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2010年5月

2010年5月29日 (土)

MARILLION / Marbles (Dsic.2)

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 間奏曲3「Marbles III」は、雨音みたいなピアノのモチーフにのってリズミカルに歌われる。マリリオンにしてかなりくっきりクリアな輪郭がある作品なのが珍しい。ちょっとバカラックみたいな感じもあるが、こういうのホーガスのセンスなのだろうか。
 ここからの第3部は比較的動的で親しみやすい曲が並ぶ。まず「The Damage」は、中期ビートルズみたいなサイケで、ちょっとひねったポップさがある。ホーガスがフィルセットになるあたりの展開がいかにもいかにもで楽しいし、後半の大仰なコーラスもそれ風だ。
 「Don't Hurt Yourself」も、60年代後半の香りがするフォークロック風な作品。アコギのストロークとスカスカなリズムセクションのグルーブ感がなんとも気持ちいい。

 「You're Gone」は、エレクトリックなリズムをベースにしたこの時期のマリリオンらしい仕上がりを見せた作品。マイナーで暗い抒情と不思議な高揚感が交錯している支配しているのがおもしろい。私自身は彼らのこういうサウンドは大好きなのだが、マリリオンのこうしたエレクトリックなサウンドは一般にはどう評価されているのだろうと思ったら、どうも本国では本曲はシングル・カットされて、マリリオンの久々のヒットとなっているらしい。
 一転して「Angelina」は、都会の場末のようなSEの後ジャジーなオルガンやギターなどフィーチャーして、序盤はアーシーなムードを演出しつつメロディックに進んでいく。中盤以降はディスク1のゆったりしたムードに回帰するが、きっとここで第3部は終了というサインなのことだろう。隠し味のアンビエント風味が心地よい曲だ。


 「Drilling Holes」は比較的ハード・ロックしたメインのテーマと暗鬱な悲しげなサビが交互に現れる。ちょっと一筋縄ではいかないような構成を持つ、様々な要素が現れては消えるような仕上がりになっている。ひっょとすると、このあたりで、主人公となる者の現実と追憶が混濁してくるのかもしれない…。ともあれそんなイメージをかきたてる曲だ。最後の間奏曲である「Marbles IV」は、ちょっとラウンジ風なアレンジで演奏される。
 「Neverland」は、アルバムの掉尾を飾る12分半の作品。ピアノとシンセ・オーケストラによる荘厳なイントロから、まさに「ブレイブ」を思わせるムードで、ホーガスが切々と歌う。中間部から後は、これまでの彼らにはあまり例がないような、ボーカル(ダブっぽかったりする)、バンド・サウンド共に、非常に重層的な組み立てられたかなり複雑なサウンドを展開しつつ、大河のうねりのような流れを感じさせながら、エンディングへ向かっていく。

 という訳で、このところ何度か繰り返し聴いている訳だけど、かなり味わい深い充実した音楽のように思うのだが、どうに全体がなかなか見えない音楽でもある。表層的にはかなり違うものの、こうした音楽的な歯ごたえは、まさしく「ブレイブ」のそれを思わせるもので、これはもうしつこくこれからも何度か聴いてしかないだろう。
 ちなみにシングルアルバムのヴァージョンだと、収録曲のテイク違いとかはなさそうだが、絞り込んだ曲数とメリハリある構成により、こちらはかなりとっつきやすい仕上がりになっているの注目されるところだ。彼らが公的にはシングル・ヴァージョンを残したのもなんとなく分かる気がする。

2010年5月27日 (木)

MARILLION / Marbles (Dsic.1)

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 「ブレイブ」以来の久方ぶりのコンセプトアルバムということで、ファンの間ではけっこう話題になった2004年の作品である。また、当初2枚組のフル・ヴァージョンとシングル・アルバムが同時に発表されたことでもいろいろ物議を醸し出したようだ。
 この2つのヴァージョンが、「本来シングル・アルバムであったものを2枚組に拡大したのか」「2枚組を凝縮して1枚にしたのか」、そのあたりの制作プロセスがよくわからないところもあるのだが、幸い私の手許にあったのは、既に市場に流通していない2枚組の方だったので、ここ数日、こちらをじっくりと聴いているところである。まず、第1部と第2部に相当するディスク1の方から聴いてみたい。

 アルバムはまず13分にも及ぶ「The Invisible Man」からスタート。前作までとはうって変わって、ゆったりとした大河的スケール進んでいく。もちろんこれまでの取り入れてきた様々な要素は加味しているが、この雄大な盛り上がりは、ある種の「先祖返り」を感じさせる。マリリオンというと金太郎飴サウンドなどと私自身形容しがちなのだが、こういうサウンドはしばらくやってなかったな…とつくづく思う。
 続く「Marbles I」は間奏曲風の作品。本作にはこの「Marbles」がアレンジされて4パターン入っていて、それぞれが間奏曲風の役割を果たしているようだ。ともあれ、その最初のものがコレである。トロピカルで珍しくジャジー雰囲気もあるボーカル作品になっている。

 「Genie」(シングル・アルバム未収録)はシンプルなビートにのった美しい牧歌ポップになっている。シングル・アルバムの方だとここには「You're Gone」が入り、アルバムとしてのメリハリ感を演出しているのだが、フル・ヴァージョンではこのまったりした曲で、いかにもまだまだ序盤という感じである。
 「Fantastic Place」は既視感を誘うような懐かしいムードに彩られたメロディックな作品。アンビエント・テクノ風な無機質ビートを隠し味に、徐々にサウンド厚くなり、そのピークでギターが登場する当たりの構成は見事。また、今時なサウンドの質感を漂わせつつも、全体としては70年代のシンガーソングライターの作品的な趣があるのは、ホーガスのセンスが出たからだろう。

 ここからが第2部というところだうか。まず「The Only Unforgivable Thing」(シングル・アルバム未収録)だが、これも実にゆったりした作品で、大海原を曳航するような広がりとスケール感を感じさせる仕上がりになっている。シンセの白玉にリラックスしたギター、ドラムも実にいいグルーブ感を出していて、ホーガスも実にナチュラルだ。後半は厚みを増しドラマチックに展開する。
 間奏曲その2である「Marbles II」はドリーミーというか、子守歌風なサウンドに乗って始まり、70年代っぽいサウンドへ発展してやがてメロトロンも聴こえてくる。ちなみに本作は現代の孤独の諸相をモノローグ的な楽曲と対比しつつ進んでいくらしいのだが、一連の「Marbles」がそのモノローグになっているようだ。

 ディスク1(そして第2部)の最後となる「Ocean Cloud」(シングル・アルバム未収録)は、とりあえず前半のハイライトとなる作品だろう。18分近い大作で、「プレイブ」の頃思わせる暗い重厚なムード、そしてホーガスのパッショネートなボーカルをフィーチャーして力の入った前半部分を形成、やがてギターソロが転調を重ねるあたりからいよいよプログレらしい展開を伴いつつ中間部へ突入。
 中間部はSEも挟んでスペイシーな空間を見せつつ上昇する感じで進んでいき、後半に差し掛かる骨太ロック風なサウンドになるあたり、まさに山あり谷ありのマリリオン・サウンドだ。もっとも曲そのもののが最高潮のテンションにまで至らないのは、アルバムの本当の山場はこの後…ということなのだろう。


2010年5月21日 (金)

PINK FLOYD / Obscured by Clouds(雲の影)

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 実は本作もこれまでほとんど聴いてこなかったアルバムだ。いや、全く聴いてこなかった訳でもないのだが、同時期の「おせっかい」や「狂気」に比べ、あまりにとりとめない内容に音楽的なとっかかりをつかめないまま、CDの時代に突入してしてしまい。LPは散逸といった、この作品もほとんど忘却の彼方…という経緯を辿ってように思う。
 本作のアウトラインだが、1972年、当時まっただ中だった「狂気」の録音を中断して、録音されたサウンドトラックである。あの頃のフロイドは「モア」(69年)、アントニオーニの「砂丘」(70年)のサントラを担当しており、本作もそうした流れで実現したものと思われるが、その後「狂気」のメガトンヒットもあって、フロイドが既成の映画のサントラを担当するのもこれが最後となった。

 内容的には前述の通り「狂気」の録音を中断して、2週間ほどで完成させたアルバムということで、かなりに散文的でリラックスした内容になっている(だからこそ昔は「とりとめない」と感じたのだろう)。イギリスではなくフランスで録音されたようだが、ひょっとすると、休暇を兼ねた気分転換みたいなセッションだったのかもしれない。
 音楽面では総じてギルモア色が強く、本作から数年を隔ててリリースされたソロ第一作に共通するような、比較的オーソドックスなブルースロック的なギター・フレーズや楽曲がけっこう出てくるのはおもしろい。当時のウォーターズはおそらく「狂気」のことで頭が一杯だったのだろうから、ここでの存在感の薄さはなんとなく解らないでもないが、あの時期、そしてこういう局面なら、がんばりを見せそうなリック・ライトの意外にも影が薄いのはどうしたこのなのだろう。バンド内でそろそろバンドのウェイトが低くなって現れということなのだろうか。

 最後に収録曲をメモってみたい。1曲目のタイトル・トラックではシンセの重低音にのって官能的なギターがフィーチャーされるが、ほとんど当時のフロイドがスタジオで行っていたジャムのような雰囲気であり、本作ではそうした雰囲気の曲がけっこう多い。2曲目「When You're In」もほぼ同様、6曲目の「Mudmen」はライトのフィチャーされた「狂気」のデモみたいなインストだ。オーラスの「Absolutely Curtains」は、まさにジャム風で、60年代後半のスペイシーなフロイドをもう一度思い出しているような曲でもある。
 ちなみに、本作は即席レコーディングなせいか、オーバータブがほとんどなく、その分ニック・メイソンのドラムがやけ生々しく聴こえる。やはりこの時期のフロイドといえば、様々なメルクマールはあると思うが、このとっ散らかったドラムも重要なフロイドのポイントだったと思う。それが生き生きと収録されている本作は、そう意味でも貴重な作品といえる。

 一方、ボーカル入りの曲としては、3曲目の「Burning Bridges」で「おせっかい」の旧A面にでも入っていそうな曲で、ギルモアとライトをフィチャーしている。「The Gold It's In The...」は、フロイドを逸脱してほぼギルモアのソロといってもいいようなロック色が強い作品。4曲目の「Wot's... Uh The Deal」はこれも「おせっかい」の作風に近いフォーク風な作品。7曲目の「Childhood's End」はギルモア色が強いブルース・ロック的な作品だが、リズムなどを始めとして「タイム」を思わせる部分もある。
 8曲目の「フリー・フォア」は当時シングル・カットされた作品で、そこそこポップな趣きがある明るい仕上がり。当時はムーグの低音が、凄まじく破壊的に鳴り響いていたような記憶があるが、今聴くときっちり音楽的なロジックにおさまっているは妙だ。9曲目「ステイ」は当時のウォーターズとライトの作風なしっくりと融合したような作品で、「狂気」のボツ作品のような雰囲気である。

2010年5月16日 (日)

TANGERINE DREAM / Live In Croydon`75 Pt.2-3 (The Bootleg Box Set.1)

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 パート2は、シンセの白玉にのってアコスティック・ピアノが入る。「リコシェ」や「アンコール」でお馴染みのものである。タンジェリンがいつから、そして、どんなきっかけでアコスティック・ピアノを導入し始めたのかはよくわからないのだが、おそらく導入はこの時期であることに間違いあるまい。ついでにそのきっかけとなったのは、想像だが、やはり当時一世を風靡していたキース・ジャレットにあるのではないだろうか。冒頭からインプロ風につま弾くところなど、その影響は明らかという気がするのだが....。
 さて、それがしばらく続くと、例のシューベルトみたいなトラディショナルなフレーズが登場する訳だ。このフレーズをフローゼは気に入っていたようで、その後何度も使い回すことなる。このアコピのパートはアルバムだと、こうした部分はほんの刺身のツマくらいのスペースしかさかれていないが、実はこういう風に延々とやっていた訳だ。

 5分ほどしたところで、一旦、シーケンサー風のリズムが登場して、お得意のパターンへと発展すると思いきや、いったん静まり。またして抒情的な空間に舞い戻ってしまうが、このあたり、当時のタンジェンリンが本当にインプロでステージをやり繰りしていたことを物語る展開だと思う。やがて鼓動のようなリズムが聴こえてくると、メロトロンのクワイア、SEなどが絡み、本格的にリズムが始まる。このパートではバウマンが手弾きしたパターンを主体にした、まさにリズムのつづれ織りのような、「エキサイティングなテリー・ライリー」の如き音楽であり、「リコシェ」そのものといった音楽になっている(ちなみに、録音したテープが30分だったからだろうか、最後に欠落があるのは、なんとも残念だ)。
 ちなみに子細に聴き比べた訳ではないから、断言はできないが、どうやらパフォーマンスの一部が「リコシェ」にも使われたようで、フローゼのギター・パート以降のかなり部分は、そのギターやシンセのフレージングからしてほぼ同一ソースのようにも聴こえる。ともあれ、この狂おしいまでのテンションは、まさにもうひとつの「リコシェ」といっても過言ではない仕上がりである。

 パート3は前パートの続きなのか、アンコールなのか判然としないが、おそらく前者なのであろう。前パートのテンションそのままで、シンセによるリズムの饗宴になっているが、後半多少疲れてきたのかテンションが落ち気味なのが残念だが、バウマンのイマジネイティブなキラキラするようなシーケンス風フレーズなど聴きものである。
 という訳でこのパフォーマンスは、「リコシェ」リリース時のタンジェリンが、実際のステージではどうだったのか知る上で、貴重なものであることは間違いない。わずか半年前のライブはおそるおそる使っていたという感じのシンセのリズムがここではメインとなり、初期の幻想的な音響がこのリズムの引き立て役みたいに変化していったことも良く分かるし、その後彼らがここで作り上げたいくつかのパターンを、自ら構造化させていく歴史を考えれば、その意味でも貴重な記録というべきだろう。

2010年5月15日 (土)

TANGERINE DREAM / Live In Croydon`75 Pt.1 (The Bootleg Box Set.1)

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 こちらは前回取り上げたロンドン公演から半年後の1975年の10月23日のパフォーマンスである。冒頭は一聴して誰でも驚くだろう。なんと「リコシェ」の同一のリリースの長いシンセ・ベース風の音が鐘のように鳴り響くあのパートの「元ネタ」である。「リコシェ」ではすぐさまリズム・ボックスのようなサウンドが重なって入ってきたが、ここではそれは入らず、比較的なだらかな起伏でこれが3分ほど続くことになる。「リコシェ」というアルバムがいかにも様々な音源を持ち寄って作られた仮想ライブだったことがよくわかろうものだ。
 この後はシーケンサー風なリズムが導入される。ここは「リコシェ」の元ソースではないようだが、かのアルパムの旧A面にそっくりな、バウマンの手動シンセベース・リズム+フランケのSE風シンセ+フローゼのギターでぐんぐん盛り上がっていく、全盛期のタンジェリン特有のあのサウンドである。スピード感あるリズムの元で、ギターのエロティックなフレーズが空間的なシンセの絡みあい、狂おしく上り詰めていくように展開していく様は全く素晴らしいものだ(オーディエンス録音風な音質なのがちと残念だ)。

 後半はリズムは次第静まるものの、狂おしいテンションはそのままシンセの乱舞状態になり(かなりのトランス状態)、それがしばらく続くと、次第に抒情味を増したムードが立ちこめていく。やはり「リコシェ」の旧A面のラストや「ルビコン」のオーラスに近い雰囲気である。やがて冒頭に聴こえてきたリリースの長いシンセ・ベース風の音も登場すると、ムードは桃源郷風なものとなり、静かにこのパートを終える。
 こうして聴いていくと、このパート1は大筋としてはほぼ「リコシェ」の旧A面の流れと同じだということがわかる。ただ「リコシェ」のような圧倒的な起伏、情報量はここにはなく、淡々とシンセでインプロを興じているという風情であり、ある意味「やはりライブでは、こんなもんだったのか」という感もするくらいだ。やはり「リコシェ」というアルバムは、実に様々なソースが総動員された結果、あの凄まじい音楽になったということなのだろう。ともあれこのパート1のパフォーマンスは約20分、半年前に比べれれば、シーケンサー風のリズムがより大きくフィーチャーされ、バンド全体のテンションがより上がってきていることは感じさせるのは確かだ。

2010年5月13日 (木)

PINK FLOYD / A Momentary Lapse Of Reason

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 ご存じ再結成フロイドの第1作である。87年の発表だから、ギルモアのソロ第2作「狂気のプロフィール」の3年後のということになる。個人的な印象としてはもっと間隔があったような記憶もあるのだが、意外に短かったのだ。この3年の間にギルモアはソロ・アーティストとしては、思ったほど成功を獲得することが出来ず(ロジャー・ウォーターズも「ヒッチハイクの賛否両論」で同様の経過を辿る)、結局というか、早々と「自分の立脚点はあくまでフロイドのギタリストが基本」という結論に至ったのだろう。「狂気のプロフィール」という作品は音楽的なクウォリティは高いし、仕上がりそのものも悪くはないと思うが、やはりあの作品には圧倒的に「音楽的な動機」が不在だったと思う。

 再結成フロイドを企画するに当たって、ギルモアがウォーターズに声をかけたのかどう
か私はよく知らないが、いずれにしてもウォーターズは不在のまま、フロイドはほとんどギルモアとボブ・エズリンのプロジェクトのような形で進んでいく(ニック・メイソンやリック・ライトがかつてのアルバムのように本作に関わっていないのは周知の事実)。なんのことはない、端からみれば本作はほとんど「狂気のプロフィール」の続編のように制作されたのだ。ただし、それは端から見ればの話で、当然ギルモアの内部ではその事情は全く違っていたのであろう。なにしろ、今度は「狂気」や「ウォール」を作ったフロイドという看板を実質的にひとりで背負うのだ。しかも、ウォーターズというコンセプト・メーカーは既にいない。そのプレッシャーたるや並大抵のものではなかったはずだ。

 こうしたプロセスで出来上がったこの「鬱」というアルバムは、「狂気」から「アニマルズ」までのフロイド作品で、ギルモアが関わったであろう部分の総決算のような仕上がりになった。意味深なムード、浮遊感、エレクリックな空間、また一方でエッジの切り立った重量感のサウンドやブルージーなムードといった具合である。以前に書いたとおり、フロイドはこうしたサウンドを「ウォール」以降ほとんど切り捨てていたが、87年といえばニュー・ウェイブ以降のサウンドが一段落した時期であり、あまたのバンドが再結成していたり、見直されたいた時期であったことも追い風となって、このアルバムのサウンドは当のウォーターズから「イミテーション」といわれ、ある種のファンからは「焼き直し」と非難を浴びつつも、大成功を収めることになる。

 実際、このアルバムは良く出来ていると思う。とくに旧A面の5曲は「狂ったダイアモンド」を思い起こさずにはいられないイントロダクションの「生命の動向」、続く「狂気」あたりのダークなサウンドを思い出させる「幻の翼」「戦争の犬たち」の完成度の高さ、「理性喪失」と「現実との差異」と披露されるフロイドらしからぬ伸びやかなでダイナミックなサウンドは、どれも秀逸としかいいようがない仕上がりで、個人的には「最良のフロイド」のひとつに数えたいくらいである。また、旧B面で比較的長目の3曲をインターリュードのような短い曲で繋げた組曲のような構成も、多少間延びした感もあるが悪くない。ともあれ、フロイドはこうしてウォーターズからギルモアへと主権移譲がなされたのだ。それはもう歴史になったともいえる。そのあたりで起きたメンバーの相克も含め、個人的には興味がつきないアルバムである。

2010年5月 7日 (金)

MARILLION/Anorak in the UK

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 2002年発表されたマリリオン4作目のライブ。最近のメジャー系バンドはブート対策なのか、新作を発表してツアーを敢行すると、間髪入れずにライブ盤を出すことが多い。以前はバンド活動の区切りだったり、ベスト盤的な体裁だったりしたものだが、現在は現況報告というか、ダイアリー的なものに様変わりしつつあるようで、マリリオンも本作あたりからそういう傾向を見せるようになったと思う。
 とはいえ、本作は直近の近作3作を中心にセレクトされた2枚組で、確かにこれまでと同様なベスト盤的な体裁もあるが、従来のようにアルバム・リリース毎に行われた各々のツアーからの選りすぐりベストテイクを集めたのではなく、2002年に行われたAnoraknophobiaツアーの3公演(+α)というシンプルな構成になっているあたりにそれを伺わせる。次の「Marbles」以降はスタジオ盤の後はライブ・アルバムというパターンがほぼ定例化していることを考えると、やはりこのアルバムあたりがきっかけとなっている気がしないでもない。

 さて、内容だが「Anorak」から「Separated Out」、「marillion.com」から「Rich」といういささか地味だが、彼らとしてはハードなナンバーからスタートする。マリリオンはイギリスのバンドらしく、ライブでも基本的にスタジオ版に忠実な演奏するバンドだけど、この2曲は尻上がりに調子を上げていくという感じで、3曲目の「千の顔を持つ男」あたりで絶好調、かなり盛り上がりを見せる。
 お次の「クウォーツ」はやはり「Anorak」からの作品だが、ライブだけあって、モズレイのドラムが大きくミックスされて、アンビエント的なスタジオ版とはちと違う趣きになっていて、ライブらしい豪快なノリのサウンドが楽しめる。モズレイの単調なドラミングに耐えて耐えて、ここ一発で炸裂するバンド陣のテンションは素晴らしい。
 ディスク1の後半になると、多少時期を遡って、1990年代中盤くらいナンバーを連打。全体な雰囲気もゴシック的なプログレ色も強まり、「Afraid of Sunlight」で盛り上がった後、いかにも第一部終了って感じで、「ブレイブ」から「Mad」が出てくるあたりの呼吸がいい。一瞬にして「ブレイブ」のあの世界につれていかれてしまう。このあたり、良い意味で、金太郎飴なマリリオン・ワールドも実はゆっくりと変化していったことを実感する場面だ。

 ディスク2はやはり「Anorak」から「Between You」からスタート。スタジオ版のピアノとは異なるSEの導入で始まり、全編に渡りライブっぽい感興に満ちた演奏で、かなりノリノリな演奏になっている。続いては「ブレイブ」のハイライトを飾る感動の名曲「The Great Escape」が唐突に登場。オーディエンスの大合唱が聴こえるが、この曲はこういうお膳立て聴いても、やはり人を感動させるオーラのようなものを感じる。
 中盤になると再び「Anorak」から「If My Heart」が始まる。異色なボサ・ノヴァ風のイントロからヘビーなリフ、そしてプログレ的展開へと山あり谷ありのサウンドだ。バンドの屋台骨を支えるイアン・モズレイのドラムは重厚そのもの、かつて所属したウルフやトレースとはかなり異質なドラミングになってしまったが、中間部のテクノ風な音楽での変わり身の早さなど、やはり実に素晴らしいものを感じる。
 続く「Waiting to Happen」は「楽園への憧憬」から曲だ。名曲「Easter」と同タイプの抒情的な佳作なのだが、オリジナル・アルバムでは地味なポジション故に目立たない作品になってしまっているが、このライブで見直した人も多いかと思われる雄大な演奏である。幕間的な配置の「Answering Machine」を経て、ご存じ「Afraid of Sunlight」からの名曲「King」をドラマチックかつシンフォニックに演奏して幕となる。

 アンコール的に収録された2曲はボーナス・トラック扱いだろうか。ここまでの音源とは別のスタジオ・ライブを使って、「Anorak」からの「This is the 21st Century」「When I Meet God」が収録されている。前者はアンビエント風味一杯のアシッドな趣きが強く、後者はマリリオンらしいトラッドな抒情とテクノ風な部分を違和感合体させた作品だが、ここではほぼオリジナルに準じた演奏になっている。個人的にはどちらも大好きな曲なので、ここに収録されているのはうれしいが、会場が小さいせいか、オーディエンス・ノイズがほとんどなく、まさにスタジオ・ライブといった風情であり、それまでとは音の質感がちと違うので多少違和感を覚えないでもない。やはり、ボーナス・トラック扱いなのだろう。

2010年5月 5日 (水)

the NICE/Live at the Fillmore East Dec 1969 (Disc.2)

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01. カントリー・パイ
 収録時期が近いのか、「5つの橋」収録のライブ・ヴァージョンにほぼ準じた演奏で、途中のバッハの「ブランデンブルグ協奏曲」の引用も全く同じアレンジで登場している(そえいえば録音バランスもほとんど同一だ)。全体のノリとしては、当時採用されただけあって「5つの橋」の方がいまひとつ上という気もするが、それほど劣る訳ではない。また、当時はかなり型落ちのスタイルにはなっていたが、B.デヴィッドソンのドラムが素晴らしく、こういうドラミングを聴くにつけ、彼はカール・パーマーより優れたドラマーだったのではないかと思ってしまう。

02. 5つの橋
 オケがいないせいか、唐突に第1パートのカデンツァ風のピアノから始まり、すぐさまナイスだけの第2パートへと突入する。演奏そのものの内容はオリジナルに比べて、テンションもパワーという点でなんら遜色のない優れたものである(というかオリジナル収録とそれほど月日が隔たっていないのだろう、ほぼ同一といっても内容だ)。第3パートのコラールではオケがいない分エマーソンがオルガンでそのパートをカバーしている。ちなみに途中でスウィッチするのは無理だったのか、ピアノによるジャジーな部分はそのままオルガンで演奏している。第4パートのフーガ(F.グルダ作のお馴染みのもの)は目の覚めるようなピアノ演奏、ちゅっと音像が遠いのが残念だが目の覚めるような演奏である。ラスト・パートは第2パートの再現で、オリジナルだとここでオケとの共演となり賑々しく盛り上がるのだが、それがないため、エマーソンはオルガン・ソロであれこれがんばるが、全体の印象としてはほとんど第2パートの繰り返しになってしまっている。第3パートと併せて、オケが居ないのが惜しまれる点である。

03. 夢を追って
 「エレジー」では十数分間に渡る長尺演奏だったが、こちらは7分半くらいで終わるコンパクトな演奏、しかもメインのキーボードはピアノではなくオルガンとなっている。前曲ではしっかりピアノが入っているから、このステージでピアノが調達出来なかったという訳でもあるまい。当時は出たトコ勝負でいろいろなアレンジでやっていたということなのだろうか(まぁ、そういう時代でもあったが)。エマーソンはテーマ部分は教会オルガン風に厳かな演奏で開始、中間部はアドリブはジミー・スミスばりのエキサイティングなプレイへと発展していく。ともあれ、このオルガン版「夢を追って」は、かなりレアな演奏である。

04. 「カレリア」組曲から間奏曲
 この曲はナイスの第2作「少年易老学難成」に最初のヴァージョンが収録され、それはトリオによる演奏だった。次に第4作「5つの橋」にはオケ付きのライブ・ヴァージョンが収録されているから、今回のヴァージョンはナイス初めてのトリオによるライブ・ヴァージョンということになる。この曲については、一番最初のスタジオ・ヴァージョンは全体にちと低回というか、どうもこれといって山場のない演奏だったのが難点だったのだが、それを一気に払拭したのが「5つの橋」に収録されたライブ演奏だった。この演奏はさすがに「5つの橋」の収録日に近かったせいか、スタジオ・ヴァージョンに比べれば、はるかにメリハリがあるものなっているが、やはり「5つの橋」のテンションにはちと及ばない感もある。例によって、エマーソンのオルガンは冒頭から饒舌そのものだが、フリースタイルの中間部ではいささか間延びしてしまった。

05. アメリカ
 「エレジー」収録の同曲演奏は実に壮絶な演奏でまさにエマーソンの青春の記念碑ともいえる演奏だったが、こちらもそれに迫る素晴らしいテンションを感じさせる演奏だ。テーマが終わった後に展開されるソロ・パートは、途中「アメリカ国歌」やホルストの「惑星」(同じステージのクリムゾンの対抗したのかな-笑)なども引用しつつ絶好調である。ただし、前曲で既に似たような技を披露してしまった後だったからなのか、途中恒例のオルガンとの格闘がなく、中間部のパフォーマンスを短く切り上げて、全体としては7分半くらいで終わらせてしまっているのが残念といえば残念である。

06. 戦争と平和
 オリジナルはデビュー作「ナイスの思想」に収録されていたサイケ調な曲で、ディスク1の「リトル・アラベラ」などと並んで「へぇ、こんな曲もやっていたのか」的な珍しい選曲。演奏はオルガンを中心としたフリー・フォームで始まり、ファンキー・ジャズ風な本編に突入する(リズムがGoGoなのがいかにも1967年という時代を感じさせる)。途中、「マイバック・ペイジ」やELPの「ブルース・ヴァリエーション」などでお馴染み、キース・エマーソン・アラ・J.スミス的なソロがたっぷりフィーチャーされていて、例によってバッハを引用するなど楽しい仕上がりになっている。

2010年5月 4日 (火)

the NICE/Live at the Fillmore East Dec 1969 (Disc.1)

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 最近発掘されたらしいフィルモア・イーストでのライブ音源。ありがちなブート起こしなどではなく、きちんとしたSB録音である(8トラックの模様)。69年12月といえばナイスがこのフィルモアでキング・クリムゾンと遭遇した時期でもある。当時、クリムゾンでベースとボーカルを担当していたグレッグ・レイクがキース・エマーソンと意気投合し、ELP結成に突っ走るのは周知の事実だが、いずれにしても、この時期のナイスはエマーソンのミュージシャン・エゴが異様にふくれあがった状態であり、それに拮抗するには他のふたりがいささか役不足になりかけてもいた。いわばバンド内部的からみても、既に解散直前でもあった訳だ。ELP結成後に発表された「エレジー」には、エマーソンの独演会と貸したライブが数曲収録されていたが(このアルバムと「エレジー」には同一テイクはない)、このアルバムはその時期のナイスのステージをほぼフルに収録されたものとして注目できるものだ。いったい、ナイス最終期のライブとはどんなものだったのか。


01. ロンド
 お馴染みの汽笛からスタート。私のような世代だとこのイントロはむしろELPでの印象が強いが、ナイスの時代から既にこれをやっていた訳だ。同曲は3作目でもライブにも収録されていたが、あの時のパフォーマンスに比べ、よりスピード感が増しドライブした演奏で、エマーソンはまさにこの時期ならではの縦横無尽のプレイをしている。「ロンド69」からわずか一年にも満たないはずの演奏だが、それだけエマーソンのエゴが急激に膨張していたということであろう。もっとも、その後のELPでの「ロンド」を知っている人間としては、これでも十分に端正な演奏に聴こえもするが。ちなみに3作目では入っていたイントロでの「イタリア協奏曲」の引用はここではない。そのかわりといってはなんだが、途中で「夢見るクリスマス」でお馴染みのプロコフィエフの「キージェ中尉」がかなりしつこく引用されている。

02. 少年易老学難成
 原曲は第二作の「少年易老学難成」のB面を使い切った大作だった。オーケストラと初共演ということでも注目される作品だが、このステージではオーケストラなどいる訳もないので当然トリオでの演奏である。演奏としては、序盤のフリー・フォームな部分は、ドラムソロなども含め延々と展開されるが、こういうのは69年という時代のライブでは当たり前のことだった。やがて、リーのボーカルをフィチャーしたメインの主題が登場、この部分はオリジナルをほぼ敷衍したアレンジになっている。次もほぼオリジナルと同様にラテン・リズムにのったソロの展開となるが、これが盛り上がったところで、ちょいとバッハ(「トッカータとフーガ」)を引用して、そのまま終わってしまう。オリジナルではこの後のバッハのブランデンブルグ協奏曲第3番の第1楽章をアレンジして、全曲のクライマックスとなるのだが、それが演奏されないのはいかにも残念だ。オケが居なくもやった例はあると思うので、ひょっとするとアメリカのオーディエンスでも意識したのかもしれないが。

03. リトル・アラベラ
 ナイス初期のサイケの流れを汲んだ不思議ポップ系とでもいえる曲(第2作に収録)。エマーソンのミュージシャン・エゴが膨張しきった解散直前の時期とはいえ、延々とインプロの垂れ流しばかりをやっていた訳ではなく、こんなポップな曲もやっていた訳である。もっとも、ソロやバッキングで聴こえるオルガンはいかにも饒舌で長いが(極めてジミー・スミス風、ついでにバッハも登場する)、全体としてはぎりぎりスタジオのアレンジに忠実な演奏となっているのも意外だ。ついでにいえば、オリジナル通りエマーソンが途中でちゃんと歌っているのは笑ってしまった。

04. シー・ビロング・トゥ・ミー
 第3作にも収録されたディランの曲。ナイスはこのとりとめもないディランの曲を素材としてよほど気に入っていたのだろう。近年行われたナイスの再結成でも取り上げていた。周到なのか、適当なのかよくわからないアレンジは前回と同様たが、「ロンド」同様、オリジナルより、テンポをいくらか早めてメリハリある演奏になっている。エマーソンは例によって饒舌の極み。途中はE.バーンスタインの「荒野の七人」、バッハの「無伴奏ヴァイオリン組曲」、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」などを引用をしつつ、オルガンとの格闘に突入していく(「エレジー」での「アメリカ」と同パターン)。終盤はラロ・シフリンの「スパイ大作戦」の引用しつつエキサイティングに展開。オリジナルではバッハの引用で律儀に終わっていたのに比べると、かなり違う趣向になっている。

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● 愚にもつかぬ つぶやき