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2010年2月

2010年2月28日 (日)

HATFIELD AND THE NORTH / Archive Recordings 1973-1975 vol.1 "Hatwise Choice" [その1]

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 数年前に発表されたハットフィールド&ノースの未発表音源集である。ピップ・パイル自身の編集により、BBCの音源を中心に、ライブやデモなども取り混ぜ、CD2枚に分けて発売されたものだが、長年のファンならまさに待望のといった感じのアルバムであろう。購入してずいぶん経ってしまったが、ここ数日ようやっと聴いているところなので、今回はこれを取り上げてみたい。こういうアルバムはトータルな印象を語るより、どんな曲が、どんな風に、演奏されているかがポイントだと思うので、各収録曲について少しづつメモっていくことにしたい。なお、タイトルは例のおふざけ感覚なのか、ほとんどがオリジナルから変更されている。

01.Absolutely Wholesome (John Peel Show 1974) - 3:16
 シングルカットされた「Let's Eat (Real Soon)」のジョン・ピール・セッション・ヴァージョン。オリジナルの収録と近いセッションだったのか、アレンジやソロはほとんど変わらない。ドラムがやや饒舌なくらいか。ピアノもきっちりとオーバーダビングされてサウンド厚い。それにしてもこのクリアな音質には驚愕、オリジナルより生々しいくらいだ。

02.La Barbe est La Barbe (Top Gear 1974) - 6:51
03.Sober Song (Top Gear 1974) - 2:59
 オリジナルは第1作に収録されていた「Shaving is Boring」。この曲は旧B面のハイライト部分に当たり、ファンキーなリズムからやがてゴング風にスペイシー、かつハイテンションな展開に発展していくのが印象的だったが、前半はソフト・マシーン風なインプロ主体の進行を見せ、フィル・ミラーがフィーチャーされる後半はハットフィールドらしい手の込んだ展開を見せる。全編を通じてピップ・パイルのドラムが凄まじい。続く「Sober Song」は、第1作でも「Shaving is Boring」からそのまま続いて演奏されていた「Licks for the Ladies」のことで、リチャード・シンクレアのフィーチャーした牧歌的なボーカル・ナンバー。これもオリジナルとほぼ同様に演奏されている。

04.Hatitude (John Peel Show 1974) - 3:13
05.Strand on the Green (John Peel Show 1974) - 1:02
06.Hotel Luna (John Peel Show 1974) - 3:34
07.The Lonely Bubbling Song (John Peel Show 1974) - 1:20
08.Stay Jung and Beautiful (John Peel Show 1974) - 0:56
 04「Hatitud」はオリジナルはイマイチ不明だが、おそらくフリー・インプロだと思う。ドラムが主導して徐々にアップテンポな定型パターンへと形を整えていくあたりのプロセスはハットフィールドらしいスリリングさに満ちている。05「Strand on the Green」は前曲を受けてスコアリングされた推移的なテーマ。06「Hotel Luna」は、第2作の旧B面のメドレー「Mumps」の額縁となっていたテーマである。07「The Lonely Bubbling Song」はリチャード・シンクレアのボーカルをフィーチャーした小品だが、おそらく公式レコーディングはされていないだろう。08「Stay Jung and Beautiful」は、第2作旧A面のメドレーの筆頭を飾っていた「(Big) John Wayne Socks Psychology On The Jaw」で、ここでは編集でアウトロ扱いになっている。

10.Dave Intro (Live - London 1975) - 1:55
11.Take Your Pick (Live - London 1975) - 8:09
 10はタイトル通りデイブ・スチュアートのエレピによるイントロ。今聴くとチック・コリア風なのが微笑ましい。後半は第2作の「Chaos At The Greasy Spoon」と同様な展開となり、そのまま「The Yes No Interlude」に相当する11の「Take Your Pick」へと移行する。「The Yes No Interlude」はオリジナルでは管なども入っていたここでは4人のスリムな演奏になっている。中間部は変拍子にのったフィル・ミラーのギターがフィーチャーされた長いインプロ。デイブ・スチュアートがエレピを多用しているのが、いかにも1975年のハットフィールドである。なお、後半はオリジナル通りテーマが回帰するが、そのまま、「アフターズ」に収録されたライブでお馴染み「Halfway Between Heaven And Earth」のリズムパターンに突入して、これからだという時に何故だかフェイドアウトして終わってしまう、ちと残念である。

HATFIELD AND THE NORTH / Archive Recordings 1973-1975 vol.1 "Hatwise Choice" [その2]

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12.Son Of Plate Smashing Dog (Live - Emmen 1974) - 1:16
13.Thanks Mont! (Live - Emmen 1974) - 2:27
14.Amsterdamage 11/19 (Live - Amsterdam 1974) - 6:20
15.May The Farce Be With You (Live - Paris 1973) - 0:39
 このブロックは各地でのライブ音源がメドレーというかスナップショット風に繋げて収録されている(音質もこのあたりから幾分落ちる)。12「Son Of Plate Smashing Dog」はエッグ風なジョーク作品。13「Thanks Mont!」は第1作の「Son of "There's No Place Like Homerton」のエッグ風なテーマで、このタイトルからすると、やはりこのモチーフはモント・キャンベルが作ったものだったのだろう。演奏はかなりオリジナル通りだが、残念なことにノーセッツは参加していない。14「Amsterdamage 11/19」は、おそらく「Licks for the Ladies」の中間パートを抜粋したものと思われるが、一番ホットな部分が抜粋されているのはうれしい。フィル・ミラー、デイブ・スチュアート共に絶好調、ピップ・パイルもクレイジーである。全盛期のハットフィールドの凄さを垣間見てとれるトラックといえるだろう。


16.Finesse is for Fairies (Sounds of the 70s 1973) - 1:28
17.Ethanol Nurse (Sounds of the 70s 1973) - 2:56
18.Writhing and Grimacing (Sounds of the 70s 1973) - 3:42
 こちらは73年のデモ録音が3曲。16「Finesse is for Fairies」は、彼らにしては珍しくウェスト・コースト風な趣きも感じられるインスト作品。デイブ・スチュアートのオルガンがいかにそれらしくて笑ってしまうのだが、そのままマッチング・モールの「Nan True's Hole」が唐突に出てくるのはもっと笑える。前曲からカットインして始まる、17「Ethanol Nurse」と「18.Writhing and Grimacing」は、その「Nan True's Hole」の本編ともいえる演奏だ。後半に展開されるマッチング・モール流のカオスとは対照的にスポーティーなインプロは、なかなかのカッコ良さである。ちなみに、ハットフィールドはフィル・ミラーが持ち込んだ(と思われる)この曲をけっこう愛奏していたようで、「アフターズ」にも「Oh, Len's Nature!」というタイトルで、これとほぼ同様のパターンによるライブ演奏が収録されていた。

19.For Robert (Top Gear 1973) - 2:09
20.Blane over Paris (Live - Paris 1973) - 6:20
21.Laundry Soup (Top Gear 1974) - 0:57
22.Effing Mad Aincha (Live - Rotterdam 1973) - 2:58
 タイトルが笑える19の「For Robert」だが、断片なのでよく分からないものの、オリジナルは第1作の旧A面に入っていた「Rifferama」だろう。ドカスカしたリズムにのりつつ、ギターがボサノバだったりするのはいかにもハットフィールドだ。20「Blane over Paris」は、ワイアット風なスキャットをフィーチャーしたフリーキーな演奏。74.5年になると演奏自体、非常に洗練され、ある意味構造化してしまうハットフィールドだが、この時期だと、まだこういうマッチング・モールみたいな演奏もしていたのだ。21「Laundry Soup」も「Rifferama」風な演奏、22「Effing Mad Aincha」はデイブ・スチュアートお得意のトーンジェネレーターのノイジーなサウンドをフィーチャーしたかなりカオスな演奏だ。

24.Top Gear Commercial (Top Gear 1974) - 1:22
25. K Licks (Demo - Summer 1973) - 2:58
 24の「Top Gear Commercial」はトップギアのスポット用、あるいは番組のテーマとしてでも録音されたのだろうか、おふざけ調ジングル曲だ。最後にツェッペリンの「ホール・ロッタ・ラブ」のリフを演奏しているも可笑しい。25の「K Licks」は第1作に旧A面に収録されていた名曲「Calyx」である。ご存じの通りオリジナルではロバート・ワイアットがゲスト参加して、このスキャットを唄っていたので、リチャード・シンクレアのボーカルで聴ける同曲のヴァージョンというのは非常に貴重だ。アレンジもほぼ出来上がっており完成度も高い。ただし、こちらの方がまっとうなジャズ・ナンバーという雰囲気が強いのは、やはりさすがにリチャードもワイアットには敵わないといったところなのだろうか。

2010年2月27日 (土)

ROGER WATERS / The Pros & Cons Of Hitch Hiking (ヒッチハイクの賛否両論)

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 83年に出た「ファイナル・カット」を最後にフロイドを解散させたロジャー・ウォーターズが、その一年後に出した実質的なソロ第1作である。ロック・オペラ、あるいはコンセプト・アルバム的な音楽フロイドでやり尽くしたから、ソロではもっとリラックスしたものでもやるんだろう....と思っていたら、堂々のコンセプト・アルバム出してきた....というのは、いかにウォーターズらしい、と、当時は感じたものだが(笑)、なんでも本作はフロイド時代に「ウォール」と共にこのアイデアをメンバーに提示したところ、あっさりと却下されたアイデアを元にしているのだそうだ。やはり、ウォーターズとしては「やり尽くしてなどいない」というところだったのだろう。

 で、このアルバムでコンセプトなのだが、私はこれのを訳詞もない輸入盤で聴いているので、何を歌っているのか、何をいいたいのか、実はさっぱりわからない。調べてみると、いささか神経症的な主人公が体験する、夢とまどろみを行き交いつつ、やがて日常に戻って行くまでの心象風景といったところで、それを約50分に渡りリアルタイム(!)で表現しているのが特徴ともなっているようだ。音楽的には特に巨大なドラマがある訳でもなく(クラプトンやサンボーンという人選は凄いが、ご両人ともにウォーターズの締め付けがきつすぎて、音楽的な目玉になっていない)、夢とも現実ともつかないまどろみを、けっこう淡々と表現しているという感が強いが、その割に歌詞にはなにか文学性がありそうだし、構成はやけに入り組んで複雑というのだから、いきおい難解な印象は強まらざるを得ないといったところだ。ただ、こうした複雑なコンセプトは「悪夢から覚める瞬間」という、誰でも体験する状態を置き換えてみると、けっこう分かりやすいのではないとも思う。

 かくいう私も、先日の明け方に、酒気帯び運転で踏み切り突破した上大事故巻き起こして、警察に捕まるみたいな夢をみたことがあったが、ああいう夢から醒めた直後って、「今のは夢だったのか!」と瞬時に我に返るというより、「あれ、今のはなんだったんだ?」、「ん?、夢??」みたいな、しばらくはちっょとした境目のまどろんだような状態がしばらく続くものだと思う。そこから徐々に「そうか、あれは夢だったのか、あぁ、夢でよかったぁ」みたいに日常生活へ戻っていくと思うのだけれど、このアルバムで50分に渡って展開される音楽による心象風景って、結局、そういう「悪夢から安堵感至る瞬間」のようなものを拡大したもんなんじゃないのかなぁ....と思ったりするのだ。それこそ独善的なこじつけかもしれないけれど、そんなものだと思えば、この作品もけっこう身近に感じたりもするのではないか?。まぁ、少なくとも私はそう感じた(そう思えたら、にわかに愛聴盤になったというべきかも....)。

 そんな訳で、本作のハイライトは主人公の精神状態に曙光が差してくるようなラストパート(最後の3曲)である。このアルバムはまさにこのメドレーを聴くためにあるといってよく、この部分ではそこまで語られた気怠い苦悩と重苦しい妄想が、徐々に浄化されるようなう感動があると思う。ただ、問題なのはやはりそこに至る約30分間の音楽だろう。この部分は、聴いていて「なに一人で朝ぱらからそんなに苦悩してんのよ」みたいな、どうも私小説な独善を感じてしまいがちだ。偉そうなことを云わせてもらえば、ここでのウォーターズは嘘でも絵空事でも良いから、もう少しドラマを盛り上げるべきだったと思う。そうすれば、ラストの10分間がもっと生きてきたろうに、と思ったりするのだが。

2010年2月24日 (水)

ANTHONY PHILLIPS / Sides

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 マイケル・ジャイルズのタイコが好きだ。ところが、彼の最盛期のドラミングが聴ける作品は意外と少ない。さしずめ「クリムゾン・キングの宮殿」を筆頭に、「マクドナルド&ジャイルズ」と「ポセイドンのめざめ」がピック3といったところだろう。もちろん、M&G以降もロパート・ハイン、ジョン・G・ペリー、あとレオ・セイヤーなどの作品などに、彼の名前はみかけたが(近年、当時お蔵入りなったソロ・アルバムなども出たりした)、クリムゾンやM&Gのようなドラミングを期待して聴いたところで、どれも前記3作のようなそれは全くといっていいほど披露せず、もっぱらセッション・ミュージシャン的な手堅いドラムで、律儀にリズムをキープしているだけだった。一体、ジャイルズにとって、「宮殿やM&Gでのドラミングはなんだったんだ?」と思わざるを得なかったが、そのマイケル・ジャイルズが、奇しくも「宮殿」から10年後に、あの時のドラミングを思い出したように披露したことがあった。それが本作、アンソニー・フィリップスの「サイズ」である。

 本作はアンソニー・フィリップスが残した膨大なソロ・アルバムでも、おそらくもっともジェネシス的なシンフォニック・プログレ的な色彩が強い作品だと思う(「1984」や「スロー・ダンス」というシンセ作品もあるが)。多分、フィリップスは当時、順調に第二の全盛期を迎えていた古巣のジェネシスの活動を尻目に、一枚くらいそうしたアルバムでも残して起きたいとでも考えたのだろう(前作の「ワイズ・アフター・ジ・イヴェント」に多少その兆候が現れていたが)。アルバム冒頭を飾る「Um & Aargh」、旧B面トップの「Souvenir of Remindum」、そしてオーラスの「Nightmare」というアルバムの勘所となる3曲は、それまでの穏やかでノーブルな田園風景を紡いできた彼にしては、ちと異様なほどプログレ色が強い作品になっている。前作に続いて、ルパート・ハイン絡みで参加したマイケル・ジャイルズは、時ならぬフィリップスのプログレ的テンションに、思わず本気を出してしてまったのかもしれない。「おやおや、前のアルバムみたいに、のんびり叩けばいいのかと思って来てみたら、こんなハードな曲をやるのかい!」みたいなところだろうか。

 「Um & Aargh」は、クリムゾン時代に比べればまだまだリズム・キープに徹しているところはあるものの、要所要所に入るメロディックなフィル、中間部でハケット風なギターのバックで流れるライドシンバルの例の装飾感、最後のフェイドアウト部分での聴こえるタムのメロディックなフレーズなど、「おひさしぶり、ジャイルズ!」という感じであった。「Souvenir of Remindum」はトニー・バンクスの作風を拝借したようなシンフォニックなインスト作品だが、さざ波のようなアルペジオの主題が繰り返されたハイライトで、一転して現れるクリムゾン風な変拍子による攻撃的な部分では、ジャイルズのドラムがそのパワーの源泉となっているのは一聴瞭然だ。また、ラストの「Nightmare」は、いくら手数を重ねても決して下品にならず、メロディアスとしかいいようがないフレーズが満載されたまさにクリムゾン時代を彷彿とさせたプレイである。特に中間部、ロールから始まる流れるようなドラミングとそれに続くシンセとドラムのユニゾンなどは圧巻、あれから10年、彼が突然思い出した「21世紀」のドラミングとしかいいようがないものだった。

 そんな訳で、本作はそもそもアンソニー・フィリップスのディスコグラフィ中でも、かなりの傑作の部類に入る仕上がりだと思うが、個人的にはこのようにマイケル・ジャイルズが久々に本領を発揮した演奏が聴けるということでも忘れがたい作品になっている。このアルバムの後、彼は以前にも増していっそう隠遁ドラマーのような存在になってしまい、こうしたドラムを披露することも全くなかったことも、その印象際だてることになった。ちなみにジャイルズが再び「宮殿」風なドラムを披露するのは、このアルバムのはるか後年-まさにしく21世紀に入ってから-結成される21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドにおいてである。

2010年2月22日 (月)

KEATS

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 これも今頃になって聴いたピーター・バーデンス関連作品。ご存じの通りこのキーツは一応ピーター・バーデンスがリーダー格にはなっているが、英国の比較的知名度の高いメンツを集めた上で、全体はアラン・パーソンズに仕切らせて上で制作された、アリスタ・レーベルからの一種の「戦略商品」であった。おそらくこれを発表した時期に一斉を風靡していたエイジアの成功が念頭にあったのだろう。集められたメンバーはバーデンスの他、ゾンビーズのコリン・ブランストーンがヴォーカル、パイロットからイアン・ベアンソンのギターとディヴィッド・ペイトンのベース、、英国のセッションドラマーとしては最高の安定度を誇ったスチュワート・エリオットという、地味ながら中々のメンツを揃えている。
 また、前年に発表されたキャメルの「シングル・ファクター」と、パイロット組を始めとしてメンバーが何人か共通しているのもおもしろいところだ(そういえば、かのアルバムにはバーデンスがゲストで参加していた)。インタビューでは、キャメルがポップ化したのをパーデンスのせいにしたがるラティマーであるが、結局はバーデンスに先んじて同じような音楽をやっていた訳である(笑)。

 さて、アルバムの内容だが、アラン・パーソンズのプロデュースで、集まったメンバーがこれだから、当然アラン・パーソンズ・プロジェクト(APP)のスピンアウトのような仕上がりである(調度1977年のアンブロージアがそうだったように....)。ピアノ、ベース、ドラムが作り出す太くシンプルなリズム(ベースとバスドラムのユニゾンを多用)を底辺にして、シンセが立体感のある空間を演出、そこにポップでソフトなヴォーカル&コーラス、そして伸びやかなギターが乗るという、このバンドの基本サウンドはまさにAPPの方程式といってもいいと思う。
 もちろん、APPに比べれば多少ハードなサウンド(というかバンドっぽい音というべきか)ところはあるし、ボーカルもけっこう歌い上げ系になっているので、当時流行っていた「産業ロック」なところも感じさせるが、あまりそういう方向に大きく舵を切ることなく、いかにも英国産といった感じの穏健さとまろやかさ、クウォリティは高いものの、常識的なサウンドに終始しているあたり、やはりアラン・パーソンズが仕切ったことを如実に物語っている。なにしろクレジットを見れば分かるとおり、本作のキーボードはバーデンスだけでなく、共同プロデュースに当たったトニー・リチャーズが弾いていたりするのだから、制作時のバンド状況もわかろうものである。

 とはいえ、バーデンスらしい色彩は前回取り上げた「ハート・トゥ・ハート」同様、随所に感じられる。1曲目「Heaven Knows」のちょっと切なさが入り交じったドラマチックさは「レインダンセス」の頃を思わせるし(ちょっとコリン・ブランストーンのヴォーカルは違うな....と思うけれど-笑)、サックスをシミュレートしたシンセ・ソロは、その後バーデンスのメルク・マールになるサウンドだ。またメドレー風につながる2曲目「Tragedy」はエレピや白玉のサウンドがどことなくキャメルを思わせたりもする。6曲目の「Turn Your Heart Around」もかなり体育会系のアレンジにはなっているものの、基本的には「水の精」とか「雨のシルエット」といった曲と共通する陰影を持った曲だ。
 という訳で、私のようにバーデンスらしさを期待しつつ聴くと、多少、「ねじ曲げられたな」みたいな感を抱かざる得ない音楽だと思うが、84年に作られた産業ロックというか、プログレの残光を感じさせるポップなロックとして聴けば、これは中々の仕上がりだと思う。こんなこと云ったら怒られるかもしれないが、そういう面でのクウォリティは、むしろキャメル本体の「シングル・ファクター」より高いような気がする。これが目論み通りヒットしていたら、バーデンスはその後、どんな人生を歩んだのだろう?。

2010年2月21日 (日)

GARY BOYLE / The Dancer

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 我が家のオーディオ・システムからアナログ・プレイヤーを排除したのは、いつ頃だったろう。多分、十数年くらいだったと思うが、当時、まるで民族大移動のように過去の旧作がCD化されていた状況からして、自宅にあるLPが全てCD化されるのも、そう遠くない未来でもあるまいと、アナログ・プレイヤーを取り払ってしまったのである。当時、私が所有していたLPは、約1000枚程度で、今から思えばそれほど膨大ともいえない量ではあったものの、やはり私の見通しは甘かったとしかいいようがない。現在、LP時代にもっていたアルバムの大半はCDで買い直すことは出来たとはいえ、未CD化、あるいはCD化されても、当方が買い逃してしまっている作品も少なからずある。

 先日取り上げたサッド・カフェの「哀しき酒場の唄」などもそうだったが、それらと並んで「たまに聴きたくなっても聴くことが出来ないアルバム」の代表格だったのが、このゲイリー・ボイルの「ダンサー」なのであった(ついでにいうと、コックニー・レーベル、ダンカン・マッケイ、アドリアン・ワグナーなど未だCDで聴けない)。しかし、先日、ひょんなきっかけで新古品が発売されていることを知り、即座に購入手続き、さきほど家に到着、めでたくゲットすることが出来たという訳だ。
 さて、そんな実にお久しぶりな「ダンサー」。現在むさぼるように聴いているところだが、おそらく20年振りくらいなはずなのに、全然久しぶりという感じがせず、アルバム冒頭のシンセとギターのユニゾンに始まり、ウェス・モンゴメリー風なアコギでフェイドアウトする「処女航海」まで、アルバムの構成やソロ・パートの展開、サウンドのディテールなど、細部に至るまで実に克明に覚えていているのには、我ながら苦笑いしてしまった。当時、それだけ愛聴していたということなのだろう。

 本作は現在ではブリティッシュ・ジャズ・ロックの名盤という揺るぎない評価があるが、当時は実質的なアイソープの後継作にしては、いささかポップ過ぎるのではないか、日和っているのではないかという批評もあった。1曲目こそブランドX風なダークな陰影があるジャズ・ロック・ナンバーだが、2曲目タイトル・トラックなどファンスキーなディスコ調だし、アコギをフィーチャーした4曲目「ララバイ・フォー」や最後の「処女航海」などは、一瞬、アール・クルーかと思うようなリゾード風なクロスオーパー作品だったりして、全体としてはアイソトープやブランドXのアルバムほどの歯ごたえない....といった印象もあったからである。
 しかし、今聴くとむしろそこがいい。もちろん、サイモン・フィリップスのドラムが死ぬほどかっこよい「アーモンド・バーフィ」やデイブ・マックレーのエレピににんまりする「アップル・クランブル」など、今聴いても全く色あせないスリリングさがあるものの、今聴いて味わい深いのは、むしろ本作のAOR的な口当たりの良さを表に出しつつ、そこに隠し味のように従来のジャズ・ロック的なシリアスさを溶け込ませている点だったりしたのだ。

 1977年といえばロック・シーンはAORの全盛期であり、プログレ畑のミュージシャン達もこぞって「大人のロック」というトレンドと格闘していた時期でもあった。彼はそのあたりをあまりにスマートにこなしてしまったのだと思う。結果的にこの作品は、ジャズ・ロックというよりは、ボーカルこそ入っていないものの、むしろフィル・マンザネラ/801による「リッスン・ナウ」とかサッド・カフェの「殺怒珈琲II」、ケート・ブッシュのデビュー作といった、当時の英国産AORと共通するようなムードが強くなっていて、今聴くとそのあたりが、実に心地よく私に響いたというところだと思う。まぁ、本作がジャズ・ロックなのか英国産AORなのかはともかくとしても、ジャズ・ロック的なシリアスさとAOR的なスムースさが、実にほどよくバランスした名盤であることはだけは間違いない。
 ちなみに本作は日本国内のリマスターのようで、マスターのノイズが大きかったのか、ややノイズ・リダクションが強めで、オリジナルにあった高域の冴えた感じが多少後退しているのは残念だが、全体としては極端に音圧を上げたり、妙なイコライジングで元の質感が変えてしまったりすることがない、素直なリマスターなのには好感がもてる。

2010年2月20日 (土)

JAN AKKERMAN / C.U.

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 こちらは比較的最近、2003年に発表された比較的最近のソロ・アルバム。ヤン・アッカーマンという人は、ギラギラのロック・ギター、シックなジャズ/フュージョン路線、アコスティック・ギターでバッハとかダウランドあたりに影響受けたクラシカル指向と、広すぎる守備範囲を持っている人である。本人がその気になれば、前述のどの方向でも「その道を極める」こともできたはずだと思うのだが、フォーカス解散後は特にどこかのバンドに属するなどということも、音楽的焦点を定める訳でもなく、端から見ていると、まさに「気のおもむくまま」、その時々で気の合うメンツを集めて、様々な趣向のアルバムを作っている....という印象が強い。よくわからないが、彼もアラン・ホールズワースと同様「ギターを持った渡り鳥」みたいな性格なのだろう。本作もそんな彼が気のおもむくまま作ったアルバムのようだが、私の聴いた範囲ではという注釈付きだけれど、近年の作品の中ではもっともジャズ/フュージョ路線が強く出た作品となっているように感じた。

 なにしろ、全編に渡って打ち込みリズムである。アッカーマンで打ち込みといえば、かの「ベートーベンの復讐」以来、もはや定番となっているフォーマットではあるが(一時あまりに多用したので、いささかウンザリしているムキも多いと思う)、今回のアッカーマンはおそらく打ち込みにはほとんど関わっておらず、参集された若手のメンバーが作り上げたと思われる、かなり今風なダンス・ビートが全編を覆っているのである。とにかくこのメンバーたちはドラムマシンみたいなリズムではなく、ハウス系のループやサンプリングなどを縦横に使っていて、とにかくモダンでアーバン、云ってしまえばスムース・ジャズみたいなオケを作っており、そこにアッカーマンのギターが乗るという趣向になっているのが本作の特徴である。自分はいちミュージシャンに徹し、他人様が作り上げたダンス・ビートの中でプレイヤーとしてのミュージシャン・エゴを開放する....みたいな試みは、古くはエルトン・ジョンの悪名高い「ヴィクティム・オブ・ラブ」とか、マイルスの「ドァー・バップ」とかあったけれど、本作もたぶんそういうタイプの作品なのだろうと思う。

 まぁ、そうしたコンセプトが効を呈したか、本作でのアッカーマンはジャズからロックまで、いろいろなスタイルを駆使して、まさにギター弾きまくり状態である。2曲目の「Between the Sheets」は、フォープレイも取り上げたアイズレー・ブラザーズの名曲で、本作では一番スムース・ジャズ的な仕上がりのオケだが、中間部ではいかもアッカーマンという感じのちょっとカントリー風な早弾きが登場するなど、ノリノリなバックに乗って嬉々としてギターを弾きまくっている様が楽しい。また10分にも及ぶ「Cottonbay」は、フォーカス時代の「トミー」で、お馴染みのアッカーマン流のバラード・プレイをたっぷり楽しめる。8曲目「Slow Man」はエキゾチックなムードの中、もうひとつのアッカーマンのキャラ、アコスティク・ギター弾きの側面をフィーチャーした作品になっている。
 という訳で、この手の打ち込み音楽を、私自身が好きだという理由が大きいとは思うけれど(笑)、近年のアッカーマンの作品では、かなり楽しめた仕上がりになっていると思う。実際、移動中のBGMとしてもけっこうお世話になっているし...。

NEKTAR / Recycled

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 今を去る十数年前、ネットの代名詞がまだパソコン通信だった頃、私は常駐していたNifty Serve内の某プログレ専門の会議室で、「プログレ暴走機関車」という言葉を使ったことがある。この語感でだいたいわかる人もいるかと思うが、これは何かというと、いきなりドッカーンと始まり、次々に曲をつるべうちにしつつ、ハイ・テンション演奏がアルバムの終局まで途切れなくようなアルバム(もしくは片面を使った組曲も含む)のことで、具体的にいえば、トリアンヴィラートの「スパルタカス」、パトリック・モラツの「i」、マンダラバンドの「曼荼羅組曲(片面)」、キャナリオスの「四季」といったものを指していた。このさしずめ映画でいうなら「ジェットコースタームービー」みたいなプログレを私は異常に偏愛していて、この種の話題をそこで度々話題にしたものだけれど、このネクターの「リサイクルド」こそは、「プログレ暴走機関車」の代名詞たる作品として、飽きずに語り続けた作品なのであった。

 ネクターはドイツで活躍した英国産のプログレ・バンドではあるが、どちらかともいわずとも当時は二流バンドであり、72年のデビュー以来、コンスタントにアルバムはリリースしていたものの、聴かれるサウンドといったら、ハードロック的なギターサウンドをベースに、プログレ的なセンスとブルース・ロック的な泥臭さが奇妙な具合に混ざり合った(というか混濁していたというべきか)ようなものばかりであった。テクニックも作曲能力もそこそこあるが、例えばイエスあたりと比べると、どこか突き抜けたところがないバンドといったイメージも強かったと思う。この「リサイクルド」は、そのネクターがなんの音楽的前触れもなく、1975年に突如変身して作り上げたプログレの金字塔的なアルバムである。

 アルバムはティンパニのドロドロ、ギターのカッティングとスペイシーなシンセに彩られシンフォニックなイントロをスタートに、ヘビーなギターのリフとハイ・トーンなボーカル交錯するイエス風な「Recycle」から始まる。既にこの時点で物凄いテンションである。続く「Cybernetic Consumption」はテクノ風なシーケンサー、シンセ・パーカッション、ハードロック風なギターのリフ、冒頭の主題がつるべ打ちのように襲いかかって来る。そのまま続く「Recycle Countdown」は「Recycle」のボーカル主題が回帰、更に「Automation Horrorscope」はヴォコーダー、ボーカル、ギター・リフ、そしてA面後半のテーマを予告と、再びふんだんに音楽的素材を繰り出し、まさにジェットコースタームービー的なテンションで進んで行く。そしてA面最後の「Unendless Imaginations ?」では、前出の「Automation Horrorscope」で予告したテーマをハイライトに朗々と展開しつつ、中間部ではシンセがシンフォニックな白玉で更にムードを盛り上げ、いよいよそのハイライトでウェイクマンの「地底探検」よろしく、大仰な混声合唱団を登場させてしまうのだからたまらない、まさにシンフォニック・プログレの極致といった感じである。

 続くB面も素晴らしい。A面ほどのつるべ打ち感覚はないが、逆にのびのびとした開放感があるのは大きな魅力だ。まず「Sao Paulo Sunrise」だが、これはちょっとトロピカルなリズムの乗って現れるファンキーなギター・カッティングがメチャクチャ格好が良い。あまりプログレ的とはいえないかもしれないが、アルバムのもっとも印象的な部分のひとつとなっていることは確かだ。「Marvellious Moses 」は前2曲のムードを引き継ぎ、いくらかトロピカルなムードを漂わせつつ、サビの部分で見せるコーラスのイエス風な高揚感がなんといっても印象的。中間部で見せるハード・ドライヴィングなギター・サウンドのテンションも素晴らしく、これと前述のコーラスが交錯する部分は文句なく全曲中のハイライトとなっている。

 という訳で、先日聴いたシナジーの「10番街の殺人」がきっかけになって、ここ2,3日というもの本作を何度も聴いているのだが、やはりこのアルバムは、その高揚感、ドラマチックさ、異様なほどハイなテンション、曲を次々につるべうっていくアレンジ、どれをとっても、私にとって最高の「プログレ暴走機関車」であることを痛感した次第である。
 最後にラリー・ファーストについて書いておきたい。シナジーのところでかなりネガティブなことを書いてしまったけれど、本作での彼はまさに水を得た魚の如き大活躍ぶりで、レギュラーのキーボード奏者タフ・フリーマンを完全に食ってしまっている。このアルバムのシンフォニックなスケール感のかなり部分は、彼によってもたらされたのではないかと思えるほどだ。それは近年出たリマスター盤に収録されたジェフ・エメリックによるラリー・ファーストのシンセが大幅にカットされた(というかラリー・ファーストが後でダビングしたのだろう)、リミックス・ヴァージョンを聴けばそれが分かる。このヴァージョンの「リサイクルド」は、突然変異でもなんでもなく、1974年の「Down to Earth」に続くアルバムとして素直に聴けるのである。

2010年2月17日 (水)

SYNERGY / Electronic Realizations for Rock Orchestra

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 シナジーはアメリカン・プログレ・バンドの草分け的存在である。まぁ、バンドとはいってもシナジーの実体はキーボード奏者ラリー・ファーストであり、彼のマルチトラック・レコーディングによる「鍵盤による仮想管弦楽」がメインとなった音楽である。ラリー・ファーストといえば、後年のピーター・ゲイブリエルのソロ・アルバムへの参加で、一般的にもけっこうな知名度を得た感もあるが、おそらくシナジー名義で1975年に発表された本作が、事実上のデビュー作となるのだろうと思う。
 記憶によれば、本作は当時の日本でも「10番街の殺人」というタイトルが付けられて、ほぼリアルタイムで発売されていたはずだ。しかも、それがFM(NHKだったと思う)で、アルバムをまるごとオンエアされたこともあって、その頃、高校生だった私はその放送を一生懸命エアチェックしたおかげで、本作に触れることができたというのだから、現在とは隔世の感もある。当時、プログレッシブ・ロックというのは、けっこうアップ・トゥ・デートな音楽だったのだ(笑)。

 さて、本作の内容だが、前述の通りラリー・ファーストによるひとり鍵盤多重オーケストラである。ラリー・ファーストは鍵盤というよりは、シンセという機械にこだわりを持っていたらしく、本作ではピアノやエレクトリック・ピアノ、ハモンド・オルガンといったオーソドックスなキーボードはほとんど使用せず、もっぱらムーグ、アープ、オーベイハイムといった往年のアナログ・シンセとメロトロン(当時、最新鋭中の最新鋭だったデジタル・シーケンサーなども一部使用している、ただしソリーナなどのストリング・シンセは何故か出てこない)をメインに疑似管弦楽を作り出している。
 全体としては、シンセへの執拗にこだわりだとか、いかにもマニアックに作り込みましたといった大作然とした佇まい、アナログ・シンセの懐かしくも重厚な音色のオンパレードなど、鍵盤プログレが喜びそうな要素が満載された出来になっている。それはアルバム冒頭の「Legacy」で、キラキラするアルペジオにのって桃源郷の如きサウンドが展開し、そこにメロトロンの壮大な響きが絡むというオープニングの場面からも明らかであろう。ただし、この作品を一個のプログレ作品として聴いた場合、曲にせよ、サウンドにしても、いまひとつ訴求力に欠けるような気がしないでもない。一種シンセのデモ・ミュージックとして割り切って聴くなら、それはそれでひとつの有り様だと思うのだけれど、どうも音楽的にはちと弱いような気がするのである。

 なにしろ、シンセ・オーケストレーションがいかにも中途半端である。このアルバムの音楽を聴いていると、確かにサウンド自体は重厚だし、カラフルでもあったりするのだが、、聴いているとすぐに「ベースとドラムが欲しい」と思ってしまうのだ。ベースとドラムがいないため、曲は持続的なリズムと低音に欠け、どうも行き当たりばったりでシンセを振り回しているだけみたいな印象になりがちなのである。そして、収録された曲がどれもイマイチ魅力が乏しいという点も大きい。「10番街の殺人」などの既成曲を除けば、どの曲もちと平板で、クライマックスをどこなのかよくわからないし、アレンジ面でも、前述の疑似管弦楽の半端さに加え、振幅や緩急といったメリハリがどうも感じられない点が散見するのだ。まぁ、ひょっとすると、ここでは意図的に印象派風な茫洋としたサウンドを狙っているのかもしれないが....。
 そんな訳で、本作品、しばらく前にCD化されたのを知り、現在の耳で聴けばまた違った印象もあるかと思って、勇んで購入はしてみたものの、残念ながら、今聴いても基本的なところはほとんど変化はなかった。やはりラリー・ファーストといえば、ネクターが残したプログレ史に残る傑作「リサイクルド」で聴けた、シンフォニックでカラフル、ファンタスティックでドリーミーなあのシンセ・サウンドにトドメをさすのだろうか?。

2010年2月15日 (月)

CARAVAN / Waterloo Lily

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 誰でも自分の愛好している音楽、あるいは音楽ジャンルは「他とは違う特別なもの」と思いがちである。例えば「ロックは音楽じゃない文化(カルチャー)だ」とか「ジャズは魂で聴け!」、「クラシックは人類の最高の遺産である」といったものだ。プログレなどもそうである。元々上昇志向が強く、芸術性の追求やその結果としての脱ジャンル音楽といった側面が強かったため、とりわけて「特別視」をされる傾向が強いように感じられる。だが「孤高な音楽」であるはずだった、プログレも今聴いてみると、意外なところにそのアイデアの源泉というか、言葉は悪いが「元ネタ」があったことに気がつくこともある。その一例が、キャラバンの第4作「ウォータールー・リリー」の2曲目に収録されている「ナッシング・アット・オール」というリチャード・シンクレアが主導した曲である。

 キャラバンといえば、カンタベリー・シーンでもソフト・マシーンと並ぶ両雄であり、まさにワン・アンド・オンリーな存在という感じのバンドだ。しかも、「ウォータールー・リリー」ともなれば、キャラバンの数あるアルバムでも、もっともジャズ色が強く(旧A面だけ)、孤高な作品というイメージがあり、この「ナッシング・アット・オール」などは、まさにそうした面を象徴したような曲ともなっている。しかしながら、この曲、実はマイルス・デイヴィスの「ジャック・ジョンソン」の「ライト・オフ」を「元ネタ」....いや、少なくとも、濃厚な影響を受けて作られた曲である(としか私は思えない)。イギリスのカンタベリーのコアみたいなキャラバンに、ジャズ界の巨人マイルスといったら、国も音楽の立ち位置もあまりに違い過ぎて、直感的に結びつかないというムキもあるだろうが、両方のアルバムをお持ちの方は、ぜひ虚心坦懐で聴き比べてみていただきたい。

 元ネタの「ライト・オフ」は、いきなり豪快にマクラフリンのギターに耳を奪われがちであるが、背後に陣取るファンキーなベース・ラインとベタなドラムのリズム・パターンは、「ナッシング・アット・オール」とやけ酷似している。元々マイルスのこの曲はベタでファンキーなリズムに、オブジェのような趣の切れ切れのソロをあれこれのっけていく、実験のようなセッションから切り貼りされた曲だった訳だが、キャランバン...いや、リチャード・シンクレアは、おそらくそのアイデアにいたく魅了され、バンドでやってみようと思い立ったのだろう。出来上がった曲は、ファンキーなリズムに乗って様々な楽器(フィル・ミラー、ロル・コックスヒルがゲスト参加)のアドリブが切れ切れにリレーするメインの部分にスタティックな中間部、そしてメインのパートのリピートである後半部という、構成すら「ライフオフ」を敷衍するような仕上がりとなっている。まさにキャラバン史上でも珍しい、「キャラバン・アラ・マイルス」的な瞬間の誕生だった訳だ。

 などと、今回も長くなかった(笑)。最後にこの曲が持つ「ライトオフ」とは明らかに異質な点をひとつ指摘して今回はまとめたい。この曲はスタティックな中間部がしばらく続くと、メインのテーマに戻る前に、非常に印象的なアップテンポなインプロ・パートが挿入される。この部分がやけにスリリングに進行し、そのハイライトでもって怒濤のようにテーマに回帰する訳だが、こうした構築的ともいえるアレンジは、全くもって「ライトオフ」にはない趣向である。キャラパンはこの曲では一見ジャズ・バンドのように振る舞いつつ、この部分では一気にこのバンドのプログレ的な素地を放出したといったところだろう(このパートではピアノ専門だったはずのスティーブ・ミラーが、何故か一瞬だけデイブ・シンクレア風なオルガンを弾いているところに注目したい)。この曲はこうした部分があったからこそ、単なる「ライトオフ」のエピゴーネンに終わらず、ジャズ・ロックの名曲となったのである。

2010年2月14日 (日)

KING CRIMSON / Red (40th Anniversary Series)

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 クリムゾンの初期の盤歴から三作が選ばれた40周年記念シリーズの最後の作品。70年代クリムゾンの実質的な最終作であり、それが意図されてこうなったのか、たまたまそうなっただけなのかはよくわからないものの、デビュー期からここまでのクリムゾンの全活動を総決算した内容になっている。この時期のクリムゾンは既にメンバーが3人だけとなっていた訳だけれど、本作ではイアン・マクドナルド、メル・コリンズなど歴代サックス奏者など様々なメンバーが参加していることも、そうした趣を一掃強めることになっていた。
 もちろん、キング・クリムゾンはその後に何度も復活して、現在も一応バンドは存続している訳だけれど、やはり往年のファンにとっては「キング・クリムゾン」といえば、まずはこの時期のクリムゾンのことであり、本作そのその掉尾を飾る作品ということで、ある種の感慨を抱かざるを得ないファンも多いのではないか。当然、私もそうである。

 さて、この新装版だが、前2作同様、DVD-Aディスクには、5.1chのサラウンド・ヴァージョンが収録されている(ただし、「リザード」のようなアナザー・リミックスがある訳ではない)。今回もまずはサラウンド・ヴァージョン(MLP Lossless 5.1ch)から聴いてみた。冒頭の「レッド」では、まずビルのドラムスが左右前後に大きく広がる音場を形成して、やけに立体的に響くのに驚く、この曲は基本トリオで演奏している訳で、そのダイナミズムの基盤にはまずビル・ブラッフォードがある....というコンセプトなのであろう。オリジナルに比較してそれほど抜けが良くなっている訳でもないが、この立体感は中々のものだ。
 「堕天使」は冒頭のSEが部屋の中を一回りするギミックにのって、例にってボーカルはセンターに定位、フリップのタビングされたギターはそれぞれ左右、前後にかなりピンポイントにバランスされ、管楽器群はオーケストラよろしく前方に広がりをもって展開されているという感じで、先の「リザード」の似たようなコンセプトでリミックスされているようだ(ある意味で「リザード」的なものを思い起こしたような曲でもあるし)。

 本アルバム中、もっともビルのドラムが炸裂する「ワン・モア・レッド・ナイトメア」は、多分、フリップもそう思ったのであろう、従来のヴァージョンに比べ、ドラムスがよりオン気味にバランスされているように感じる。とにかくビルのドラムの動きが明瞭に聴こえてくるのが印象だ。「プロヴィデンス」はご存じのとおりライブ音源の流用だから、マルチマスターはそれほど好条件でもなかったのだろう。全三曲に比べると比較的地味なリミックスになっている。基本、左にギター、右にヴァイオリン、センターにベースという割振りだが、こう2つに分けただけでも分離感は2チャンネルとはかなりイメージが違うのはおもしろいところだ。
 名曲「スターレス」は珍しくフリップのギター(当然ボーカルも)がセンターから聴こえ、左にメロトロン(左の前後に広がるパターン)、右はサックスという割振りである。ボーカルとギターが真ん中にきて左右と分離させたため、これに干渉されなくなったメロトロンとサックスの音色が生々しい。後半のエキサイティングな展開部は音の塊が押し寄せてくるような従来のイメージからすると、かなり計算ずくのアンサンブルだったことがよく分かる音になっているともいえる。

 という訳で、本作はそもそも前2作に比べると、かなり削ぎ落とした音数で勝負したアルバムだっただけに、装飾音が満載でそれをうまく交通整理した「リゾード」のような新鮮さは今一歩だと思う。ただ、「リザード」同様、エコーをもっぱら後ろに回したせいだろう、各楽器のエッジとSN比はかなり上がっていて、特にビル・ブラッフォードのドラムの動きが良くわかるので、ファンならこれだけでもかなり楽しめることと思う。
 ちなみにボーナス・トラックは「堕天使」のオフ・ボーカル・ヴァージョンに、「プロヴィデンス」のフル・ヴァージョンと「A Voyage To The Centre Of The Cosmos」の三曲。後の2曲は「The Great Deceiver」に収録されていたものと基本的には同じで、前者は「レッド」ではカットされた数分間のコーダがついていて、後者は「アズペリー・パーク」スタイルのアップ・テンポなインプロとなっているが、いずれにしも既に公開済みのソースなので、それほど有難味があるものではない。

2010年2月13日 (土)

UKZ / Radiation

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 エディ・ジョブソンといえば、昨年ようやく重い腰を上げて、UKZなるレギュラーバンドを発足させた。このUKZはデビュー・アルバムに先行して、4曲入りのミニ・アルバムを出し、6月には早々と来日公演もちゃっかりと実現させて、往年のUK作品はもちろん、きっとベースにトレイ・ガンがいることで実現したのだろう、なんとクリムゾンの「太陽と戦慄II」なども演奏したらしい(ジョブソン自身も、かの曲には少なからず縁があるのはご承知のとおり)。
 さて、本作は前述のミニ・アルバムである。すぐにでも出そうな勢いだったデビュー・アルバムも、目下のところ、発売にこぎつけておらず、新星UKのサウンドを聴けるのはこの4曲だけ....という状態が、都合もう1年も続いている訳だ。早いところフル・アルバムを聴かせてもらいたいものだが、とりあえず、今夜はこのミニ・アルバムでも聴いて、新生UKへの渇望を癒すこととにしたい。

 UKZのメンツはジョブソンとトレイ・ガン以外はあまり有名ではなく、アレックス・マクヘイサック(gt)、マルコ・ミネマン(ds)、アーロン・リッパート(vo)という布陣である。こんな形容をしたら、本人達に怒られるかもしれないが、おおよそ「21世紀のテリー・ボジオ&アラン・ホールズワーズ+アルタナ系ボーカル」といった感じだろうと思う。少なくともジョブソン自身が、メンバーのそうした腕やセンスを見込んで、このバンドを結成したことだけは間違いない。
 1曲目の「Radiation」など、まさにそういう感じの音になっている。イントロは「アラスカ」や「テーマ・オブ・シークレット」を思わせるジョブソン得意のちょっと歪んだ空間サウンド、本編は「パワー・トゥ・ビリーブ」のクリムゾン風な-ということはレディオヘッド的ということでもある-ヘビィでモダンなサウンドとなっている。ギターはかなりソリッドでエッジの切り立っており、これにアーロン・リッパートのボーカルがのると、いかにもオルタナ系な音楽に近づくものの、中間部ではやはりクリムゾンの「ブルーム」を思わせるギターのアルペジオから、ははーん、やっぱりという感じのホールズワース風のギター・ソロが登場して、プログレ的なところもしっかりみせている。

 2曲目の「Houston」はアコスティックな趣もあるミディアム・テンポのジェントルな作品。シンセの白玉、アコギ、フリップ風な息の長いEギターが組み合わさったサウンドで、やはりクリゾン風、ただし、こちらは「スラック」期のクリムゾンのバラードに共通するセンス。3曲目の「Tu-95」はインスト作品で、本作に収録された4曲中、もっとクリムゾン色の強い作品となっている。ほとんど「Elektrik」や「The ConstruKction of Light」の異母兄弟といいたいようなサウンドだ(ただし、クリムゾンがやったような、テーマ部分のテクニカルな楽器のリレーはない)。なお、中間部では短いがジョブソンによるオルガン・ソロも登場する(かつての「メタモーフォシス」や「ジ・オンリー・シー...」でお馴染みのアレ)。4曲目の「Legend」はエピローグ風なギター・ソロだ。
 そんな訳で、このミニアルバムを聴く限り、バンド内でジョブソン自身は拍子抜けするほど露出していない。おそらくトレイガンに音楽の実質的な主導権を委任してしまっているのだろうが、もう少しジョブソンの個性を出しても良かったと思う。来るデビュー・アルバムではそのあたりはどうなるのだろうか?。


※ ジョブソンといえば、間もなくUKZとは別のバンドで来日するようです。マーク・ボニーラやビリー・シーンを擁したスペシャル・プロジェクトのようですが、それはそれでいいとして、一体UKZのアルバムはどうなったんですかねぃ。

2010年2月12日 (金)

PINK FLOYD / Is There Anybody out There? -The Wall Live 80-81-

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 「ウォール」というアルバムは、昔から私の鬼門である。先日も書いたけれど、ピンク・フロイドというと、私は「原子心母」で開眼し、主に「ウマグマ」から「狂気」までの幻想的路線のサウンドに耽溺していたせいで、「炎」はまだ良いとしても、リアリズム路線が顕著になった「アニマルズ」、そして濃厚なアジテーションが横溢した「ウォール」に至っては、ピンク・フロイドというバンド名こそ同じだけれど、もはや別のバンドになってしまったように感じてしまい、私の音楽的興味の範疇から離れてしまったのだ(同じ頃、クラシックやジャズの方に音楽的関心がシフトしてしまっていたことも大きいのだが)。
 とはいえ、「ウォール」はご存じのように記録的なヒット作ではあったし、音楽的評価も非常に高いものがあったので、「従来型のフロイドの延長として聴くと違和感も大きいが、きっと音楽単体として聴けば優れたものに違いないだろう」という思いも捨てがたくあり、ここ四半世紀、たまに思い出しては聴いてみたりはしていた。しかし、ダメなのである。せいぜい「ある種のロック・オペラとしてはきっと優れているんだろうな」みたいな冷淡な感想しか思いつかず(笑)、この音楽について好きになるというところには到底行かなかったのである。

 さて、本作は「ウォール」発表後、20年以上して発売された「ウォール」発表直後に敢行されたツアーでのライブである。収録曲は「ウォール」の全曲、それにスタジオ版では削除されたとかいう2曲が復元演奏されており、その意味スタジオ盤の「ウォール」より、むしろ作品の全貌を伝えているのはこちらの方という人もいるくらいの作品である(「ウォール」以外のナンバーは一切収録されていないという、潔い編集も逆にそうした点を浮き立たせている)。私が今回これを購入したのは、本作がそうした意味で「ウォール」のアナザー・ヴァージョンであるということが大きい。スタジオ盤の「ウォール」を今更聴いても、ネガティブな印象は変えられそうもないが(笑)、ライブ盤ならまた違った側面が見えてくるかも....という訳だ。
 で、実際聴いた印象としては、予想に反して中々いい。スタジオ盤の「ウォール」はいささかボブ・エズリンが全体を仕切りすぎたのか、アルバムを構成する曲がそれぞれポップになった反面、やや小振りで大人しめな音楽に終始しまっていたようなところが否めいが、こちらはライブだけあって、みなぎる緊張感といい、その緊張感が停滞しない一貫した流れといい、この大作にこめられたであろう「閉塞状況においこまれた、主人公の自我の葛藤」みたな部分をけっこうリアルに伝えていると思った。お馴染み「Another Brick In The Wall」が三カ所に配置した前半のバランスなど、スタジオ盤だとなんだかとりすました他人事みたいに感じた訳だけれど、こちらはドラマを動かす主要テーマとして、きっちりとその役割を認識できるといったところだろうか。

 あと、今さら気がついたことを書いておくと、ピンク・フロイドってこの時期から既にサポート・メンバーを付けてかなり分厚いサウンドを展開していたということ。サポートを付けてライブをするのは、てっきりギルモアが主導してからだと思っていたので少々意外だった。あと、この時期のフロイドだから、こうなるのは致し方ないところだが、いわゆるフロイド的なサウンドという点で、ここに参加したサポート・メンバーはおそらくフロイド的音楽に全く慮っていないというか、けっこう普通のスタジオ・ミュージシャンのあっけらかんと音を出しているのは、やはり「ウォール」ゆえということになるんだろうか。ウォーターズも凄い気合いでアジってることだし....。
 という訳で、このライブ盤、けっこう気に入ったので、iPodに入れてしばらく聴き込んでみることとしたい、かなりイケそうな予感がする(うれしい)。実をいうと、これと一緒にウォーターズの「ヒッチハイクの賛否両論」と「レディオ・ケイオス」も購入してきたので、これが気に入ったら、「ウォール」同様、これまで鬼門中の鬼門だったこれらの作品にも再挑戦することとしてみようと思う。あっ、でも、その前に「ファイナル・カット」があったけか。

2010年2月11日 (木)

JAN AKKERMAN / Heartware

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 ヤン・アッカーマンは私が大好きなギタリストだ。元々彼が所属していたフォーカス自体を大昔から好きだったせいで、その縁で彼のことも追いかけるようになったのだが(同様にタイスvレアーのことも好き)、フォーカス脱退前後の頃ならいざしらず、さすがに最近のものについては、あまり網羅的に聴いていないのが実情だ。一応未聴のアルバムを見つければ、たいていは購入するようにしているのだが、彼のソロ活動の変遷をクロノジカルに把握するというところまでは行っていない。
 なにしろ、フォーカス脱退後の彼のカタログときたら、マイナー・レーベルのリリースが主体なのに加え、レーベルもやたら分散しているので、フォーカス脱退後に一体何枚のアルバムを出しているのかさえ、実はよくわからないのである。本作もクレジットをみると、1986年から87年にかけて録音されたものらしいのだが、Wikiのカタログには掲載されておらず、アルバムの詳細がよくわからないのはもどかしい。

 さて、1986年から87年頃のアッカーマンといえば、再編成フォーカスとにはずだったタイスvレアーとのプロジェクトが「青い旅路」というアルバムを残して、予想通り(笑)に破綻した時期にダブっている。おそらくプロジェクト破綻直後の録音なのであろう(一応、ギター・トリオ編成をとってはいるが、ギター以外のサウンドは彼自身の打ち込みがベースになって、適宜生音と差し替えつつ制作されたと思われる)。音楽的にはかなり「青い旅路」に似た軽やかな感触を持っているのが特徴だ。
 なにしろ1曲目はタイトルこそ「My pleasure」となっているものの、一聴すれば分かるとおり、「青い旅路」に収録されたフォーカス流の長尺ディスコ・ナンバー「ベートーベンの復讐」と同一曲である。リンドラム等を使ったベーシックな打ち込みリズムは、ほとんどまんま流用してしまっているといってもいいほどだ。また、2曲目の「Just because, so」も、同アルバム収録の「オールド・ジュディー」に酷似したリズム・パターン、雰囲気を持っていたりするし、3曲目「Lost and found」もなんとなく、「キング・コング」を思わせたりする。本作には他にもそうした部分がけっこうあり、そうやって聴くと、本作は「青い旅路」をちとルーズにして、ギターを全面的にフィーチャーしたアルバムという風に思えてくる。

 アッカーマンとタイスvレアーとのプロジェクトが何故破綻してしまったのか、私にはよくわからないが、おそらくアッカーマンは「青い旅路」でもって、本作で聴けるような、ゆったりとして広がりがあり、フュージョンとは異なるタイプの口当たりの良さを追求したような音楽をやることを思い描いて、タイスとプロジェクトを組んではみたものではないだろうか。ところが、久しぶりに一緒にやってみると、例によって音楽のディテールにこだわり、やたらと緻密に作り込んだ音楽をやりたがるタイスに辟易して、ブロジェクトを飛び出してしまった....本作を聴いていると、そんなシチュエーションがなんとなく思い浮かんできたりする。
 個人的には「青い旅路」で聴けた、色彩的で緻密に組み立てられた音楽も大好きではあり、残念ながらそれに比べると、完成度という点で大分劣るものの、アッカーマンらしくシックで伸びやかなギター・ワークが堪能できるという点では本作も悪くない....いや中々の出来だと思う。また、一部「寛ぎの時」で展開したような印象派風というか、スタティックなフュージョン・サウンドを復活させているのも楽しいところである。

2010年2月10日 (水)

RICK WAKEMAN / Six Wives of Henry VIII - Live at Hampton Court - [Blu-ray]

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 繰り返されるイエスからの離脱と再加入、まさに粗製濫造というしかない膨大なソロ・アルバムのリリースなど、ここ十数年あまりに出たとこ勝負な活動がたたって、ファンから見放されがちなリック・ウェイクマンだが(失礼!)、このディスクは昨年、ロンドンのハンプトン・コート宮殿で行われたライブ映像である。このコンサートが一体どのような経緯で実現したのかは知らないが、ロケーションはくだんの宮殿の庭とおぼしき野外ステージ、そこに7人のバンドメンに加え、生オケと合唱団が加わるという大規模な編成でもって、「ヘンリー八世と6人の妻」を再演するという、実に豪華なパフォーマンスになっている。
 リック・ウェイクマンといえば、日本では既にほとんど過去の人ではあるが、しばらく前にリリースした「続・地底探検」といい、本コンサートもDVDの他に、こうしてブルーレイというフォーマットでさえリリースされるところからして、本国での彼はまだまだコンサートで客を呼べ、かつそこそこディスクが売れる人なのだろう。かつて人気を二分したキース・エマーソンがグレッグ・レイクとともに、アメリカの片田舎をドサ回りしている惨状からすれば、なんとも幸福な老後を送っているものよ....という気がしてしまう。

 さて、本コンサートであるが、基本的には「ヘンリー八世と6人の妻」をまるごとライブで再現している趣である(ちなみに曲順はけっこう違っていて、1,3,4,6,2,5の順で演奏されている)。ただ、オープニングにファンファーレをつけたり、このコンサートための新曲なのかはどうか不明だが、前後に何曲をプラスし、また「地底探検」にあやかったのだろう、曲の合間には俳優らしき人がナレーションをつけるなど(ついでに「6人の妻」とおぼしき衣装を纏ったモデルさん達も出てくる)、いろいろと拡大して、コンサートそのものは90分ほどの長さになっている。ちなみに「地底探検」、「円卓の騎士」、「ホワイトロック」といった、同時期の名作からの曲は一切でてこない。2部構成にするとかして、演奏しても良かったのではないかとも思うが....。
 演奏そのものはオリジナルに忠実といってもよく、アコピは部分的にしか使用されていないようだが、アコピのパートはそれらしい音色できちんと弾いているし、ムーグやパイプ・オルガンもそこそこオリジナル通りのサウンドになっているのは、往年のファンならうれしくなるところだろう。また、ここ20年くらいのウェイクマンがよくやらかす、あまりに過剰なフレーズの装飾癖はそれほどでもなく、オリジナルにあった青年らしいナイーブな趣もけっこう再現しているのはうれしいところである。もちろん、そもそもキーボード×2、ギター×2、ベース、ドラム、パーカスという厚めのバンド編成なのに加え、ここではオケやコーラスまで加わるのだから、ウェイクマンらしい大仰さは十分すぎるほどある。

 バンドのメンツはトニー・フェルナンデス(ds)や、アダム・ウェイクマン(key)といった常連の他は、知らない人ばかりだが、英国の名パーカッショニスト、レイ・クーパー(エルトン・ジョンと2人でツアーしたスキンヘッドの人ね)が参加しているのもちょっと拾い物の感がある。この人のパーカスは独特のジャストなノリがあって、往年のイングリッシュ・ロック・アンサンブル同様、もっさりしがちなバンド・アンサンブルをけっこう引き締めていたと思う。リック・ウェイクマンはこういうコンサートでは定番のマントを羽織って登場、大分巨体になったが(笑)、プレイそのものは至って元気であり、ほとんど危なげがないのはさすがというべきか(最後は息子のアダムとのショルダーキーボードによるバトル、いやぁ、実に元気です-笑)。
 ちなみに視聴したのはブルーレイだけあって、映像は非常に精細なのはもちろんだが、2chはPCM(つまり無圧縮)、5.1の方もHD DTSというクウォリティの高いヴァージョンで収録されているので抜群の音質である。ただし、オーケストラやコーラスがバンド・サウンドの前に埋もれがちなバランスなのはいただけない。そういうコンセプトでリミックスされたのかもしれないが、せっかくの物量があまり生かされていない気がしたのも確かだ。

2010年2月 8日 (月)

PETER BARDENS / Heart To Heart

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 現在、キャメルといえば「アンディ・ラティマーのバンド」という評価が歴史的にも定まっているのが、彼らの黄金時代、つまり70年代中盤頃は、ラティマーをリーダーとするバンドというよりは、演奏面であれ、作曲面であれ、ラティマーとピーター・バーデンスが同等にリーダーシップを握るいわば双頭バンドの形態をとっていた。彼ら自身も確か当時のインタビューで語っていたような記憶があるが、ビートルズでのレノン&マッカートニーのような体制だったのだろう。この時期の彼らが残した「ミラージュ」、「スノーグース」、「ムーンマッドネス」の三作は、ラティマーとバーデンスの個性がある時は拮抗し、またある時は離れがたく結びついて、絶妙なバランスを見せたプログレ史上の傑作である。おそらくこの点にはついては、誰もが認めるところであろう。ところが、この両者の音楽的な均衡は「レイン・ダンセズ」あたりから綻びをきたし、ついに「ブレスレス」では、決定的に崩壊してしまうことになったらしい。結果的にバーデンスはこれ最後にバンドを脱退、その後のキャメルは一貫してラティマーが仕切っていくことになるのは周知のとおりだ。

 さて、本作はそんなピーター・バーデンスがキャメルの脱退直後の79年に発表したソロ・アルバムである。キャメル本体でいえば、「リモート・ロマンス」の頃の作品ということになるが、当時、熱狂的なキャメル・ファンであった私からして、このアルバムはそもそも存在自体を知らなかったのだから(当然、国内発売はなし)、ほとんどプログレ・ファンから黙殺されたのも同然だったように思う。私はこのアルバムを実は数ヶ月前に購入して、今ようやっと聴いているところだが、この内容からして、当時、これを聴いたファンなら黙殺せざるを得なかったのも分かろうものである。なにしろ、アルバム全体が70年代後半の喫茶店なんかで流れていてもいっこうに違和感のない、当時流行のフュージョン的な感触を取り入れた、軽い(本当に軽いのだ)イージー・リスニング調ロックといった音楽なのだ。
 なにしろ冒頭の「ジュリア」からして、あまりといえばあまりに力の抜けたボサノバ風なポップ作品、2曲目の「ドァーイング・ザ・クラブ」はブラスをフィーチャーした意味不明なボードヴィル調、3曲目の「スリップ・ストリーム」でようやく、多少キャメル時代のスペイシーさを思い出したようなシンセ・サウンドを見せるが、これにしたって基本はポップなディスコ・ナンバーである。当時聴いたらほとんど脱力ものだったのではないか。

 もちろん、キャメルとの音楽的関連を探せばいくらでも見つかる。5曲目「ジンクスド」は「ブレスレス」の「ザ・スリーパー」と似ているともいえなくないし、6曲目の「アフター・ダーク」で聴けるオルガンはいやおうなくキャメルを思い出させる。また、7曲目の「スロー・モーション」のテーマは「アースライズ」を、タイトル・トラックでは「レイン・ダンセズ」の抒情が甦ったりする人もいるだろう。ただ、なんていうか、つい何ヶ月前までキャメルに居た人が作った音楽としては、あまりに「緩くぬるい」のである。当時、リアルタイムで聴かなくて良かったとさえ思うくらいだ(笑)。おっと、誤解がないように書いておくと、これは決してネガティブな意味ではない。バーデンスはこれら一連のソロ・プロジェクトを全て失敗した後、90年代に入って、折りからのニュー・エイジ・ブームにのって、「シーン・ワン・アース」等ヒット作を出す訳だけれど、本作はこれらのニュー・エイジ作品の美点を踏まえた上で聴くべき作品であり、この「緩くぬるい音楽」は決して欠点ではなく、キャメルとは切り離して地点で、初めて心地良く響くものだといいたいのである。つまり、本作は早すぎたニュー・エイジ作品なのだ。私は近年そういうバーデンスの音楽をますます好きになりつつあり、本作もそうした意味で、やけに心地よく聴ける作品となっている。

2010年2月 6日 (土)

KING CRIMSON / Lizard(40th Anniversary Series)

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 40周年シリーズの一作、この新装再発シリーズはキング・クリムゾンの諸作から3作が選ばれている訳だけれど、「宮殿」と「レッド」というのは納得できるとして、どうしてそこに「リザード」が入るのか、若干解せない感もなくはない。クリムゾンの「ポセイドン」、「リザード」、「アイランズ」の3作は、ロバート・フリップが「宮殿」以降のクリムゾンを暗中模索していた時期の過渡期な作品群として、その後の作品に比べると若干低めな評価がされているからである。ひょっとすると、フリップは今回のリミックス&リマスターにより、とりわけ評価が低い「リザード」という作品への再評価を促すつもりなのかもしれない。なにしろフリップは「紅伝説」の頃から、「ポセイドン」や「リザード」の収録曲を部分的なソースの差し替えを含んだリミックスをやっていて、どうも従来のミックスに彼自身が納得していていないことがありありと感じられたからだ。

 今回は5.1chのサラウンド・ヴァージョンを聴いてみた(オリジナル・ヴァージョンの方)。まず、「サーカス」では開巻エレピのイントロに続いて幻のように聴こえるゴードン・ハスケルのボーカルが、5chいっぱいに広がる、この広がりだけでもかなり新鮮に聴こえるのだが、驚くのはそれからだ。やがてボーカルのエコーが次第に絞られてデッドになるにつれ、ボーカルの定位がセンター・スピーカーにきれいに収束していくオーディオ効果には驚いてしまう。「どうだ、すげーだろ」とほくそ笑んでいるフリップの顔が見えるようだ。また、途中聴こえてくるメル・コリンズやフリップのアコギなどは、きっとボーカル扱いなのだろう。ハスケルに準じた形でぴたりとセンターに定位して、その音の粒立ち、鮮度はある意味ショッキングですらある。「インドア・ゲーム」や「ハッピー・ファミリー」では、ムーグ、ギター、サックス、エレピ、タンバリンなどが、極端にあざとくならない程度に5chに振り分けられ、「リザード」特有の迷路のような感覚を倍加している印象だ。あと、「水の精」はch毎への楽器の振り分け、適度な残響の付加で、従来のいささかぼんやりとした感触が、くっきりとした透明感あるものに変わっている。

 旧B面を占める「リザード」組曲は、このヴァージョンでもって、従来のイメージをかなり一新した印象がある。この組曲はマントヴァーニ風(笑)なメロトロン、フリージャズ風な管楽器群、クラシカルなピアノ(オーボエも)といった楽器が入り乱れ、ある種カオスのような様相を呈しており、2chでは響きがどうしても飽和しがちだったものを、ここではフロントの3chに主な要素を振り分け、それらの残響はもっぱらリアに回したのが効を呈しているのだろう。とにかく各楽器の粒立ちが驚くほど鮮明かつ立体的になっていて、この音楽が本来意図していたでろあろう、抒情と破壊、高貴と通俗が騙し絵のように入り乱れるコンセプトがはっきり伝わってくるのだ。このあたりの音楽全体を見通しを良くする意図は「紅伝説」でリミックスがほどこされた「ボレロ」でも感じられたけれど、やはり5.1chという器があってこそ達成されたというとみるべきだろう。「ボレロ」でフリー・ジャズ風な演奏をするジャズ部隊とは別動のクラシカルなオーボエは、わずかに後ろ寄りに定位させて、同じ管楽器でも音楽的役割事に音場も分担させたているあたりさすがという他はない。

 ちなみに、全体を通じてアンディ・マクローチのドラムとハスケルのベースは主に重量感という点でオリジナルの質感からかなりグレートアップしたリアルさがあり、メロトロンの響きも従来の賑々しいものから、かなりナチュラルなものへと変貌している。ギミックとしては、「ルーパート王子」では、ジョン・アンダーソン自身によるバック・コーラスが後ろから聴こえてきたり、遊園地風な「ビッグトップ」はフロントの左チャンルネルにはじまり、センター、右へと移動し、そのままリアの右から左へと、ちょうど音が部屋の中をひとまわりしたところでフェイドアウトする演出になっている、こういうのはファンとしてはなかなか楽しいものがある。
 という訳で、素晴らしいとしかいいようがないサラウンド・ヴァージョンだ。この手のサラウンド化は、プログレの分野ではELPやイエスなどもあったけれど、さすがに当事者自らがリミックスに当たった強みだろう、オリジナル・ヴァージョンを決して裏切らない妥当なセンスがものをいって、他人様の手の入ったサラウンド・ヴァージョンとは比べものにならないほど、納得できる仕上がりになっていると思う。ちなみにディスクにはこれとは違う、ニュー・ステレオ・ミックスも収録されていて、そちらはさらに新鮮な響きが横溢しているが、これについては別の機会に譲りたい。

MORAZ, BRUFORD / In Tokyo

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 どういう訳か、昨年になって発掘されたモラーツ&ブラッフォードのライブ音源(昔出ていたブートをオフィシャル化したものかもしれない、音質的には良好なカセット録音といったレベルである)。1985年、本邦、赤坂におけるライブであり、短命に終わったこのデュオの最後(つまり2作目を発表に前後した)時期を捉えたライブということで、いろいろな意味で興味深い演奏になっている。このデュオは1作目は「ピアノ・トリオ・マイナス・ワン」といった趣のジャズ的な色彩に強い演奏であったが、2作目ではパトリック・モラツの自己顕示欲が例によって強まったのか(笑)、大々的にシンセを導入してよりプログレ的な音楽に変貌していった。本作はこのデュオの音楽がこうした方向にシフトしていたことを、如実に感じさせるパフォーマンスになっている。主要な曲をメモっておこう。

 1曲目の「Blue Brains」はビルのシモンズ等エレクトリック・ドラムを大きくフィーチャーしたアフリカン・ミュージック的な作品、モラーツもカリプソ風なシンセ・サウンドでそれに答えており、1作目のピアノ&ドラムスというシンプルな音楽とは大分違ったベクトルを感じさせるサウンドになっている。2曲目の「Hazy」は1作目のラストに収録され、きちんスコアリングされたこのデュオの良質な部分が発揮された作品だが、ここでも冒頭にシンセをフィーチャーした長目のイントロ、中間部のエレクトリック・ドラムの小ソロなど、長さも広がりも拡張されたサウンドになっているのが特徴か。4曲目の「Cachaca」はある意味本作の目玉かもしれない。モラーツのソロ・アルバム「i」からのお馴染みの作品であるが、賑々しいオリジナルとは対照的なピアノ&ドラムスによるシンプルな形態で演奏ではあるものの、さすがにビルのドラムで聴く「Cachaca」は凄まじい。中間部でテンポを上げて、エキサイティングに展開していく場面を始めとして、両者のハイ・テンションなインタープレイの応酬はさすがだ。

 5曲目の「Galatea」は1作目の路線に近いフリーなインプロをフィーチャーしたこのデュオのスタティックな側面が良く出た作品。スタジオでは途中出てくるジェントルなテーマがもう少しきっちりと配置されていたが、ここではライブらしく自由な流れになっている。8曲目「Children's Concerto」はこのデュオのプログレ的な側面で考えれば、最高傑作ともいえる作品で、かなり構築的作品だが、ここではやや流し気味にさらりと演奏している。9曲目の「Jungles of the World」は1曲目同様エレクトリック・ドラムをフィーチャーしたワールド・ミュージック的作品で、いくらかその後のアースワークスの音楽も見え隠れしているともいえるかもしれない。ラストの「Temples of Joy」はシンフォニック・プログレ的作品で、モラツはシンセ、ビルはジャズ的なドラミングではなく、イエスやクリムゾンでのそれを彷彿とさせるドラミングに終始しており、当時第二の全盛期を迎えていたビルのテクニカルなプレイを大いに堪能させてくれる。

2010年2月 3日 (水)

PINK FLOYD / Pulse (DVD)

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 「対」発表に併せた1994年のワールド・ツアーでの映像(2005年のリイシュー)。再結成フロイドについてかなり毀誉褒貶が激しいものがあるが、こと私に関していえば再結成フロイドにはけっこう好意的だ。とくに第一弾の「鬱」は大好きなアルバムで、これをひっさげて敢行された十数年ぶりに日本公演も、これを逃してはなるものかと、代々木のプールにはせ参じたくらいである。「鬱」や「対」といったアルバムは、デイブ・ギルモアの音楽であって、フロイドの音楽ではないという批判するのは簡単である。が、それをいうなら、解散間際のフロイドの音楽だって、あればフロイドではなく、ロジャー・ウォーターズの音楽じゃないか、という文句だってあっていいハズだ。私のようにフロイドの最初に聴いたアルバムが「原子心母」で、「炎」....いや、「アニマルズ」あたりで、いったんフロイドへの音楽的関心を失ってしまったようなリスナーにとってはなおさらである。その意味で、再結成フロイドの音楽は、私にとって1970年代初頭の頃への回帰として心地よく響いたのである。

 さて、本作では元々もの凄い物量をかけたステージを、ふんだんに資本を投下して映像化した作品だけあって、一個のコンサート・ヴィデオとしても素晴らしく充実した内容になっている(ブートから起こした本編未収録曲のボーナス映像などもふんだんに収録)。また、前述の通り、ギルモア主導の音楽であるとはいえ、やはり往年のフロイドのメンバーがとりあえず3人がステージにいるという視覚効果(アリバイというべきか-笑)は凄いものがある。当然といえば当然かもしれないが、先日観たデイブ・ギルモアのソロ・コンサートに比べると(ここにはリック・ライトは一応名を連ねていたが)、音楽的な実質はほとんど変わらないような気もするのだが、やはりフロイド的なオーラを強く感じさせずにはおかない。
 いわく、本当はたいした意味などないのかもしれないが、妙に意味深に聴こえる曲のプロローグ、暗鬱でなにやら悲劇を暗示するようなムード、安息の地を求めて、どこかを彷徨っているような浮遊感覚、冷え冷えとしているようで、妙な温もりがあるサウンドの感触などなど、少なくとも私には、70年代前半のフロイドが持っていた「妙に心地よいサウンドによる孤独感の表現」のようなものが復活しているように感じられた(もっとも、ロジャー・ウォーターズが不在になって、その意味深なサウンドやムードが空虚に聴こえるという意見も納得できないでもないが)。ちとオーバーいえば、「狂気」の後、フロイドはその後辿った既定の歴史とは、また別の音楽的展開がありえたのではないかと考えさせたりしたほどである。

 ちなみに3人のコーラス隊の真ん中に、陣取っている美しい白人女性はサム・ブラウン。往年のファンならご存じかと思うが、70年代のブリティッシュ・ロックの名作でバック・コーラス隊として常連だったヴィッキー・ブラウンの娘である。彼女はソロ・アーティストとしても評価の高い人だが、ジョン・ロードのアルバムなどでも見かけることも多く、母親譲りのこうした活動もしているようだ。ついでにもう一点、サイド・ギターのティム・レンウィックは70年代から常に地味ではあったものの、堅実なセッション系ギタリストとして活躍して人で(そういえば彼もジョン・ロードのアルバムによく参加していた)、このステージでは意外にも数多くのソロ・パートも担当している。てっきりギルモアが弾いていると思ったところが、実は彼だった....というところが何カ所もあったりする。こんな端役も活躍振りを拝めるのが、DVDの楽しいところである。


2010年2月 2日 (火)

SADCAFE / Fanx Ta-Ra

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 先日、サッド・カフェのデビュー作「哀しき酒場の唄」(1977年発表)を、CDでようやっと入手できた。CD期に入って早四半世紀たいていのアルバムは既にアナログ盤からCDに買い換えが済んではいるものの、一部、いつになってもCD化されないもの、あるいはCD化されたが買い逃していたものがあって、このアルバムなどはその最右翼といえるものであった。サッド・カフェのサッド・カフェたる作品といえば、やはりセカンド・アルバム「殺怒珈琲II」ということになるかもしれないが、個人的にはこのアルバムもセカンドに負けず劣らず大好きなアルバムなのである。

 サッド・カフェがオリジナル・マンダラバンドを母体として結成されたことは有名だけれど、この作品はいったん作りかけて何らかの理由でボツになったのか、そもそも構想だけで終わったのか、そのあたりはよく分からないところが(おそらく前者だろう)、ともかくオリジナル・マンダラバンドのメンツにより、制作されるはずだったマンダラバンドの2作目がもし出来ていたら、いったいどんな代物だったのか?が、濃厚にうかがい知ることができる内容なのである。私はそうした本作の随所に散りばめられた「幻のマンダラバンドの2作目の幻影」が大好きなのだ。

 その「幻のマンダラバンドの2作目の幻影」はB面の濃厚だ。ほぼ片面全てを使ったこの組曲風なメドレーは、サッドカフェがその後に展開するAOR風な音楽という観点から見ると、プログレ的な大仰さがあまりに濃厚なため、音楽的にはちと破綻しているようなところがないでもないのだが、そのいかにも過渡期然といった感じのとっちらかった豊富な情報量は、まさに1977年という時期だからこその趣がある。まず、冒頭はヴィック・エマーソンによる不気味なスケールを感じさせるキーボード・オーケストレーションによる前奏に始まる。この雄大なスケール感にアシュレイ・マルフォードのギラギラしたギターがのって音楽が高揚していく様は、オリジナル・マンダラバンド以外の何者でもあるまい。

 とりわけ、興味深いのはメドレー3曲目の「フリングスの休日」である。ジャズ・ロックというにはあまりにリゾード風というか、ボサノバ・フュージョン的な洗練されたインストだが、実はこの曲のリズム・パターンやムードが本家マンダラバンドの第2作の「ライド・トゥ・ザ・シティ」に酷似しているのは、おそらく偶然ではないだろう。たぶん、オリジナル・マンダラバンドの2作目のマテリアルとして作られたものを、どちらも流用しているのだと思う。「幻のマンダラバンドの2作目の幻影」の最たる部分のひとつである。ちなみにこの演奏、ビリー・コブハム風のドラムといい、ハンコック風なピアノといい、フュージョンとしても実に素晴らしい出来(当時のイギリスのスタジオ・ミュージシャンの腕の高さに感心することしきり)。そこにマルフォードのロック魂が炸裂するようなギターがのるのだから、まさにプログレである。うーんたまらない。

 さて、このメドレーのハイライトは「クラムビデクトラウス」でやってくる。序盤こそ男女のデュエット・ボーカルにのって軽めに始まるが、歌いまくるギターのテンションが上がった1分半のところで、音楽の様相が突如一変、70年代初頭の雰囲気がむんむんするブルースロック的なヘビーなリズムも凄い迫力だが、ヴィック・エマーソンによる後期ロマン派風(金管の咆哮をシミュレートしているあたりの執拗さ)キーボード・オーケストレーションも凄い。半音階的手法でどこまでも昇り詰めいくように音楽が展開していく様は、ワーグナーの「トリスタン」も顔負けの迫力である。加えて、「オレがロックだ!」といわんばかりに歌いまくるギターも素晴らしく、このクラシカルなオーケストレーションとギトギトとしたロック・ギターのドッキングこそは、「幻のマンダラバンドの2作目の幻影」以外の何物でもないといったところだろうか。

 このドラマチックなハイライトを受けた「アイ・ビリーブ」がまたいい。この名曲はシングル・カットされ、そのジェントルなポップさ故か、イギリス国内でまずまずのヒットした。おかげで彼らの活動は順調に滑り出す訳だが、果たしてそのせいで、今回取り上げたような、このアルバムには前述の如く随所に残存していたマンダラバンド色は、次作はほとんど消えてしまうことになる。もちろん、2作目自体は素晴らしい出来だったので、それはそれで良いのだが、やはりこのバンドの前身を知るファンとしては、少し寂しい思いをしたのもまた事実であった。

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