるライブであり、短命に終わったこのデュオの最後(つまり2作目を発表に前後した)時期を捉えたライブということで、いろいろな意味で興味深い演奏になっている。このデュオは1作目は「ピアノ・トリオ・マイナス・ワン」といった趣のジャズ的な色彩に強い演奏であったが、2作目ではパトリック・モラツの自己顕示欲が例によって強まったのか(笑)、大々的にシンセを導入してよりプログレ的な音楽に変貌していった。本作はこのデュオの音楽がこうした方向にシフトしていたことを、如実に感じさせるパフォーマンスになっている。主要な曲をメモっておこう。

 1曲目の「Blue Brains」はビルのシモンズ等エレクトリック・ドラムを大きくフィーチャーしたアフリカン・ミュージック的な作品、モラーツもカリプソ風なシンセ・サウンドでそれに答えており、1作目のピアノ&ドラムスというシンプルな音楽とは大分違ったベクトルを感じさせるサウンドになっている。2曲目の「Hazy」は1作目のラストに収録され、きちんスコアリングされたこのデュオの良質な部分が発揮された作品だが、ここでも冒頭にシンセをフィーチャーした長目のイントロ、中間部のエレクトリック・ドラムの小ソロなど、長さも広がりも拡張されたサウンドになっているのが特徴か。4曲目の「Cachaca」はある意味本作の目玉かもしれない。モラーツのソロ・アルバム「i」からのお馴染みの作品であるが、賑々しいオリジナルとは対照的なピアノ&ドラムスによるシンプルな形態で演奏ではあるものの、さすがにビルのドラムで聴く「Cachaca」は凄まじい。中間部でテンポを上げて、エキサイティングに展開していく場面を始めとして、両者のハイ・テンションなインタープレイの応酬はさすがだ。

 5曲目の「Galatea」は1作目の路線に近いフリーなインプロをフィーチャーしたこのデュオのスタティックな側面が良く出た作品。スタジオでは途中出てくるジェントルなテーマがもう少しきっちりと配置されていたが、ここではライブらしく自由な流れになっている。8曲目「Children's Concerto」はこのデュオのプログレ的な側面で考えれば、最高傑作ともいえる作品で、かなり構築的作品だが、ここではやや流し気味にさらりと演奏している。9曲目の「Jungles of the World」は1曲目同様エレクトリック・ドラムをフィーチャーしたワールド・ミュージック的作品で、いくらかその後のアースワークスの音楽も見え隠れしているともいえるかもしれない。ラストの「Temples of Joy」はシンフォニック・プログレ的作品で、モラツはシンセ、ビルはジャズ的なドラミングではなく、イエスやクリムゾンでのそれを彷彿とさせるドラミングに終始しており、当時第二の全盛期を迎えていたビルのテクニカルなプレイを大いに堪能させてくれる。

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