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2010年4月

2010年4月28日 (水)

DAVID GILMOUR / About Face

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 前作から6年後に発表された84年セカンド・ソロ作品。この間にフロイドは実質解散状態となっていることもあって、おそらくギルモアとしても、本作でソロ・アーティストとして独り立ちを期しての作品だったんだろう。プロデュースにボブ・エズリンを招聘し、随所に当時の「売れ筋」の要素を取り入れ、「フロイド的楽屋落ち」でない音楽を作ろうとしている意欲を感じる作品になっている。個人的には初めて聴くことになる作品だ。

01. Until We Sleep
 いきなりテクノっぽいリズムで始まるのが意外。本作の2年後に出ることになるウォーターズの「Radio K.A.O.S.」も冒頭はテクノっぽいリズムで始まったが、当時はこういうリズムがいかにシーンを席捲していたかがよく分かる気もする。ただし、曲そのものはどちらかといえば牧歌サイケみたいな雰囲気で、このリズムとシンセ・オーケストレーションでモダンな味付けをしたのは、おそらくアン・ダッドリー(アート・オブ・ノイズ)だろう。

02. Murder
 序盤はフォーク風なアコースティックな趣き。基本的にフロイドの音楽というのは、こういう曲に思わせぶりな浮遊感だの、正体不明な重厚さだので飾り付けたようなものだったんだろうな…などど思いながら聴いていると、中間部以降では本当にそういう展開になってしまう(笑)。これで鄙びたオルガンがシンセに変われば、おそらくこのサウンドは再結成フロイドの音(「戦争の犬」あたりか)にかなり近くなりそうだ。

03. Love On The Air
 これまでのギルモアにはあまり見られなかったポップで明るい作品。こういうほのかな希望を感じさせるようなタイプ曲は、フロイドというバンドの性格上、これまでほとんど無縁だったが、本作以降の再結成フロイドなどでもちらほら見せるようになる。コーラスの部分などもギルモアの趣味がよく出ている。

04. Blue Light
 ギターのリフにファンキーなブラス・セクションが絡み、フュージョン風なシンコペ・リズムと、もろに84年という時代を反映した作品で、ギルモアがこういうリズムを使うのはけっこう驚きだが、単に日和ってるだけではなく、ギターのリフはクリムゾンの「ディシプリン」も思い出させたりもして、けっこうおもしろい。後半で聴けるオルガン・ソロはジョン・ロードだろう。

05. Out Of The Blue
 これも3曲目の「Love On The Air」と同様、フロイド解散後のギルモアらしさが出た作品。壮麗なオーケストラ・サウンドとアコピでもってナチュラルなサウンドを作りつつ、ギルモアがストレートに歌い、全体としては曙光を思わせる希望感がある音楽になっている。これもまた、再結成フロイドにかなり近いサウンドになっている。

06. All Lovers Are Deranged
 こちらは旧B面1曲目となるのだろうか。気分が変わって、かなりストレートにロックした作品になっている。本作では全体に「ギルモアの新機軸」が目立つが、この曲は前作に共通するオーソドックスなロック・ナンバーになっている。ギターワークもけっこうワイルドで、ポール・マッカートニーの「Run Devil Run」でのプレイを思い起こさずにはいられない。

07. You Know Im Right
 ミディアム・テンポでいささかブルージーに進む作品。この曲ではエズリンのプロデュースがやや過剰だったのか、はたまた「ウォール」的な大仰なサウンドを狙ったのか、よくわからところもあるが、どうも様々な音楽的要素がいたずらに交錯しすぎてしまい、おそらく狙ったハズたったポップさが、どこか空転気味な気がしてしまう。大仰さがおもしろい曲ではあるのだが。

08. Cruise
 こちらはビートルズ風というかポールっぽいテイストを感じさせる、トラッド風味なかなり珍しいタッチの作品。前作ではオーバー・プロデュース気味だったエズリンだが、この曲では彼の巧みな交通整理が効を呈して、ある種の軽みを帯びたポップさがとても気持ち良い音楽になっている(後半のレゲエ風なところなど)。もっとも、フロイド的なギルモアからかなり離れてしまってもいるのだが。

09. Let's Get Metaphysical
 重厚なオーケストラ(アン・ダッドリーが編曲したのだろうか)にギルモアらしい泣きのギターが絡んで進む雄大なインスト作品で、まるで映画音楽のような雰囲気もある。このやや暗鬱さを感じさせるギターは、雰囲気的には再結成フロイドそのものである。

10. Near The End
 6分近い、本アルバムでも最長な曲である。ベースとなっているのは、やや暗目のアイリッシュ・トラッド風な曲だが、それに重くのしかかるような雰囲気やスペイシーな空間を加味して、全体としてはややトリッキーなサウンドに乗せて歌った曲になっている。また後半のギター・ソロへの段取りなど、再結成フロイド的そのものといった曲になっている。

という訳で、前作がフロイド以前のギルモアの音楽をベースにしつつ、それまでの活動の総決算みたいな作品だったとすると、こちらは確実に「フロイド以降のギルモア」を目指した作品といっていいだろう。このままソロ活動をやっていたら、どんな風に彼の音楽が展開したのか、けっこう興味深いところだが、3年後にはフロイドを再結成し、本作を叩き台にした「鬱」を作るのは周知のとおりである。

2010年4月25日 (日)

CAPABILITY BROWN / Voice

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 これ20年振りくらいに聴くんじゃないのかな。キャパビリティ・ブラウンは、私くらい世代のプログレファンにはなかなか忘れられないバンドである。それともいうのも、このアルバムは日本で発売された1977年といえば、ELP、ピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾンといったメジャーなプログレ・バンド以外のアルバムが大量に紹介されていた時期であり、このアルバムもフォノグラムから出たプロフェッショナル・コレクションの第一弾として発売されたように記憶している。
 記憶によれば、これと同時に発売されたアルバムは、ベガーズ・オペラの「宇宙の探訪者」やオルメの「フェローナとソローナ」、そして「ジェネシス・ライブ」といったものだったはずで、今から考えてもかなり渋い選定である(当時のジェネシスはそれほどメジャーではなかった)。まぁ、ジェネシスやオルメはともかとしても、ベガーズ・オペラとこのキャパビリティ・ブラウンについては、そのバンド名すら初めて聞くという全くの無名なバンドであった。しかも内容はガチなプログレというよりは、B級なブリティッシュ・ロックに分類されるべきアルバムだったのである。

 それでも、ベガーズ・オペラの「宇宙の探訪者」はまだ「マッカーサー・パーク」というとんでもないプログレ名曲をフィーチャーしていたからまだ良かったが、このキャパビリティ・ブラウンは、基本的にトリプル・ギター、ベース、ドラムス、ボーカルという6人編成でメンバーに多数はボーカル兼任という、一瞬フォーク系と思わせるコーラス・バンドであり、プログレというにはあまりに家内手工業的、フォークやトラッドというにはコーラスがやたらとテクニカル過ぎる、なおかつオーソドックスなロック・バンドというにはあまりに手が込んでいるという、分類好きにとっては落としどころがないボーダレスな音楽を展開していたのだ。
 それでもA面の4曲はまだオーソドックスであった。1曲目はアフィニティの同名アルバムから、そして3曲目の「Midnight Cruiser」は意外にもスティーリーダンのデビュー・アルバムのカバーであり、前者はオリジナルより「軽く」アレンジし、後者は逆に「重厚に」アレンジしているが、いずれも分厚いコーラスをフィーチャーした比較的スタンダードなブリティッシュ・ロックであり、2曲目はテンポの良いフォーク・ロック風、4曲目は典型的なブリティッシュ・ハードといった感じバラエティは感じさせるものの、同様な趣きを感じさせる音楽であった。

 ところが、様相が一変するのがB面の組曲なのである。キャパビリティ・ブラウンは専用のキーボード奏者がいないバンドのようだったが、冒頭からシンセ、チェンバロ、ピアノによるクラシカルでシンフォニックなムードで堂々の序奏部をつくり、次第に楽器を厚くしながらそのピークでギターが哀愁の旋律を泣きまくるという、もうプログレとしかいいようがない展開になるのだ。この第一部が一段落すると、今度は分厚くテクニカルなコーラスがアカペラが展開されると、リズムが加わりオーソドックスなフォーク・ロック風な音楽となるが、途中にトラッドなどに寄り道しつつ、流れるように展開していく構成はジェネシスの「サパーズレディ」を思わせる巧緻さがあり、まさにプログレ的醍醐味を味わせる。
 中盤はいったん静まり、やはりコーラスをフィーチャーしつつ、ファンタスティックな音楽な展開していくが、途中、メロトロンの大洪水!を挟んで、フォーク・ロック的なオーソドックスなスタイルでしばらく進み盛り上がると、再び一転してハードなスタイルにチェンジ、途中、ジャジーなムードなどにも色目を使いつつ、ドラマチックなハイライトを形成し、やがて冒頭のテーマが回帰していく。素晴らしい構成力としかいいようがない

 そんな訳で、このアルバムB面の異様なまでのプログレ風味は一体なんだったのだろうか。おそらくこのバンドはいわゆるプログレ・バンドではなかっただろう。1973年という時代の趨勢からして、器用なバンドがたまたま当時のトレンドだったプログレ風なスタイルに挑戦しただけ....といった見方も出来ると思うが、それにしてはこの組曲を聴いていると、GG、マイク・オールドフィールド、ジェネシス、M&Gといったバンドが走馬燈のように頭をよぎったりして、そのコアっぷりはちと出来過ぎなような気がする。
 ともあれ、当時これを聴いてやけに興奮した私は、イギリスには未だこんな凄いアルバムが、きっと沢山埋もれているのだろうと、金の鉱脈でも見つけたような気分になったものだった。もう30年以上も前の話である。

2010年4月22日 (木)

DUNCAN MACKAY / Chimera

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 知る人ぞ知るキーボード奏者といえるダンカン・マッケイが、1974年に残したファースト・ソロ・アルバムである。彼は南アフリカ出身なので、本作は渡英する直前に母国で録音されたものらしい。本作がどの程度有名なのか、私にはよくわからないが、彼は渡英後コックニー・レーベルに参加中に残した「スコア」は、ほぼリアルタイムで国内発売されたこともあって比較的知名度が高いものの、本作に至ってはほとんど知られていない「埋もれた作品」だったと思われる。
 なにしろ、70年代の終わり頃にジョン・ウェットン、アンディ・マカロック、メル・コリンズ等豪華メンバーを率いて制作された「スコア」を聴いて、あまりのすばらしさに驚喜して、彼の名前を注意深くチェックするようになった私ですら、このアルバムの存在は近年まで全く知らなかったのだから、後は推して知るべしという感じであろう。

 さて、本作だがダブル・キーボード+ドラムスというトリオ編成での演奏で、基本的にはゴードン・マッケイ(弟?)がベーシックなパートをピアノ系の楽器で担当し、ダンカン・マッケイはその上を縦横無尽に走りまくるというグリーンスレイドばりのスリリングなスタイルで演奏されている。1曲目の「Morpheus」はとりあえずボーカルをフィーチャーした作品にはなっているものの、勘所はエレピ+ハモンドオルガン+ドラムスのアンサンブルでもって、目まぐるしいほどのリズム・チェンジとナイスやエクセプションを思わせるフレーズで埋め尽くされていて、典型的な鍵盤プログレになっている。
 また、驚くのは2曲目の「12 Tone Nostalgia」で、なんと全編に渡って次作の「スコア」使われる旋律がフレーズが散りばめられているのは驚いてしまう。まさに次の大傑作「スコア」の予告編かような作品になっているのだ。もちろん「スコア」のような完成度はなく、ホーム・デモのような仕上がりなのだが、ひょっとすると、「スコア」をプロデュースを担当したジョン・ウェットンはこの曲に目をつけて、数分ずつの曲にバラした上で交通整理をして作り上げたのではないか、などと推測したくなるような実に興味深いトラックになっている。

 3曲目は多分旧B面を使い切った20分の組曲で、雷鳴のSEから始まるドラマチックな大作になっている。特にテキスト化されたようなストーリーはなさそうだが、1曲目同様、激しいリズム・チェンジとクラシカルなムード、テクニカルなフレーズがつるべ打ちされた、ちょうどレフュジーがやった組曲のような、典型的な鍵盤プログレの様相を呈している。ダンカン・マッケイのキーボードは、リック・ウェイクマンな賑々しいフレーズとパトリック・モラツ的名技性、そしてジャズ的なムードなどヴァーサタイルなプレイに特徴があり、それは次の「スコア」で全面的に開花する訳だけれど、この組曲でもそれが十分に堪能できる。むしろグリーンスレイドにも迫ろうかというダブル・キーボードなスタイルの分、プログレ度は強いくらいである。
 という訳で、これはなかなかの傑作だ。完成度としては次作に遠く及ばないものの、この執拗なまでの鍵盤へ執着ぶりはマニアならニヤリとするところだろう。また、いかにもマイナー・レーベルでの録音しました的なナロウでモコモコした音質も、ユーロ・ロックのレア盤らしい雰囲気があって楽しいものだ。

2010年4月21日 (水)

The EXPLORERS / Live at the Palace

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 先日、エクスプローラーズの復刻盤を購入した後、いろいろ調べていたところ、こんなライブまで出ていたことを知ったので購入してみた。1997年に出たのものらしいのだが、私でさえ今頃になって気がつくくらいだから、当時、おそろしく地味に発売されたのだろう(まぁ、フェリーならいざ知らず、エクスプローラーズのレア・ライブなど、たいした商売にならないだろうから、まぁ、いたしかたないが-笑)。クレジットを見ると1984年にテレビ番組用に収録された音源らしく、ファースト・アルバムから作品を中心に12曲がピックアップされている。メンツはレギュラーの3人は不動だが、サポートはさすがにスタジオ盤のような豪華なメンツという訳はいかず、ドラムスがブレア・カニンガム(ポール・マッカートニー・バンドで有名)、ベースがジョン・マッケンジー、ニック・グラハムという中堅どころになっている。

 さて、演奏だがイギリスのバンドらしく、非常にスタジオに忠実で(開幕はデビュー・アルバムの1~2曲目をそのまま再現する)、端的にいって堅実そのものな演奏である。ロキシーはライブでもほとんどソロ・パートの垂れ流しなどしないバンドだったし、ギターにせよ、サックスにせよ、ボーカルのバックでヘンテコだが、妙にセンスのいいフレーズを入れるあのパターンで演奏され、表向きライブの中心はジェイムス・レイスのボーカルになっている。彼のボーカルはフェリーのそっくりさんなどといわれたりもしたが、私はあまり似ているとは思えない。彼の声はフェリーに比べ、もう少しシャープでスリム、クセのあるポップさというよりは、もっとオーソドックスなタイプで、ちょうどマリリオンのスティーブ・ホーガスなどと共通するような中庸感があるボーカルだと思う。
 なので、こうしたライブではフェリーとの差異がはっきりするとともに、逆にこの手の賑々しいバックの真ん中に収まるには、ちと存在感が弱いようなところも露呈してしまっている。個人的には決してきらいなタイプではないし、そもそもこういう人はたいていの場合、アルバムを重ねることによりジワジワと存在感が上がってくるタイプなので、このプロジェクトが継続していけば、それこそ今のスティーブ・ホーガスのような存在になったとも思うのだが....。

 収録曲は前述の通り、デビュー・アルバムからの曲が大半だが、ロイ・オービンソンの「イッツ・オーバー」を全くのアヴァロン・サウンドでカバーで再現しているのがおもしろい。私の大好きなマッケイ作のド演歌バラード「ユー・ゴー・アップ・イン・スモーク」はジェイムス・レイスが切々と歌う熱演だし、マンザネラも珍しくブルージーなギターで間の手を入れたりしていてけっこうな聴きどころになっていると思う。スタジオ版以上にオールディーズ風味を強くした「ソウル・ファンタジー」も楽しいし、12曲目の「ミロのヴィーナス」とあるが、前半は「アウト・オブ・ブルー」がフルコーラスで入っているのは驚き。エクスプローラーズがどの程度ステージでロキシーの作品を取り上げたのか定かではないが、おそらくこの曲くらいのものであったのだろう。その意味ではレアな演奏だ。続く「ミロのヴィーナス」はエクスプローラーズでもっとも初期型ロキシーを感じさせる曲なので、その意味では違和感も全くなく、この2曲で最後は大きく盛り上がる。

2010年4月18日 (日)

PINK FLOYD / The Wall(その2)

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 旧C面、第3部はアルバムのハイライトであろうか。物語的には徐々に壁を作りその中で閉塞状況に追い込まれていく主人公を表現しているのだろうが、音楽的にはお馴染みの曲が両端に配置されていることもあり、内面を扱った場面であるにもかかわらず、とっつきやすい仕上がりになっていると思う。この面の構成は、おおまかにいえば「Hey You」、そして「Is There Anybody Out There」から始まる10分近い組曲、そして「Comfortably Numb」という3部に考えると、分かりやすいかもしれない。
 「Hey You」は一見AORとも云われかねないバラード・タイプの曲で、後半さりげなくフロイド的に重厚なサウンドに展開していくあたりはさすがだが、同時に第3部のプロローグにもなっている。「Is There -」に始まる4曲は、これ自体ひとつのセグメントとして捉えた方がいいだろう。その中心となるのは「Nobody Home」と「Vera」という内省的な曲だが、この両端にはSE、間奏曲なインストがサンドイッチされ、更には「Bring the Boys Back Home」のラストではきちんと「Is There -」のコーラスが再現されてもいて、音楽的にもきちんと帳尻を合わせているところでも明らかだ。
 「Comfortably Numb」はこの最終地点に現れる訳で、その感動もひとしおだ。この曲はライブでも単独で演奏されるが、やはりこうした構成の中に配置されてこそ....という感もなくはない。これだけ刈り込まれた音楽の中で、ギルモアのギターがこれだけフィーチャーされているということは、バンド自身ここがハイライトとしたかったことの現れだ。

 旧D面、第4部は主人公の閉塞状況が臨界点に達する前半と、その結末たる後半という2部構成だろうか。「Show Must Go On」「In the Flesh」はアルバム冒頭の再現部に当たる(前者は「Thin Ice」に相当する)。再現される順番が逆なのは、この作品の結末を思えば必然ともいえる構成なのだろう。
 そしてその果てに登場する「Run Like Hell」は暴走自我を表現したともとれるような曲だが、刹那的なディスコビートやリフにのって進むその音楽は、主題が再現された後でもあり、私にとってはなにやら映画のエンドタイトルのようにも聴こえる。ミュージカルでいえば、物語が終わり出演者が舞台に総登場して手を振りながら歌うような感じとでもいったらいいか。ジェネシスでいえばちょうど「It」のような感じである。ともあれ、物語的に、これは劇中劇のお終いといったところなのだろう。
 後半は「Waiting for the Worms」は、主人公の屈折しつつ膨張した内なるファシズムを表現している曲なのだろう。ミリタリー調の楽曲に何故かビーチボーイズ他のコーラスをのせることで、その屈折した状況を音楽的にもよく表現している。途中、「Another Brick in the Wall」が再現するのは、主人公の「壁」の内と外ということなんだろう。「Stop」と「Trial」は、間奏曲とオペレッタ風な法廷場面の音楽で、物語的には要するに「おまぇ、外に出ろや、ゴルァ」ってところか。そして、壁は破壊され、主人公は外に出るが、なんとそれは元の場所だったという結末が来る。アルバム冒頭の牧歌風なSEの再現され、「ドグラマグラ」みたいな円環構造の完成するという訳である。

 という訳で、このところ何度か集中的に聴いてみた印象のようなものを、ツイートのログを元にメモしてみた。個人的には主人公の円環構造を暗示する結末は、なんだか、ありがちなラストのように感じてしまったもするのだが(「Run Like Hell」で、突き放したように終わってしまうのもありだと思う)、ともあれ、その手応えと重量感はさすがであった。ディテールに至るまでよく考え込まれ、一見「ありきたりな音楽」を装いつつ、実は巧妙にフロイド的音楽が織り込まれていたことが発見できたし、なんといっても、随所に優れて音楽的な手応えがあったことを認識できたことは、個人的には非常にうれしかった点である。
 なにしろ「ウォール」発表後、30年という年月を経ってしまった訳だから、この巨大な音楽が今更好きになれたといっても、遅きに逸したところはないでもないが、音楽の嗜好はほぼ固定化して、「駄目なものは駄目」みたいな頑なものになりつつある現在、こうして苦手なものを克服できるということは、やはりうれしいものである。昔はこんなことは日常茶飯事だったのだが…。思えば長い道のりであった。

2010年4月17日 (土)

PINK FLOYD / The Wall(その1)

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「ファイナル・カット」同様、このスタジオ盤はずいぶん久しぶりに聴く。昔はほとんど全くといっていいほどピンと来るところがない音楽だったが、先にライブ盤を聴いていたことが効を呈したのか、今度はかなり印象がいい。また、先日聴いた「ファイナル・カット」はウォーターズのソロ作品そのものといった感じだったけど、こちらは非フロイドのメンバーも大量に参加した大規模なプロジェクト作品という性格を持ちつつも、しっかり「フロイドの音楽を聴いている」感じがするのもいい。この時点ではギルモア(メイスンも)がフロイドに対して、音楽的アクティビティをもっていたからだろう。
 とはいえ、このスタジオ盤聴いて気づくのは、大半の曲が一見普通なロック・スタイルで演奏されている点だ。ボブ・エズリンによるかなりの刈り込み作業があったことね歴然としているし、彼らにして、そこまで「かみ砕いた音楽」に駆り立てた動機とは一体なんだったのだろうと、聴いていると改めて思ってしまう。当時のブログレというスタイルがなかば陳腐化してきたことによる時代の要請だったのか、ウォーターズが構想したコンセプトがそもそもこういう音楽スタイルを要求したのか、はたまたあまりにもふくれあがったマテリアルをコンパクトにするための措置だったのか…。おそらく、それら全てだったのだろう。

 アルバムはハードなギルモアのギターがフィーチャーされた「In the Flesh?」のからスタート。このあたりサウンドは直近のギルモアのソロ・アルバムからのフィードバックも感じるが、あまりくどくど展開せず、すぐに刺激的なSEが入って次にさっさと以降して行く。次の「Thin Ice」は後半こそフロイド的なサウンドで盛り上がりるものの、やはりさっさと終わってしまう。この部分はギルモアもメイスンも実にフロイドしているから、私みたいなロートルだと「もっと長く聴かせろ!」と思ってしまうのだが(笑)、このあたりの踏ん切りの良さこそ、79年という時代の産物だったのだろうと思う。
 続く3パートからなる「Another Brick In The Wall」組曲?は、イントロ的なパート1、SE「The Happiest Days Of Our Lives」を挟んでのパート2と非常にテンポよく進んでいく、なにしろパート2など基本的には当時隆盛を誇っていたディスコ・サウンドに接近したものであり、当時の私はこれに激しい違和感を覚えたものだが、よくよく聴くと中間部のギターはソロではフロイド的なサウンドに回帰して、しっかりバランスをとっているあたりは巧みなブロダクションという他はない。また「Mother」はアナログ盤での旧A面のエンディングとして置かれた曲だと思うが、フロイド流の牧歌フォークをベースに、これまでとはやや異質な空間を形成している。エレクトリックな流れはこれで一旦終止符をうち、最後にアクセントを持たせているという感じだ。また、第一部の終わりに相応しい盛り上がりをも見せてもいる。この起承転結感覚は絶妙である。

 第2部は「Mother」の流れを受けてアコスティックな「Goodbye Blue Sky」で開始される。こちらは「おせっかい」の頃を思わせるギルモア主導の不思議系フォークな作品で2分程度の曲で、これなど71年だったら、あれやこれやとこねくり回しこの倍の時間はかて演奏していたであろう。だが、これも次の間奏曲風な「Empty Spaces」にさっさと移行してしまう。「Young Lust」は前者は直近のギルモアのソロに入ってそうなハードでポップな曲でリズム・パターンは典型的なAORのそれだったりして、今聴くと可笑しいが、実は意外にもフロイド的なサウンドである。が、これもまた3分半程度で切り上げて、次に移行する。このあたりはロック・スターとなっていく主人公の幼年期の走馬燈的エピソードを通じ、主人公の壁が形成されていくプロセスを表現ということになるのだろう。
 「One of My Turns」はスペイシーなSEの後、「ふと我に返った」的主人公の内省的な心象が歌われた後、リズミックな展開となる。3分程度の曲だが実質的に3つの曲が内包されていて、これも10年前のフロイドなら7,8分くらいかけて大規模なメドレーで演奏したと思われるような情報量をコンパクトにまとめている。きっと、ボブ・エズリンがかなりハサミを入れたに違いない。続く「Don't Leave Me Now」はシュールな光景を歌っている。ウォーターズお得意のスペイシー・サウンドで、ドラマ的には主人公の変転を表現している部分らしいが、詩がわからなくてもそういう流れが感得できるのは、音楽がそれだけ優れているからだろう。曲の後半では典型的なフロイド・サウンドとなり、人間らしい情緒が戻ってきたところで、一気に流れが速まり「Another Brick In The Wall」の再現、そしてエンディング的モノローグである「Goodbye Cruel World」がそれぞれ短く演奏されて、第二部終了のエンディングとなる

2010年4月16日 (金)

SECRET GREEN / To Wake The King

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 一般的にエニドの全盛期といえば、やはりデビュー作から第4作目ということになると思う。もちろんその後も「ザ・スペル」とか「ホワイト・ゴッデス」といった傑作と呼べるアルバムも少なからず発表はしているのだけれど、それらの作品に対して「何かが足りない」と思ってしまうのも確かなのである。では、第4作目以降のエニドが失ってしまったものとは何か?。もちろん、いろいろな考え方があるとは思うが、その大きなものはやはりフランシス・リカーリッシュなのではないだろうか。彼が初期のエニドで何をやっていたのか、実はよくわからないところもあるのだが、ある種の退廃的で耽美的な文学性だとか、マーラーからほとんど引用といいたいような影響(これはゴドフリーにもあるが)、謎解きのような仕掛け、そしてある種のコンセプチュアルやムード的な部分(第1作の「最後の審判」、第2作の裏ジャケに掲載された詩)といったものは、実はリカーリッシュに負うところが大きかったではないかと、私は思ったりしているのだ。

 さて、このアルバムはそんなリカーリッシュがリーダーとなって結成されたシークレット・グリーンのアルバムである。この30年の間、彼が何をやっていたのか私は全く知らないし、どうして今頃になってこんなバンドを結成したのかも良く分からないが、とにかく本作は初期のエニドのコンセプトをある意味継承する形で作られた音楽になっている。バンドはリカーリッシュの他、元エニドのウィルアム・ギルモア(key)、ヒラリー・パーマー(Vo)の3人にギターとドラムを加えた5人組で、ゲストにこれまた元エニドのデビッド・ストーリー(ds)や、なんとロバート・ジョン・ゴドフリーその人の名前まで見えるからおもしろい。音楽的には、もちろんゴドフリーが居ないのだから、エニドのサウンドとは微妙に違うが、本家と同様に疑似管弦楽をベースにしたクラシカル・ロックで、随所に全盛期のエニドに近いあの香りが感じられるのはなんともうれしいところだ。また、女性ボーカルをフィーチャーし、全体的に中世風な香りが強いところはエニドにはあまりない部分である。

 アルバムはワーグナーの「ラインの黄金」の序奏部のような雄大な幕開けで始まり、マーラーの交響曲第3番の第4楽章の引用、「死の舞踏」、またエニド時代の楽曲も多数引用しているあたりは、非常にエニド的な部分であり、ロック・ビートにのってうねるようなギターで繰り出されるフレーズは全くもってエニド的なものである。ただし、疑似管弦楽の編曲はエニドとは違っていて、金管や木管系がシミュレートが重視され、ストリングス系はエニドほど執拗な感じはなくあっさりしている感じだ。また、トラッドな女性ボーカルを随所にフィーチャーして中世風に典雅な趣きに接近するところが多数あるが、これはおそらくリカーリッシュがエニドでやり損ねたところだったと思う。
 そんな訳で全体としては、女性Voが入った「アルビオン・フェアー」って感じだろうか。リカーリッシュも歳をとったせいなのか、聴く前に期待したようなかつての耽美さ、退廃美といったものはそれほどでもなく、この点では少々肩すかしだった。ひょっとするこうした部分は、やはりゴドフリーのセンスだったのかもしれないな....などと今になって思い直したりもしているのだが。

2010年4月12日 (月)

TANGERINE DREAM / Live In London`75 Pt.2 (The Bootleg Box Set.1)

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 続いて、第2部を聴いてみた。このディスクには約40分に渡る本編(a~c)、そしてアンコールとおぼしき10分のパフォーマンスが収録されている。さすがに後半だけあって、「ルビコン」や「リコシェ」のB面と同様、かなりハイテンションなリズムで、ホットかつ大いに盛り上がる音楽になっており、編集なしで多少は間延びしているところはあるものの、当時のタンジェリンに心酔した人なら、かなり楽しめるバフォーマンスになっていると思う。

Part:2_a
 第2部はシンセの分厚い低音から動きの少ない瞑想的な音響からスタートし、SEとリズムの中間くらいのゆったりとしたパルスみたいなシンセ音、そして「ルビコン」風な桃源郷サウンドに発展していく。このあたりは「ルビコン」や「リコシェ」がすぐそこにあるという感じの全盛期のタンジェリンらしいサウンドだ。ちなみに、あくまでも、想像だが3人の大まかな役割分担としては、低音やパルスがフランケ、メロトロン、ストリング・シンセはフローゼ、きらきらするようなシンセ、高域SEがバウマンといったところか?。音楽がやや不穏ムードを増したところでパート2へ以降する。

Part:2_b
 こちらはメロトロン(クワイア)の荒涼とした響きが主体になり、前半は鳥の鳴き声みたいなシンセ音、後半はメロトロン(フルート)、ギター風なシンセなどが随時アクセントになって進行する。全体としては「ツァイト」の頃を思わせるようなSF的な響きだが、抒情的な趣きもある。聴きどころとしては、後半のメロトロン(2台?)が重層的な響きわたるところで、このあたりは最高にファンタスティックというか、奈落の底に延々と落ちていくようなイマジネイティブな場面となっている。

Part:2_c
 ここでようやくシンセのリズムが登場。低音の煽るようなリズムにパルス風なサウンドが重なるかなりアグレッシブなリズム(これも手弾きと思われる)で、途中、様々なリズム的なSEが加り、なにやらインド音楽のラーガの如きテンションで延々と進んでいく様は、即興とはいえ見事な構築力を見せつける。「リコシェ」のB面の中間部などは、おそらくこうしたパートから選りすぐって構成されたものなのだろう。エレクトリック・サウンドとはいえ煽るようにテンションが上がっていくホットな展開はやはりタンジェリンが「ロック・バンド」であったことを思い出させる。
 十数分に渡るリズム・パートを経た後は、メロトロン(フルート)、ストリング・シンセなど効果的に使ったお得意の抒情的な空間になっている。私の聴く限り、このステージから音源は採用されていないようだが、「リコシェ」のラストとほとんど同様な音楽となっている。

Part:2_d
 「d」はおそらくアンコールなのであろう。嵐のようなノイズにのって、ちょっとファンキーなリズムが繰り出させれる。そういえば、はるか後年に「ロゴス」にこんなリズムが繰り出される部分があった。さて、本編はアンコールなだけあってかなりテンポ良く進み、リズムもかなり小気味よい(シーケンサーが併用されているのかもしれない)。おそらくアンコールはこのパターンが多かったのだろう。後で「リコシェ」を聴くと、B面の中間部には、このパターンで行われた他日のアンコール部分と思われる部分が、実に効果的にインサートされていたことがよくわかる。

2010年4月11日 (日)

TANGERINE DREAM / Live In London`75 Pt.1 (The Bootleg Box Set.1)

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 先日取り上げたタンジェリン・ドリームの公式ブートボックスから、今日は75年4月2日のロンドン公演のパートを聴いてみた。前回も書いたが、この時期のダンジェリンはまさに全盛期であり、しかも75年4月といえば、おそらくは「リコシェ」の素材となったテープを回していた時期になるハズなのである。「グレイテスト・ヒッツ・ライブ」というか再構成された産物であった「リコシェ」に対して、「本当はどんなパフォーマンスを展開していたのか?」を知る意味でも、とても興味深いソースである。CDを聴く限り、このステージは2部構成で、前後ともに50分程度のパフォーマンスだったようだ。とりあえず、今回はその第一部のみを取り上げてみる。

Part:1_a
 導入は、この時期のタンジェリンらしい不穏な音響に始まり、そこに鳥のさえずりを模したようなやや耳障りなシンセ音が絡みつつ進行。やがてサウンドはクラスター的に重層化されていき、から異次元トリップ風な趣に展開。この部分はおそらくフローゼとバウマンがメインの音響を担当し、フランケはより効果音的な部分を担当しているのだろうと思われる。再び鳥のさえずり風なシンセが登場すると、バウマンの弾くメロトロンのフルートがフィチャーされたややミステリアスな音楽となり、このまま「ルビコン」を思わせる彼岸というか桃源郷風なサウンドへ変わっていく。このあたりのプロセスは非常にイマジネイティブなであり、当時のオーディエンスはさぞやトリップできだたろうなぁと思ったりする。

Part:1_b
 前パートからそのまま続く「b」は4分ほどの短いパートだが、特にここだけ独立した印象がある訳ではない。音楽的にはちょうど「リコシェ」の最終パートのようなコラール風な抒情的空間で、後半にはメロトロンのクワイア(合唱)が大活躍するのはいかにもタンジェリンらしい展開である。ちなみにこの時期の彼らのライブはほとんど即興だったようだが、この後、それはどんどん構造化していき、最終的にはほとんどスコアリングされたような音楽になっていく。ここで聴けるパートなども、その後のライブでは定番として現れるものだ。

Part:1_c
 前パートのムードをそのまま引き続き、華麗なるメロトロンの乱舞に乗って、いよいよシンセ・リズムが登場する。リズムそのものはシンセ・ベース風なシンプルなもので、タイプとしては「ルビコン」や「フェードラ」のA面を思わせるものだ。なお、この時期の彼らは一応シーケンサーも使っていたようだが、ここで聴けるリズムはおそらくバウマンによる手弾きでろう(微妙にリズムの位相をズラしているし、よれているところもある)。他のパートは-あまり根拠のない推測だが-、パーカス風な音を絡めるのがフランケ、メロトロンがフローゼといったところだと思わせる。ともあれ、全盛期のタンジェリン・ドリーム・サウンドであり、後半に行くにしたがって、上り詰めるようにテンションが上がっていく、そのパフォーマンスはさすがというしかない。

Part:1_d
 リズムが一段落すると、なにやら異次元空間を突破していくようなスペイシーさを感じさせる、ホワイト系や粒子系のノイズ、メロトロンが乱舞する音響となる。後半は再び「リコシェ」や「ルビコン」の終盤を思わせる抒情系な音響空間が展開され、そのまま第1部は幕となる。なので、この「d」パートは結果的に、パート1の後奏というかエピローグとも呼ぶべき役割だと思うのだが、それにしては14分という演奏時間はやや伸ばしすぎな感もなくはない。「リコシェ」ではこれに相当する部分は数分で切り上げていたはずで、こういう編集の妙こそが、「リコシェ」がいかにも傑出したパフォーマンスに感じさせたマジックの一端だったんだろうと思う。

2010年4月10日 (土)

PINK FLOYD / Final Cut

Finalcut

 ピンク・フロイドの「落ち穂拾い」シリーズ?として、昔、聴き逃した作品をこのところ思いつくままに聴いているところだが、このアルバムも多分四半世紀振りくらいに聴いた作品である。この作品、発表当時にLP盤で聴いているはずだし、それからも何度となく耳にもしているいるハズなのだが、既に何度も書いているとおり、この時期のフロイドは70年前半までのフロイドとはあまりにかけ離れた、「ウォーターズの音楽」になってしまったことに対する拒否反応を近い物を感じたせいで、これらの作品は全く縁遠い作品になってしまっていた。ところが、先日の「ウォール・ライブ」やウォーターズのソロ作は、今聴いてみるとなかなか良い感触があり、その勢いにのって?本作も聴いたみたという訳である。今回も自分のツイート・ログを元にその収録曲をなぞってみることにしたい。


01 The Post War Dream(3:00)
 冒頭のラジオ風なSEはウォータースの十八番。そこから幼年期の光景を追想するような幕開けは、マイケル・カーメン(バロン、未来世紀ブラジルなど)編曲による壮麗なオーケストラも加わって、いかにも「壮大な最終章の序奏」という雰囲気を醸しだし、なかなか感動的だ。ただし、ここには旧来のフロイド的な屈折も浮遊感は既に既になく、あるのはウォーターズの私的な空間である。ちなみに昔はそれが気にくわなかったのだが。

02 Your Possible Pasts(4:26)
 この曲など、その後のウォーターズが展開することになるなアーシーなブルース色がちらほら出ている(同時に70年前後の脱色フォークの思い出せたりする)。ここぞというところで急激にテンションの上がるボーカルはいかにもウォーターズ節といった感じだが、この部分は全編を貫くテーマとしてアルバムに何度か登場する。途中でギルモアのギターが出てくるが、私などここでようやく本作がフロイドだったことを思い出したりする。

03 One Of The Few(1:11)
 アコギのつまびきとSEを背景に、モノローグ風に歌われる曲で、一種の場面転換の音楽。全体としては、「ウォール」的な閉塞感に囚われた主人公の心情を描写しているようである。時計のSEと遠近感がヘッドフォンで聴くと絶妙。

04 When The Tigers Broke Free(3:16)
 ボーナス・トラックとしてCD化に際して付加された曲。私はアナログ時代にこの作品に馴染んでいなかったので、ここに曲がプラスされることに違和感はないが、旧来のファンにとってはどうなのだろう?。本作は大戦中に亡くなったウォーターズの父親に捧げられた作品とのことだけど、そういう苦いノスタルジーが良くでている。カーメンのアレンジによるオーケストラとコーラスがスケール感を演出した、映像を喚起させる仕上がりである。

05. The Hero's Return(2:43)
 5曲目にしてようやくバンドらしいアンサンブルを感じさせる曲が登場となるが、とりたて目立つインスト・パートがある訳でもなく、これもどちらかといえば、いささか散文的な間奏曲風なもので、2分半強で終わってしまう。

06 The Gunners Dream(5:18)
 これもその後のウォーターズを感じさせるゴスペル風味を匂わせた曲で、途中、ボーカルからサックスへのリレーションにニヤリとさせられる。それにしてもフロイドはもちろん、そのメンバーのソロ作品に至るまでこの時期の作品というと、みんな絵に描いたようにサックスを入れたがるのは何故だろう?。ともあれ傷ついた者が振り返る過去の憧憬みたいなイメージはなかなか感動的だ。オーケストラのアレンジと同時にピアノも担当しているらしいカーメンは見事なリック・ライト役を努めている。゜

07 Paranoid Eyes(3:41)
 これもモノローグ風なボーカルをフィーチャーしたゴスペル風な曲で、多分、アナログ時代だとこれがA面の最後だったのだろう。ノスタルジックなSEとオケが雰囲気を盛り上げる。ただし、前曲もそうだったが、ここではギルモアもメイスンもほとんど不在の音楽になっている。

08 Get Your Filthy Hands Off My Desert(1:17)
09 he Fletcher Memorial Home(4:12)
 前者はSEも曲自体も前曲のムードを引き継いで始まる。室内楽風なバックにのって歌われる第2部の導入的作品。後者はウォーターズ版「エリナー・リグビー」というか、クラシカルなオーケストラに乗ってかなりオペラ的なドラマを感じさせる仕上がりになっている。このアルバムで展開されているドラマを私は全くわからないが、叫ぶウォーターズの切迫感はなかなかだし、それを受けて活躍するオーケストラ、そしてココ一発的に登場するギルモアのギターは感動的だ。

10. Southampton Dock(2:10)
11. The Final Cut(4:45)
 ちょっと初期のフロイド流フォークを思い出させるアコースティックな仕上がり前者は、やはり場面転換的な間奏曲といえるだろう。タイトル・トラックはその後のウォーターズのアルバムの終盤に共通するような、「ドラマが終わって日常生活に戻る安堵感」のようなものが感じられる曲調で、これはじわじわと盛り上がり、例の爆発音でピークに達するドラマチックさもあいまって、なかなか感動的な仕上がりになっている(ギルモアのギターも気張っている)。私はこのアルバムを聴いて、その内容をほとんど覚えていなかったが、この曲はかろうじて覚えていた。

12. Not Now John(4:56)
 これは映画でいったら、ドラマの終わりを受けたエンドタイトルみたいなものだろうか?。本作では異質なくらいバンドっぽいアンサンブルで仕上げられ、突き抜けたムードも感じさせる(「One Of The Few」が再現されるが)。また、リードボーカルはギルモアが一部担当している。もっとも、女性コーラスはこれ以降のウォーターズのソロでのパターンに準じたアレンジだが。

13. Two Suns In The Sunset(5:23)
 これも本作では数少ないフロイドを感じさせる作品。ちょっと「炎」の時期の彼らを思わせるムードもあるが、ドラマ的にはこの曲はどういう案配なのかよくわからないところもある。「ウォール」もそうだったが、ドラマらしいドラマが終わっても、かなり延々と注釈しているというか、エンドタイトルの後にもうひとつエンドタイトルがついたような、ちょっとすっきりしない感がなくもない。

2010年4月 7日 (水)

STEVE HACKETT / Darktown

Darktown


 スティーブ・ハケットもほぼ10年分未聴アルバムを溜めてしまった。彼の場合、ジェネシス・トリビュート・アルバム、来日、そしてEMIから出たクラシカルな「真夏の夜の夢」、そして本作あたりまではなんとか追いかけたが、その後、ライブ音源を大量に発掘したから縁遠くなってしまったような気がする。今、彼のウェッブサイトで調べてみたのだが、その間に出たアルバムは、持っているものもあれば、存在自体を知らないものまで、計6,7枚はあるようで追いつくのが大変だ。いや、単に購入して持っているだけでもいいのだが、こういう昔からお馴染みさんというか、自分の音楽感を育ててくれたアーティストともなると、やはりその恩義から?、きちんと音楽を聴いてあげたいという気持ちも強い。購入して一回聴いて「あっ、このアルバム、こういう感じね」と、済ませてしまいたくないのだ。

 さて、この「ダークタウン」だが、リアルタイムではあまり聴いていないような気がする。なにしろ冒頭の「Omega metallicus」がまずかった。ストロングでアシッドな打ち込みビートがいきなりフィーチャーされ、「あれ?、今度のハケット日和っちゃった??」みたいな感じだったし、次の「Darktown」も彼のモノローグ風なボーカルをフィーチャーしたかなりエキセントリックなサウンドになっていてすっかり当てられてしまったからである。スティーブ・ハケットという人は実にいろいろな音楽的引き出しをもっている人だから、このアルバムの場合、レギュラー・アルバムの途中でたいてい出してくるエキセントリックな凶暴系サウンドを、たまたま冒頭からやっているだけということは考えられるし、今を聴けば特にこのアルバムだけが特異ということもなくもないのだが、やはり、冒頭2曲にこれを持ってきた効果は強烈であった。なので、私にとってこのアルバムはどうも手を出しにくいアルバムになってしまったのだ。

 ところが、このアルバム何度か聴いていると、くだんの2曲を通り過ぎでしまうと、実はこの意外にも佳曲揃いなのことに気がついたりする。3曲目「Man Overboard」は陰影の飛んだアコスティック・バラードだし、5曲目はトニー・バンクスのアルバムにも参加していたジム・ダイアンドのボーカルをフィーチャーした「The Golden Age Of Steam」は壮大の夕暮れみたいな美しさがある作品、6曲目の「Dreaming With Open Eyes」は場違いなボサノバのリズムが不思議に気持ち良く、7曲目「Twice Around The Sun」とラストの「In Memoriam」はハケットのギターとメロトロンをフィーチャーした雄大なシンフォニック作品(後者の聖歌のようなコーラスと哀感はなかなかだ)という具合で、傾聴すべきところや聴かせどころは沢山あるのである。しばらく前にTwitterで話題になり、それがきっかけで聴いてみたのだが、聴くほどに「あれ、こんなに良かったけかな」、「あぁ、自分はどうしてこんなおいしいところをこれまで聴き逃していたのだろう」と感心してしまうくらいなのである。

 どうやら、この作品、特定のストーリーかアルバム・コンセプトのようなものがあって、それを敷衍した音楽をやった結果、こういう独特な構成、雰囲気になったのだろうが、その良さを体感するには、やはり多少は聴き込むという作業が必要....ということを痛感した。昔は「聴き込む」なんてのは、当たり前のことだったが、世の中がどんどん刹那的になり、今や音楽にしろなんにしろ、すぐに快感を感じられないものはすべからくダメみたいな風潮になっているから、こういう作品はなかなか評価されないのだろうなとも感じた次第であある。いや、人のことは全然とやかくいう資格はなんだけど。

2010年4月 6日 (火)

EGG / egg

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 エッグはかのデイブ・スチュアートとモント・キャンベルを擁し、カンタベリー系としては珍しくクラシカルな色彩を色濃く出していたバンドとして、60年代末期から70年代初頭にかけて活躍した名バンドである。彼らの音楽は大局的にいえば、クラシカル・ロックという形容すべきものだったが、例えば同時期に似たようなことをやっていたナイスやエクセプションといったバンドとは、全くといっていいほど雰囲気の異なるものだった。このあたりを評して、当時、たかみひろし氏はライナー・ノーツで「ロックをクラシックっぽく演奏するのがナイスやエクセプションで、エッグはクラシックをロックっぽく演奏している」旨のことを書いていたように記憶しているが、今から考えるとこれは間違いではないとしても、実は肝心の点を見落としていたようにも思う。

 それは、エッグというバンド....いやモント・キャンベルというべきだろうが、ともかく自分たちがターゲットとするクラシックの作曲家が他のバンドとは、全く違っていたという点である。彼らの音楽はナイスと同様、バッハを素材とすることもあったけれど(デイブ・スチュアートの趣味だった可能もある)、その多くはスラヴィンスキーを筆頭とする20世紀の音楽を、バンドの音楽的素材として大胆に持ち込んでいたということである。この傾向は1975年に一時的にエッグを復活させた時に制作された3作目の「The Civil Surface」に大胆に明らかになっているが、1作目の「交響曲第2番」、2作目の「小品第3番」といった大作にも色濃く漂っていて、非抒情的でメカニックな雰囲気、モダンな和音や調性感、奇妙なユーモア、幾何学的に作られたリズムといった点などは、同時代のいかなるバンドとも違う、独特な音楽至上主義的な佇まいというか、シリアスさのようなものをこのバンドに与えていた。

 さて、このデビュー・アルバムであるが、今回のリマスター化(2008年)に際して従来のヴァージョンから大きな変更というか、追加がある。それはオリジナル・ヴァージョンではカットされていた「交響曲第2番」の第三楽章が復活していることだ。当時は第二楽章に続いて収録されていたコラージュ風な「ブレーン」が、第三楽章に相当するものだとばかり思っていたが、実はちゃんと存在していたという訳である。問題の第三楽章は、なんとストラヴィンスキー「春の祭典」の「春のきざし」を額縁にして、ホルストの「惑星」の「海王星」をトリオ風にいれるという引用で彩られた、スケルツォ楽章なものであった。そういえば、オリジナルLPの裏ジャケには「春の祭典」がどうのこうの書いてあったようにも思うが、実はこのことだったのかと聴いて納得した次第である。ともあれ、これが復活したことで、この曲の交響曲としての体裁は形式的には更に整ったことだけは間違いない。まさに原典版の復活である。

 ただし、この第三楽章、おもしろいはおもしろいのだが、正直いってカットも致し方ない出来だったとも思う。「春のきざし」のリズムを使うのはいいとしても、やや使いあぐねて鈍重なものになっているし、そこから「天王星」というのもやや唐突感があり、全体としては冴えない感じがしてしまうのだ。おまけに「ブレーン」で散々効果音をぶんまわした後に、このリズムでは、構成上「ロックはどっかに行ってしまった」感じはするのも問題であったのだろう。ともあれ、「ブレーン」が終わると、カットインして第四楽章が始まるというのは、実に絶妙なハサミの入れ方であったと思う。もっとも、私のようなロートルは旧版があまりに刷り込まれているから違和感を覚えるのであって、今から聴くならより重厚さが増したこちらを聴いて方が良いと思うムキもあるかもしれない。完全版でこの曲を初めてこれを聴いた人に、ぜひ「カットの是非」について意見を聞かせてもらいたいところだ。

2010年4月 2日 (金)

The Best of MARILLION

The_best_of_marillion

 彼らのベスト盤というのも、既にけっこうな種類もあるのと思うのだけれど、今夜聴いているのは2003年に出たものである。92年の「A Singles Collection」はフィッシュとホーガスのボーカルが交互に出てくる構成を取り、97年の「The Best of Both Worlds」では2枚組でそれぞれのディスクに歴代ボーカリストを割り振っていたが、今回のディスクはシングル・アルバムで、旧マリリオンのを8曲、そして現在の布陣によるものを10曲で計18曲を選び、ほぼクロノジカルに並べる構成をとっている。気がつくのは、フィッシュ時代の曲がいよいよ半数を割り込んできたこと。まぁ、マリリオンはこのメンバーで、フィッシュ時代を倍の年数、アルバムをリリースしている訳だから、当然といえば当然であるが、やはりフィッシュ時代の音楽というのは、それだけこのバンドにとって重い物があるのだろう。

 さて、本作だがこれまでのベスト盤もそうだったように、アルバム未収録のシングル・ヴァージョンを主体にした構成になっているのがうれしいところだ。マリリオンのアルバムは大抵重厚でトータルな趣があるので、シングル・カット向けな曲は、けっこう埋もれ気味になっているところがあるのだが、こうしたスナップ集みたいな構成で、彼らの比較的ポップな曲がつるべ打ちされるのは、なにしろ気軽に楽しめるのがいい。また、ショート・ヴァージョンにはいつものマリリオンとは違った側面が見えたりして、それを発見するのもまた楽しいところだと思う。
 例えば、「美しき季節の終焉」に収まっていたポジションがあまりに地味だったためイマイチ目立たなかった「Hooks in You」はこういうアルバムでは、そのハードなノリのなさとポップなセンスを再認識させてくれるし、逆に「楽園の憧憬」では、ポップ過ぎて浮き気味だった「Cover my eyes」もここでは何の違和感もなく光り輝いている気がする。また、「Beautiful」や「Man of a Thousand Faces」の簡潔なエディットは(特に後者のエディットの思い切りの良さは中々のものである)、これらの曲の持つ流行歌的側面が感じられたりもする。

 という訳で、数年間マリリオンの作品をご無沙汰していた当方としては、これまでの活動の復習も兼ねて、とても楽しく聴けるアルバムなのだが。不満な点としては、どういう訳か、「Marillion.com」と「Radiation」からの曲がないことだ。この期間はEMIから離脱していたせいで契約上クリアできないのか、それとも単純に収録時間の問題なのかはわからないが、ちとベスト盤としては寂しい気がする。原曲から2分以上切り込んで、モダンなポップさを全面に出した「Between You and Me」などを聴くに、一瞬違う曲なんじゃないかと思う豹変振りを見せたりして、なかなか楽しい仕上がりになっているので、前述の2枚のアルバムにも存在しているに違いないこうしたヴァージョンをぜひ聴かせて欲しかったところだ。あと、フィッシュ時代では「Punch and Judy」が入っていないのが、個人的にはちと惜しまれるところだった。

2010年4月 1日 (木)

TANGERINE DREAM / Live In Sheffield `74.10.29(Bootleg Box Set Vol.1)

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 タンジェリン・ドリームは、彼らの全盛期のひとつであるヴァージン・レーベル初期、つまり70年代中盤に「リコシェ」というライブ・アルバムを残している。この時期の彼らが残した「フェードラ」「ルビコン」「ストラスフィア」といったアルバムはどれも名盤だが、「リコシェ」はライブ・アルバムであるにもかかわらす、前述の3枚に伍して何ら遜色のない、いや、ひょっとすると、それ以上に優れた音楽を展開していた傑作であった(ニック・メイスンが参加しているのもポイントが高い)。
 かの「リコシェ」は当時のタンジェリンが行っていた無数のライブ・ステージを収録したテープから、優れたパフォーマンスのみを抽出し、再構成されたアルバムだった。結果的にタンジェリン・ドリーム的なるものが非常に高密度に凝縮されていたことに加え、巧みな編集によって、まるで最初から1つの楽曲であったとしか聴こえないほどに、スムースな推移とスリリングな構成が感じられる、完成度の高い楽曲に仕上げられていたのである。

 さて、数年前に発表されたこのオフィシャル・ブートレッグ・ボックスは、1974年から75年にかけての行われた5つのライブ・ステージの模様がほとんど編集なしで収録されているものだ。今回聴いているのは、74年のシェフィールドでのライブであるが、「リコシェ」より多少以前のステージだから、様相が違っているのは当然だとしても、かなり「リコシェ」とは異なるパフォーマンスになっている。楽曲はノンストップで45分ほど続くものだが、まず驚くのは当時のタンジェリンの「売り」であったはずの人力+シーケンサーで醸し出されるエレクトリックなリズムが後半に多少出てくるくらいで、全体としてはあまり目立たないことだ。
 音楽はホワイト・ノイズ風なSEから始まり、最初の30分間はほぼ辺境の惑星の幻想的な風景を綴ったようなスペイシーの音楽に終始しており、例のリズムが出てくるのは、30分も過ぎたあたりである(それもかなり地味)。なので、音楽の様相はむしろオール時代の「ツァイト」や「アテム」のスタティックなイメージに近く、「ルビコン」、なかんずく「リコシェ」とはかなり違った印象を受けるのも確かである。

 当時、彼らのステージはオール即興といわれていたが、このパフォーマンスから分かることは、少なくとも当時の彼らは、ライブでは本当にいろいろなことをやって、これはその中でもかなりスタティックで、昔のスタイルでやってものたまたま捉えたものだろうということだ。私は「リコシェ」というアルバムは、ほぼリアルタイムで聴いたクチだが、こんな凄まじい演奏を全て即興でやってのける、彼らのパフォーマンスに驚愕したものだったが、今から思えば、あれは当時の最高のパフォーマンスのみを凝縮した、いわば「グレイテスト・ヒッツ・ライブ」だった訳である。
 という訳で、あれから長い年月を経て公開された、このルーズでだらだらしたライブを聴くと、当時、個々のステージで展開された彼らライブ・パフォーマンスと「リコシェ」は、明らかに別物であったことがよく分かる。いや、ルーズでだらだらしているからこそ、このアルバムは当時の本当のタンジェリンのライブが堪能できで、ひととき幸せな気分になれるのではあるが....。

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