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2010年6月

2010年6月24日 (木)

MARILLION / Somewhere Else [2]

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06 A Voice From the Past
 前半のハイライトだったタイトル・トラックを受けて(この継続感はアナログのA面とB面の配列という呼吸を感じさせる)、やはり暗い抒情とある種の追憶を感じさせる情感がただよい、またそこはかとない哀感を感じさせる曲である。全体に起伏かなだらかで、音数も少ないあたり、これまた前作「Marbles」の余波のような雰囲気を感じさせるが、次第に分厚いサウンドへと発展していくあたりの段取り感は、旧来のマリリオンらしさがにじみでているともいえるだろう。ハイライトでここ一発という感じ登場するギターなどもいい感じである。

07 No Such Thing
 こちらは今風なギター・ロック風な音楽。ちょっとレディオヘッド的屈折や浮遊感を感じさせるボーカルとサウンドでもある。それにしても、ここまで聴いてきて思うのだが、本作には「Anorak」まで聴かせてきた、シャープでエッジの効いた光沢のあるサウンドというのがほとんど出てこない。おそらく前作を転回点として、マリリオンはそのサウンドの肌触りをかなり変化させているようだ。考えてみればマリリオンも既に20年選手な訳だから、そろそろ枯れてきたというところなのかもしれないが。

08 The Wound
 アップテンポで進む比較的伝統的なマリリオン風なダイナミズムを感じさせる作品。ただし、やはりサウンド的には60年代回帰というかガレージ風な肌触りもあって、前作の余波のようなものを感じさせる。曲としてはファンタスティックなアルペジオが良いアクセントになっているし、後半、あれこれ目先を変えて進んでいくドラマチックな展開は、正直いうと今一歩不発な感がなくもないが、きっとライブなどでは盛り上がる曲なんだろうな…などと思ったりもさせる。

09 The Last Century For Man
 これもマリリオンらしいメロディックさが発揮された曲だが、サウンドの方はレズリーを通したギターやスカスカなドラムス(あきらかにリンゴ・スター風であり、モズレーは実に楽しんでそれをやっている感じだ)など、やはり60年代回帰っぽいサウンドだ。後半にちょっと「ミスター・カイト」を思わせるドリーミーでファンタスティックなサウンドへと発展していくが、あたりも展開はなかなかおもしろいものがある。

10 Faith
 これまたビートルズ風な曲。アコギのイントロは「ブラック・バード」を思い出させる淡々とした風情で進んでいくが、中盤からバンドサウンドになり、ちょっとバカラック風なリズムを盛り込んで、ポップに進んでいき、アルバムのラストなにのけっこうあっさりと終わってしまうのはちょっと意外な感がなくもない。このあたり、おそらく近年のマリリオンというよりは、おそらくオーガスのセンスなのだろう…。私は未聴だが、ホーガスのソロ・アルバムも出しているで、そこではおそらく本作のような音楽をやっているのではないだろうか?。そのくらい本作ではホーガスのセンスが強く露出している…と私は感じた。

2010年6月23日 (水)

MARILLION / Somewhere Else [1]

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 2007年に発表されたマリリオンの第14作。前作が久々のコンセプト・アルバムで2枚組という重量級な作品であったの反動か、本作は比較的コンパクトでリラックスされた作品を中心を構成された「軽い作品」になっている(収録時間も60分もない)。また、一聴した印象では、これまでのバンド指向のようなものは一歩後退させ、おそらくスティーブ・ホーガスの音楽的な趣味で全面に押し出したような仕上がり…といえなくもない。したがって、本作では従来のプログレ的なところは影を潜め、ビートルズをメインとした60年代回帰、今時なギターロック風サウンド、これまでになく表に出た音楽となっている。それでは収録された全10曲を軽くメモしておきたい。

01 The Other Half
 いきなり60年代のサイケ調だった頃のビートルズっぽい曲(「マジカル・ミステリー・ツアー」あたり)曲で始まる。ある意味、前々作あたりまでのノリが再び帰ってきた感じもするが、中間部が聴くことが出来る透明でゆったりとした広がりのある部分や、ますますレイドバックしたサウンドなどは、多分に「Marblers」のムードを引き継いでいるともいえる。マリリオンらしい部分としては、後半のコーラスの繰り返し、そしてハイライトで現れるギター・ソロあたりということになるだろうか。

02 See It Like a Baby
 これもかなりサイケ的なサウンドだが、前々作に多数聴かれたアンビエント/テクノ系な要素を隠し味に使った「古くて新しいサウンド」になっている。コリコリとしたベースの音と浮遊感のあるピアノ、そしてリムショットで組み立てられたリズム・パターンなどが実に気持ち良く響く。また、ぐっとサウンドが広がるコーラス部分もマリリオンらしさとの取り合わせもいい。

03 See It Like a Baby
 基本的にはマリリオンらしいメロディックな作品だが、これまたビートルズ、というかレノンに近い感じの暗い抒情や60年代的なサウンドをベースにしているせいか、いつもとはちょっと違った感じに聞こえる。また隠し味的に大仰なメロトロンなども聴こえるし、プログレ的なドラマチックさもある。マリリオンといえば元々はプログレ・バンドだったのだが、驚くこともないのだが、やはり近年のマリリオンは音楽的にかなりコンテンポラリーになっていたことを改めて感じさせる。ホーガスが実にいい味のボーカルを聴かせる。

04 Most Toys
 わずか2分半で終わる、ちょっとクレイジーでカオスなような雰囲気のある曲。今時なギターサウンドといった感じの仕上がりだが、こういうのはやはりホーガスのセンスなのだろうか。ともあれ、ここ数年、マリリオンはこういうモダンな曲をやるようになってきていることは確かだ。モズレーのドラムも数作前とはかなり質感の違う、ガレージ風な録音になっている。

05 Somewhere Else
 本作では比較的長目の曲で、こちらはいつものマリリオンらしい暗い抒情が曲を覆っている。前半はピアノ主体にしたなだらか起伏で比較的淡々と進んでいき(このあたりは前作の雰囲気が濃厚に感じられる)、やがてギター・ソロから後は徐々にサウンドが厚くなって、やがてマリリオンらしいドラマチックかつシンフォニックな展開になっていく。さすがにタイトル・トラックらしく力が入った仕上がりだが、こういう曲だと何を歌っているのか詮索したくなったりもする。

2010年6月16日 (水)

四人囃子/2002 Live

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 2002年に行われた"森園"四人囃子のリュニオン・ライブである。メンバーは森園勝敏、岡井大二、坂下秀実というデビュー作の布陣である。私はよく知らないのだが、四人囃子は80年代の終盤からライブなどでは散発的に再結成を繰り返していたらしいが、この2002年の復活はこうしてアルバムを出していることからも分かるとおり、かなり気合いの入ったものだったらしい。収録曲はデビュー作「一触即発」と「ゴールデン・ピクニックス」から名曲で大半が占められていて、それ以降の作品や新曲の類は全く入っていない。潔い選曲というべきだろう。

 まぁ、こうした経緯もあってか、内容は基本的に「懐かしの再結成」みたいなものである。ただし、前述ののようにそれなりに準備期間というか、馴らしの活動期間があったせいだろう、「旧友の再会セッション」的な即席感やくたびれた感じは全くなく、非常に充実している。特に森園の円熟のギター・ワークが問答無用の素晴らしさである。往年の彼はクラプトン、サンタナ、ギルモアなどの影響があまりにもあからさまな、日本製ギタリストだったけれど、これだけの年月が経た現在、もうそんな影響云々はどうでもよくなってしまい、「森園のギター」だけが聴こえてくるのは、森園自身の変化もさることながら、やはりリスナーの方の受容姿勢が今やすっかり様変わりしていることも大きいと思う。

 演奏には70年代のナイーブさやシャープさは当然にない。メンバーが50代後半なのだから、当たり前である。ただし、その分、練達のテクニックと経験でもっで、往年の曲を実に大らかにバンド自身が楽しんで演奏しているような老獪で円熟した良さがあり、聴いていてオリジナルから不足感や欠落感といったものをほとんど感じさせないのはさすがだ。例えば「泳ぐなネッシー」など、さすがにテンポが上がってからの、目まぐるしい展開は、オリジナルに比べると多少もっさり感があるものの、ここで聴けるちょっとモヤとしたようなうねりのような感覚は初期の四人囃子そのものであり、ここに当時より数段豊穣なフレージングを聴かせる森園のギターが入って、結果的には昔よりこちらの方がいいんじゃないかと思わせたりするくらいだ。

 また、昔も今のステージのハイライトに登場するらしい「一触即発」の前曲から切れ目なしにスタートするが、原曲にあったフロイド、パープル、ELP、サンタナのあからさまなコピーみたいなところは、既に確実に昇華され、現在ではスタンダローンな名曲としての、風格すら感じさせるような演奏になっているのも、やはり時の流れを感じずにはいられない。また「レディ・ヴァイオレッタ」もオリジナルのフュージョン風なところはぐっと後退させ、森園のロック的ボキャブラリーで再構成したようなアレンジになっていて、前後のプログレ風な曲と並べても違和感のない演奏になっている。それにしても、この曲はプログレというよりも、明らかにフュージョンといった趣の曲だが、いずれにしても日本のギター・インスト史上に残る名曲だと思う。

 アルバムのラストには「CYMBALINE」が演奏されている。70年前後のフロイドのステージ・ナンバーとして一時ファンには有名だった曲だが、おそらく70年代に四人囃子はステージで頻繁に取り上げていたのを再現したというところだろう。四人囃子はフロイドの影響が濃厚なバンドだったから、さぞやフロイド的な演奏になっているのかと思いきや、彼らほどにはシュールでも特有な浮遊感かある訳でもなく、もう少し日常的な幻想風景を見せてくれるあたり、逆に四人囃子という「日本のバンド」の個性が出た瞬間といえなくない。という訳で、このオマケの一曲も含め全編に渡って非常に充実したライブ・アルバムである。ファンならめっぽう楽しめること請け合いだ。


2010年6月13日 (日)

TANGERINE DREAM / Live In Bilbao`76 Pt.1 (The Bootleg Box Set.1)

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 前回取り上げたクロイドンでの公演から約3ヶ月後、1976年1月のスペインはビルバオのパフォーマンスである。この時期のタンジェリン・ドリームはツアーで忙しかったのか、結局1974年の「ルビコン」から1976年「ストラスフィア」までの間は結局スタジオ録音のアルバムを残さなかったことになる。もちろんその間「リコシェ」があり、もう何度も書いているとおり、あのアルバムはこの時期のライブ・パフォーマンスの「最良の部分のみを再構成した」アルバムだから、まぁ、半分スタジオ録音といえないこともないのだが…。
 いずれにしても、1975年という年のタンジェンリン・ドリームはおそらく音楽的な充実度という点ではひとつのピークを迎えいていたことはほぼ間違いなく、この時期に彼らが入念なスタジオ・ワークでアルバムを残さなかったのは、むしろ彼らのために惜しまれるものである。

 さて、本パフォーマンスだが、意義面からいえば「リコシェ」と「ストラスフィア」と間隙を埋める演奏記録ということが出来ると思う。この時期のタンジェリンの布陣でいうと、バンド内のテンションは「リコシェ」の時がピークであり、この後は彼らはかなり急速に緊張感を失い、自己の作り上げたスタイルの再生産をするようなる…というが、私の考えだが、このパフォーマンスでもそのあたりが随所に伺えような気がする。
 冒頭の約10分は「リコシェ:パート2」の前半の抒情的空間を入念に開陳し、そこからややシュールな音響を経て、同じく「リコシェ:パート2」の後半風な遠近感のあるパーカスにのってメロトロンが活躍する場面となり、やがてシンセ・ベースなリズムが導入、そしてお得意のパターンとなっていく訳だ。もちろん「リコシェ」直近のパフォーマンスだから、まだまだ演奏の覇気やテンションは十分に高いのだが、なんというか、スタイルとして飽和点に達してしまっていて、今までの手の内であれこれやりくりしている感が強いのである。

 ひどい邪推だが、彼らは「リコシェ」を作るにあたって、あれこれと展開された自己のパフォーマンスから、最良な部分を選別しつつ、逆にそれがバンド内に刷り込まれてしまったのではないか。このパフォーマンスを聴くと、既に「リコシェ」で聴いたことがあるような音ばかりなのである。1977年に出た「リコシェ」の夢よ再びという感じで購入してきた「アンコール・ライブ」では、バンドのテンションのあまりの降下ぶりに、愕然としたものだが、この時にその萌芽はあったといえる。
 さて、このパフォーマンスの後半であるが、シンセ・リズムの王道パターンの中、やがてギターがフィーチャーされ、この時期特有の狂おしいテンションが感じられる素晴らしい演奏になっていく、このあたりは最盛期ならではものといえるだろう。ちなみにこのパートでは、最後の最後までシンセベース風のリズムが途切れずに鳴っているが、このパターンは多少珍しいかもしれない。

2010年6月 9日 (水)

DARRYL WAY'S WOLF / Saturation Point

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 ウルフは1973年、カーブド・エアからヴァイオリンをもっと弾きたくて脱退したダリル・ウェイによって結成されたインストバンドである(ヴォーカルが入っている曲がないことないのだが…)。メンバーはギターにジョン・エサーリッジ、ドラムがイアン・モズレー、ベースにデク・メセカーという布陣で、当時は全くの無名なミュージシャン達だったが、ウルフ解散後にそれぞれソフト・マシーン、トレース、キャラバンといったバンドを加入するのだから、実力的には指折りの面々であった。
 アルバムは3枚ほど残したが、やや方法論として行き詰まった感のある3作目「Night Music」はともかくとしても、残りの2枚については、ヴァイオリンをフィーチャーしたロック・アルバム…、否、非ジャズ系のインスト・プログレの傑作といってもいい仕上がりだったと思う。

 さて、本作だが1974年に発表された第2作である。1作目の「Canis Lupus」はプロデューサーにキング・クリムゾンのイアン・マクドナルドを招聘して、全体としてはリリカルな叙情性と暴力性が奇妙に交錯する作品だったが、本作はよりメンバーの音楽嗜好をビビッドに反映させ、クラシカルセンス、ジャズ的なセンス、そしてテクニック至上主義のようなものが曲毎に明らかになったところに特徴があった。
 それは「The Ache」「Saturation Point」「Toy Symphony」という3つの曲に結実されているといっていいだろう。「The Ache」では、ヴァイオリンとギターの執拗なユニゾンといい、その間隙をぬうように現れる短いソロのテクニカルさといい、このバンドの技術的な水準の高さを見せつけるような曲になっているし、「Saturation Point」ではジョン・エサーリッジがフィーチャーされたソフト・マシーンやブランドXを思い起こさせるジャズ・ロック、叙情性と激しいテンションが一体となって文字通り「ちいさなシンフォニー」を形成している「Toy Symphony」のクラシカル・センス....といった具合である。

 ついでにいえば、本作はこの3曲の傑作に加え、いまひとつの名曲「Slow Rag」がある。日本人好みのメランコリックな旋律に、アコギとヴァイオリンの洗練されたインタープレイを織り込んだ、本作でも一際忘れがたい曲になっている。今ではあまり忘れられてきているが、この曲はたかみひろし氏の強烈な愛好振りによって、日本版のウルフのベスト盤に収録され、少なくとも日本においては「ウルフの不動の名曲」になったものだ。
 という訳で、この4曲でもって本作は、アルバム自体が傑作と呼ぶに相応しい佇まいを持つに至ったと思う。前作の「悲しみのマクドナルド」に匹敵する名曲が本作にはない…という指摘は当時からあったけれど、その点は認めつつも、トータルな意味では本作の方が上回っているのではないか、少なくとも私はこちらのアルバムの方をかれこれ30年以上愛好しているのだか....。

2010年6月 5日 (土)

四人囃子/ゴールデン・ピクニックス

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 76年の2作目。当時の一般的なロック・ファンはこれによって彼らを知ったという人が多かったはずだ。メジャー・レーベルから作品、メンバー・チェンジ(この間にキーボードが坂下秀実から茂木由多加、ベースが中村真一から佐久間正英となっている)、そして1976年という時代的な要請によって、彼らの音楽は1作目のようなアングラ然としたところは後退、全体にポップで明るく、どこか突き抜けたようなサウンドを展開しており、同時に音楽主義的というか、技巧主義的なところも色濃くなっていった。

 なにしろ1曲目がビートルズの「フライング」のカバーなのである。同曲とバンド自体が持つ「浮遊感」という共通点でもって選曲されたのだろうが、シンセとレズリー・ギターを駆使したカラフルな四人囃子のサウンドをもってしても、-当時からしてガチ過ぎて-ある種のあざとさを感じたくらいである。2曲目の「カーニバルがやってくるぞ」はデビュー作の雰囲気を残しつつも、かなりスピード感を上げ、相当に賑々しいサウンドになっていてバンドの変貌を思わせずにいられない。また、3曲目の「なすのちゃわんやき」はプログレ的なスピード感、変拍子を、どことなく和風で飄々とし、かつユーモラスなサウンドで表現した本作の代表作ともいえる名曲だが、この曲にも不思議なポップさがただよっている…という具合で、A面で聴ける4曲では、前作のじめじめしてアングラ風な雰囲気はほぼ一掃されていているといってもいい。

 一方、旧B面の大作「泳ぐなネッシー」は少なくともテーマの部分だけは、「かつての4人囃子」を感じさせる曲といえる。曲調が一転して目まぐるしく展開していく中盤以降は、プログレをも通り越してもはやフュージョン的なスピード感も感じさせたりもするのだが…。またオーラスを飾る「レディ・パイオレッタ」は、森園の甘いトーンのギターを前面的にフィーチャーし、ほぼ完全なAOR風フュージョン作品になっていて(サンタナ風でもあるが)、同時期のセバスチャン・バーディーのマリオ・ミーロもほぼ同様な音楽的変貌をしていたが、ともかく一作目とはほぼ別バンドの趣きの音楽になっている。

 まぁ、要するに過渡期だった訳である。周知のとおり四人囃子は本作をもって、ギターの森園が脱退して、本作の過渡期的な要素すら無効化するようバンドになっていく訳だけれど(まるでソフトマシーンのようだ)、ともあれこのままバンドが続いていたとしても、おそらくバンドはきっとプリズムのようなバンドになっていたに違いなく、その意味で、この一瞬見せた「過渡期の音楽」こそ、実は四人囃子が見せた、実は一番輝いた瞬間なのではないかと思ったりもする。


2010年6月 4日 (金)

四人囃子/一触即発

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 いやぁ、懐かしい。ここ一週間ほど思い出すと、取り出して聴いているのだが、こんなに聴くのはきっと20年振りくらいに聴くんじゃなだろうか。実に懐かしい音である。本作は四人囃子が74年に発表したデビュー・アルバムだが、私など四人囃子といえば、2枚目の「ゴールデン・ピクニックス」で彼らを知り、そこから遡って本作にたどり着いたという人も多いと思う。
 むろん私もそのひとりであるが、四人囃子はソニーから再デビューともいえる「ゴールデン・ピクニックス」を、79年に発表した時点で、初期のジャパニーズ・プログレ・バンドとしての音楽的陣容は既に終わりかけており、遡った本作で「本当の四人囃子」を知ったということなのだったろう。

 初期の四人囃子は、日本のバンドらしく影響受けたバンドの痕跡というか、盛り込まれた音楽的な情報量は実に豊富だが、70年代初頭の汎ブリティッシュ・ロック、ことにフロイド的な浮遊感に満ちた音響、そしてサンタナ的なラテン・ロックのリズムと官能をベースに、極めて日本的なじめじめとした四畳半フォークみたいな私小説的なムードを合体させた音楽だったのだと思う。
 2曲目の「空と雲」はサンタナ的なリズムと呪術的ムードをベースに、いささかシュールだが紛れもなく70年代前半のフォーク的な情緒が横溢しているし、3曲目「おまつり」では「ユージン斧に気をつけろ」に共通するようなフロイド的な幻想味が、サンタナっぽい官能性と日本的なワビサビの中に表現されいる。また、特に旧B面のタイトルトラックは、70年代前半の日本のロック状況を、四人囃子が総括したような見事な1曲である。

 当時の私は、極東在住のプログレ少年だった訳だけれど、これを聴いて「日本にプログレ・バンドと呼ぶべきバンドが存在していたこと」ことを発見して驚愕したものだった。それは垢抜けてポップなセンスでまとめられた「ゴールデン・ピクニックス」には感じられず、もっと純粋一直線だった「一触即発」だったから感じられたセンスだったともいえる。
 ついでにいえば、それだからこそ、当時(79年)本作を聴くと、なにやらどうしようもなく古臭いものを感じたのも事実だったといえる。本作は74年の録音だが、実質的には72年頃のレパートリーをまとめ上げたもので、音楽に封じ込められた時代は空気は、明らかに70年代初頭のそれであるのは間違いない。なので、私は本作聴いているとどうしても72年くらいの風景が甦ってくるのだ。

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● 愚にもつかぬ つぶやき