05 その他

2010年8月13日 (金)

森園勝敏/エスケープ

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 1980年録音のソロ第3作。本作から自らをリーダーとするバンド、Bird's Eye View(BEV)を立ち上げたようで、これはその第1作ということにもなる。本作では前2作では、かなりフィーチャーされていたブラス隊がひっこみ、よりバンド・サウンドに近い音になっていて、これまでになくジャジーでアダルト・オリエンテッドな音楽になっている。とはいえ、編曲の中心となるのは、第1作「バッドアニマ」からの付き合いになる中村哲(kbd,Sax)が中核となってるため、音楽的ムードはある程度一貫してはいる(少なくとも、次に「スピリッツ」のようなイメチォン感は薄い)。今回は収録曲をちくいちメモしてみたい。

 1曲目の「キャデラック・キッド」はベン・シドランの曲で、フュージョンというより、4ビートなども交え、その後の隆盛を誇ることになるAORフュージョン的な仕上がりになっているがおもしろい。冒頭のSEなども含め、都会の夜的なお洒落なムードとアーシーさが絶妙にブレンドしていてなかなかの出来。
 2曲目の「バチスカーフ号」って潜水艦のことだろうか。そういえばメカニカルなリズム・パターンやメカニックなシンセ・サウンドがそれっぽい感じもする。その間隙をぬって、森園のギターがエレガントに歌いまくる。そのテンションは前2作より高いかもしれない。
 3曲目「サム・カインド・オブ・ラヴ」はボーカルをフィーチャーしたかなりポップな作品で、中期スティーリーダン的な趣きもあるし、次作を予告しているかのようでもある。が、聴きどころといったら、やはり中間部での聴けるギターであろう。それはまさに絶好調といった感じの天衣無縫さがあるのだ。

 旧B面、1曲目となる「ブルー・ファンク」はまろやかなムードを持ったソフィスティーケーションされたファンク・ナンバー。ある意味、森園らしい作品ともなっているとも言えるが、後半に出てくるロングトーンで奏でられるツボを押さえたギターワークも素晴らしい素晴らしい。
 後半2曲目となる「アンタイトルド・ラヴ・ソング」もボーカルをフィーチャーし、もろにスティーリー・ダン風なAOR作品になっている。ストリングスやコーラスも交えてシティ調の演出だが(途中でグルーシンの「コンドル」風になるのはご愛敬か)、森園ギターはラリー・カールトンかスティーブ・カーンかといった感じだ。。
 オーラスの「ナイト・バード」は、ストリングスやピアノを中心としたサウンドをのって、森園がジャジーなバラード系のプレイを披露する…という、これまたアダルト調の作品。本作はこれまででもっとも、AORフュージョン的な作品というのは、先に書いた通りだが、この曲もアルバムの最後を飾るに相応しいミッドナイトな雰囲気がある。

2010年8月11日 (水)

森園勝敏/スピリッツ

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 クール・アレイから一作飛び越えて、81年のソロ第4作。自らのバンドBEVを率いてのアルバムで1,2作目で展開していたレイドバックしたフュージョンではなく(三作目もその路線だった)、ウェストコーストAOR的な爽やかさ、ポップさ、そしてシャープなリズム感覚を全面出した仕上がり。ボーカルもけっこう沢山とっており、その佇まいはこれまでの作品より、あからさまに当時の「売れ筋」に焦点を定めているようにも思える。また、当時の日本製の音楽としては、精一杯がんばったウェスト・コーストっぽいAORサウンドでもあったろう。

 特に1曲目の「Give It Up Love」と2曲目「Nothing Could Ever Change -」、あと8曲目「Love In A Can」など、かなり売れ筋に意識した、AORポップなナンバーになっていて、サウンドもキラキラするようなシンセ、キャッチーなリフとリズム、ポップなコーラスなど、当時売れ線だった音楽が持っていた記号を沢山フィーチャーして、これまでの渋い音楽からすると(ついでにいうと、本作はいつものブラス隊は登場せず、シンセがカバーしている)、ちと本作は日和ったかな…と思わせるほどだ。ただ、こうしたポップな装いの狭間で、森園は意外にもかなり天衣無縫なギター・ワークを聴かせているのだから。世の中分からない(笑)。

 ムーディーな4曲目の「ナイト・ライツ」は、なんとなく「レディ・ヴァイオレッタ」を思い出させるような甘いトーンのギター・ワークを聴かせていて、当時、四人囃子ファンにとってはけっこう溜飲が下がった曲ではなかったかと思われる。またファンキーなリズムをフィーチャーして、かなりポップに仕上げた6曲目の「ストライキン」などは、久々に四人囃子時代の活気のようなものを思い出させもしたりするのだ。更に「Moon Gazer」は、例によってスティーリー・ダン風(というか、ドナルド・フェイゲン風というべきか)なサウンドだが、前作までの緩いところが影を潜め、かなりシャープなサウンドになっている点も注目される。

 そんな訳で、このアルバムを聴いていると、森園の本音というのがどうもわからなくなってくる。おそらく2枚目の「クール・アレイ」でやったようなアーシーでレイドバックした音楽というのが、彼の音楽的本音というか「本当にやりたい音楽」なのだろうが、このポップなアルバムで、聴ける天衣無縫といいたいようなギターを聴いていると、存外こっちが「本当の森園」で、むしろアダルトでレイドバックした音楽というのは、彼なりの気取りというか背伸びという気もしないでもないのだ。まぁ、どっちを好むかといったら、人それぞれだろうけれど。

2010年8月 2日 (月)

吉松隆/タルカス~クラシック meets ロック

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 この3月14日に東京で行われた「新音楽の未来遺産~ROCK&BUGAKU」という演奏会でのライブ・レコーディング。この演奏会はプログレとは何かと縁の深い吉松隆が、ELP初期に作られたあの組曲「タルカス」を三管のオーケストラに編曲して全曲演奏するという、アナクロだか、現代的なんだかよくわからない試みが話題になり、確かNHKFMでも放送されたりしている。
 ともあれ、ダイジェストなどではなく、あの一大組曲をまるまる全曲管弦楽化しているのには驚く(演奏会が企画され、編曲を進めたもの、エマーソン自身が許可がとれたのは、演奏会直前の一週間くらい前だったというのは笑えたが…)。演奏は東京フィルハーモニー管弦楽団、指揮は藤岡幸夫、ピアノ中野翔太という布陣だ。

 一聴した印象としては、良くも悪しくも原典を忠実に管弦楽化したという感じで、かの曲を寸分違わずオケで再現するというのは、それ自体かなり意義のある試みであるには違いないし(こういう例はおそらく世界最初の試みではないか?)、時にドラムのフィルやオルガン・ソロのフレーズに渡るまでオケで逐一、忠実に再現しているのは、かの作品に対する並々ならぬ愛情を感じさせたりもするものの、聴いていてその執念に感心する反面。どうせフルオーケストラで演奏するなら、オリジナルから一歩跳躍した大管弦楽ならではの妙味というのものまで感じさせて欲しかった…という印象も持たざるを得なかった。
 とはいえ、こういう試みが欧米に先立って、極東の日本でなされたというのは、ある意味凄いことではあるには違いない。しかもオーケストラの編曲はおそらくエマーソンがかの作品を作曲した時に、漠然と脳裏に思い描いたであろうオーケストレーションより、遙かにモダンでダイナミック、かつ非西洋的な仕上がりである。また、エマーソンの意を汲んでか?、途中ヤナーチェックばりになったり、プロコフィエフ臭くなったり、ジョン・バリーの「ゴールドフィンガー」っぽい金管咆哮になったりするのは、きっと吉松のエマーソンに対する一種のリスペクトであろう。聴いていて、思わずにやりとさせられる。

 フィルアップとして収録れたのは黛敏朗の「舞楽」(当然、これは編曲していない)。ドボルジャークの有名な弦楽四重奏曲「アメリカ」をオケとピアノのために編曲したもの(吉松はこれをReMixと呼んでいる)。そして吉松自身の作なるプログレへのオマージュが随所に封じ込められた作品として、けっこう有名な「アトム・ハート・クラブ組曲#1」である。
 「舞楽」は黛の代表作のひとつだが、王朝風な和の響きを近代オーケストラに精緻にシミュレートしつつ、次第にそれらを超えたダイナミックな音響へと発展していく作品で、「アメリカ」はジャズっぽいピアノが入っているせいか、なんとなく「ドボルジャーク・ミーツ・ガーシュウィン」みたいな雰囲気がある編曲だ。また「アトム・ハート・クラブ組曲#1」は第1曲が「タルカス」風、第4曲がブギウギ的だったりするが、全体としては飄々とした雰囲気をかもしだしつつ、エネルギッシュに進んでいく現音作品といえる。


2010年7月28日 (水)

森園勝敏のソロ二作

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・バッド・アニマ
 プリズム脱退後の1978年に制作されたソロ第一作。プリズムのようなスポーティーなフュージョンではなく、ブラス・セクションをフィーチャーし、ブルース色やファンキーっぽさを表に出したけっこう渋い仕上がりである。実はこの作品も初めて聴くのだが、一聴した印象としては、ちと趣味性に走りすぎて地味になってしまったような感もないではない。聴く前の予想としては、もう少し「レディ・バイオレッタ」のような、快適フュージョンのような曲があるのかとも思ったが。どうもコンセプト自体そういう方向は眼中になったようだ。
 まぁ、なんていうか、昔の言葉でいえば、ひたすらレイドバックした音楽をやっているという印象なのだが、どうせこういうアーシーな音楽を指向するなら、もう少し本場っぽいコクや濃さが欲しかったという気もするし、なにしろ、もう少しギターを聴かせてくれてもよかったろうと思う。とりあえず、本作で四人囃子的なプログレセンスが感じられる作品といえば、やはりB面の「ハイタイド」と「スペーストラベラー」あたりだろうか。こういうくぐもっていて、しかも浮遊するようなセンスは、四人囃子というより、やはり森園のものだったのだ。

・クール・アレイ
 「バッド・マニア」に続くソロ第2作(78年)、前作はそれなりにヒットしたらしく、それを受けて本作では当時流行ったLA録音が敢行された。参加したメンツは知らない人ばかりだが、ジム・ケルトナーが参加しているのは豪華ではある。音楽的にはブログレ的な1曲目だけはちょっとギョっとするものの、残りの曲はほぼ前作ラインのレイドバックしつつ、ちょっとアーシーな色づけをフュージョンといったところ(前作同様アレンジが中村哲のせいもあるだろう)。もちろんブラス隊も参加している。また、今回は本場のミュージシャンの参加を得たせいか、音楽的には前作以上にメリハリがあり、森園も一ギタリストに徹したプレイを聴かせるのはうれしいところだ。
 ちなみにカバーが何曲か収録されていてるが、どれもアメリカ産の渋いものばかりというのはおもろしい。ひょっとする海外でのセッションだったから、あえてこういう曲を取り上げただけなのかもしれないが、やや線は細い感はあるものの、なかなか堂に入ったプレイではある。いずれにしてもこういう曲をやりたかったギタリストが4人囃子でギターを弾いていたのは、振り返ればおもしろいことである。

2010年7月23日 (金)

プリズム/プリズム

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 四人囃子以降の森園の活動に興味が沸いたのでSACDを購入してみた。私はプリズム自体をほとんど聴き込んでいないクチで、このデビュー作も多分初めて聴いたものだが、一聴して70年代後半のRTF、そしてアル・ディメオラあたりの影響をモロに受けたテクニカル・フュージョン+英国のブランドXやアラン・ホールズワース周辺のプログレ風味といった感じの音楽になっている。デビュー作ということで配慮したのか、旧A面には割とポップでキャッチーなナンバーが4曲ほど並んでいるが、旧B面になると一気にごりごりとしたテクニカルさが全開になるという構成になっている。メンバーは和田アキラ(gt)、渡辺建(b)、伊藤幸毅(k)、久米大作(k)、鈴木リカ(ds)に森園が加わった形だ(つまり、ダブル・ギター&ダブル・キーボードだったということか、考えてみれば凄いことである)

 収録曲ではやはりB面の3曲が聴き物だ。「ヴァイキング2」はギターととシンセのトリッキーなユニゾンが、いかにも70年代後半のフュージョン・シーンの熱気を甦らせてくれてるような曲で、転調後やにわに入ってくるストリング・シンセの音色がいかにも70年代末期の香りがする。8分近い「ターネイド」は全編のハイライトか。この曲などまさにディメオラそのものといった感じの、スパニッシュ風なテイストを取り入れたテクニカルな作品で、思わずキーボードまでヤン・ハマーしてしまっている。途中、少しだけ和田と森園のギターのインタープレイが聴かれるのは楽しい。ゴリゴリとした攻める一方の和田に対し、森園は地味ながらエレガントな受けで返しているあたりはさすがだ。「プリズム」もトリッキーなキメが連打するテクニカルな曲で、本アルバム中ではもっとプログレ風というか、ブランドX的な激辛感のある演奏になっている。和田のギターはジョン・グッドサルかジョン・エサーリッジという早弾きを披露しているのには、思わずニヤリとさせられる。

 ちなみに、当然といえば当然なのだが、プリズムはあくまで和田アキラが主導したバンドであるため、森園はほとんどサイド・ギター扱い、堅実というか、はっきりいってほとんど目立たないプレイで、印象は地味そのものである。とはいえ、プロに徹したギターのカッティングなど、過剰負担だった四人囃子から離れた場所で得たある種の開放感だったのだろうか、実に小気味よいプレイにはなっている。また、渡辺建の弾くベースの表向きゆったりとした構えとは別に、存外アグレッシブさをも内包したグルーブ感はこのバンドに独特のノリを与えていると思う。旧B面のアグレッシブな3曲では、日本人離れした安定したプレイを展開していて出色のプレイになっていると思う。

2010年7月17日 (土)

四人囃子/包(Pao)

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 前作「PRINTED JELLY」と同じ佐藤、岡井、坂下、佐久間というメンツで制作された1978年の第4作。76年の「ゴールデン・ピクニックス」、77年の「PRINTED JELLY」、そして78年の本作と、毎年アルバムをリリースできたというのは、途中、支柱だった森園の脱退の憂き目に遭いながらも、四人囃子自体の活動はかなり順調だったということなのだろう。

 収録曲は全10曲。基本的には前作ラインのプログレ・ハード的なサウンドをベースに、更にポップなセンスを加味した音楽という感じか。また、いちばん長い曲でも5分半だから、時流に乗ったサウンドのコンパクト化、曲のポップ化が進行していたことは明らかだが、同時にそのスピード感、ソリッドな趣きは更に倍加し、特にドラムとベースがフュージョン的なテクニカルさ、アグレッシブさ表に出ていることも注目される。

 アルバムは、佐藤ミツル作の「眠たそうな朝には」から軽快に始まる。前作のハード・ポップさをより推進したような曲だが、ドラムとベースがフュージョン的なテクニカルさを見せているのがおしろい。78年といえばああいうリズムがヒップな時代だったのだ。2曲目の「君はeasy」は岡井の作品だが、こちらはアメリカン・ロック的な開放感が印象的な作品になっている。また、旧A面の最後の「Mongolid-Trek」はブランドX的なテクニカルさをベースにした素っ頓狂なインストになっている。

 旧B面に入ると、今度はいくらかテクノやニューウェイブ・ポップ的な趣きにアグレッシブなリズムを加味した「機械仕掛けのラム」が始まる。これは佐久間の作品だが、こうしたセンスはおそらく次作で大きく展開されることになるのだろう。また、8曲目の「ファランドールのように」ではヨーロッパ的なポップセンスも見せたりする。9曲目の「クリスタル・ボム」は前作ラインの曲だが、四人囃子らしいユーモラスなところをきっちりと抑えているのはさすがだ。

 という訳で、本作では4人メンバーがそれぞれ曲を持ち寄って作られた結果、かなりバラエティーに富ん作品群が入ることにはなったが、その分ややとっ散らかった出来になったのもまた事実だろう。当時の音楽シーンやバンドの状況からしてこうなるのは、ある意味必然だったのかもしれないが、ラスト「Vuoren Huippu」のようなプログレ風味がアルバムにもう少しあってもよかったように思う。

2010年7月10日 (土)

四人囃子/From The Valuts 2 「`73 四人囃子」

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 ディスク3は「`73 四人囃子」という78年に発表されたライブ・アルバムの全長版という体裁になっている。このアルバムはソニーから四人囃子が再デビューしたのをきっかけに、その前に所属していた東宝レコード(「一触即発」と「20歳の原点」をリリース)から、メンバーの承認も得ないで発表されたといういわく付きの作品だった。このボックス・セットが発売されるまでは、最初期の四人囃子を伝えるほとんど唯一のライブ・パフォーマンスでもあった。

 データ的なことを書いておくと、1973年8月俳優座でのハフォーマンスを収録したもので、これはほぼ「20歳の原点」と同時期、「一触即発」に先だった収録だったことになる(「一触即発」は74年の2~4月に収録)。本来FMのオンエアもしくは制作資料として収録されたものらしく、どうやらメンバーはこの演奏を自分たちのベスト・パフォーマンスだとは考えていなかったようで、それを5年も経ってから唐突にリリースされたことに不満を感じていたようだ。

 収録曲は「おまつり」「中村君の作った曲」「泳ぐなネッシー」「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」「一触即発」の5曲で、オリジナルとは曲順も当時のパフォーマンス通りに復元されているようだ。この時点で、既に「泳ぐなネッシー」や「空飛ぶ円盤」を演奏しているのは興味深いところだが、要するに、四人囃子のデビュー作は、当時既に揃っていたいくつかマテリアルから、とりあえず「おまつり」と「一触即発」を選び、それに何曲かプラスして構成されたアルバムというところだったのだろう。

 演奏はとても素晴らしい。森園のMCはまるで学園祭みたいなノリだが(笑)、それとは対照的に演奏はかなり練達そのもの。ギターの森園はもちろんだが、ドラムスの岡井大二とベースの中村真一のコンビネーションが素晴らしく安定しており、まさにライブで鍛え抜いたといった感じのパフォーマンスである。ラストの「一触即発」など、そのパワフルさに日本的なワビサビを違和感なくライブで共存させていて、当時の日本のロックが確実に第二世代を迎えていたことを実感させる。

 最後に音質について書いておくと、一応ボード録音なので、当時の水準はぎりぎりでクリアしている。ただし、バランス的にどうかと思うところは散見するし、全体にSNが悪く、サウンドが飽和気味になってしまうのは惜しまれる。ただし、この音質で当時の四人囃子のハフォーマンスが聴けるのは、今となってはよくぞ残しておいてくれた…といった感が大きい。少なくともディスク4と5に収録されたエア録音に比べれば、その差は歴然である。

2010年7月 7日 (水)

四人囃子/From The Valuts 2 「20歳の原点」

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 このところ四人囃子やフライドエッグなど70年代前半の和製ロック?が妙に懐かしくなってしまい、外でも自宅でも愛聴しているところなのだが、その勢いにのってこのボックス・セットも購入してみた。四人囃子の蔵出し音源を集めた5枚組だが、「2」とあるだけにその前があって、そちらは四人囃子の全活動期間からまんべんなく音源が集められていたようだが(私は所有していない)、この「2」は森園在籍時の音源を集めている。

 今日はその中からディスク2を聴いてみた。主に「20歳の原点」からの曲を収録している。かの作品は映画のサントラ的な位置づけで発売されたせいか、高野悦子を演じた角ゆり子のナレーションなどが入っていたが、ここではそれらの一切カットし、フェイドアウトされていた部分は復元するなど、いわばカンパケ一歩手前のヴァージョンが収録されている格好になっている。要するに四人囃子の音楽だけに焦点を当てた編集となっている訳だ。

 このアルバムは発売して、大分経ってから聴いたような気がするが、内容的には全くピンと来なかったという記憶しかない。あまり覚えていない。どうしてそうなったのかといえば、聴いてみれば明らかだが、本作のほとんど「そのまんまフォーク的」なところだったのだろう。当時の私は「アンチ四畳半フォーク」だった渋谷陽一氏のせいもあったのだろうが、この手のフォーク(ついでに演歌も)が大嫌いで、敵視すらしていた実に狭量な高校生だったのだ(笑)。

 そんな訳で、本作はもうほとんど初めて聴くような印象である。2,3曲をのぞいて、大半は森園の弾き語り状態、いくらか内省的ではあるが、ほぼ完全なフォークである。だが、今聴くとこれがすごくいい。表向きフォークといっても、実は「ホワイトアルバム」だったり、アルバム「マッカートニー」っぽかったりするのだし、もうフォークだ演歌だのといったジャンルで音楽を敵視するような歳でもないから、収録曲全てから感じられる、70年代初頭独特の虚脱したようなムードは、抵抗がないどころか、なんとも身体に馴染んでしまう。

 「20歳の原点」というアルバムは、彼らが「一触即発」を作るために請け負った…いわばやっつけ仕事的にスタジオで録音されたというのは有名な話だが、逆にそれ故に四人囃子(というか森園)の、気負っていない音楽的素地が出ているといえるかもしれない。誰もがいうことだが、その意味でフロイドの「モア」「雲の影」などと近い感触がある。


2010年7月 1日 (木)

四人囃子/PRINTED JELLY

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 四人囃子については、ほぼリアルタイムで「ゴールデン・ピクニックス」までは聴いたが、リーダーの森園勝敏の脱退に伴い興味半減、それ以降の彼らについては全くといっていいほど聴いていなかった。なので、実は「ゴールデン・ピクニックス」の翌年に早々と発表された本作も、実は今回初めて聴いたことになる。一応、クレジット関係をさらっておくと、脱退した森園に替わってギターとボーカルに佐藤ミツルが参加し、残り3人はキーボードが坂下秀実、ベースが佐久間正英、ドラムスは不動の岡井大二という布陣で1977年に制作された作品ということになる。

 なにしろ、バンドのギタリストとしてはもちろんだが、主要な作曲やボーカルまで担ってきた森園が抜けただけに、音楽的陣容としてはかなり変化している。ここでは70年代初頭のニュー・ロック的な雰囲気が一掃され、ソリッドなサウンドをベースにしつつも、ポップなセンスもそれなり露出していくという音楽になっている。もっともこうした方向性は実は前作からの流れだった訳で、そういう視点から聴いていけば、それなりに納得できる仕上がりだという気もする。なにしろ当時の音楽シーンは、スタイルとしてのニューロックやプログレが次第に陳腐化し、こうしたバンドは四人囃子に限らず、おしなべてポップで明るく…という音楽的なイメチェンを図り始めていたから、これは当時の音楽的潮流でもあった。

 音楽的には前述の通り、かなりポップに衣替えしてはいるものの、意外にも四人囃子らしい浮遊感(「シテール」「気まぐれの目かくし」)やある種の日本的な可愛らしいさ(「ハレソラ」)といったテイストは健在という印象である。新加入の佐藤ミツルだが、ソリスト指向が強かった森園に比べ、ハードなエッジで切り込むリフに特徴があり(「N★Y★C★R★R★M」)、スペイシーなソロなどもとるが、情緒的にはドライなプレイになっている。ざっくりいってしまうと、森園のギター・ワークがプログレっぽいエリック・クラプトンだとすると、佐藤はポップなジミー・ペイジといえるかしれない(ボーカルの頼りなさはどっちもどっちだが)。

 というわけで聴いていると、必ずしも四人囃子と状況的には同一な訳でもないものの、デビッド・アレン、スティーブ・ヒレッジなど主要メンバーが脱退したゴングが、その後残ったメンバーでもって、意外にも従来のゴングらしさを保持したまま、いくぶんポップで、開放的な雰囲気を持った傑作「シャマール」を、ものにしたことを思い出したりもする。同じ頃のジェネシスもそうだったが、思えば、本作も音楽シーン全体がそうした過渡期にあった頃の作品だった訳だ。

2010年6月16日 (水)

四人囃子/2002 Live

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 2002年に行われた"森園"四人囃子のリュニオン・ライブである。メンバーは森園勝敏、岡井大二、坂下秀実というデビュー作の布陣である。私はよく知らないのだが、四人囃子は80年代の終盤からライブなどでは散発的に再結成を繰り返していたらしいが、この2002年の復活はこうしてアルバムを出していることからも分かるとおり、かなり気合いの入ったものだったらしい。収録曲はデビュー作「一触即発」と「ゴールデン・ピクニックス」から名曲で大半が占められていて、それ以降の作品や新曲の類は全く入っていない。潔い選曲というべきだろう。

 まぁ、こうした経緯もあってか、内容は基本的に「懐かしの再結成」みたいなものである。ただし、前述ののようにそれなりに準備期間というか、馴らしの活動期間があったせいだろう、「旧友の再会セッション」的な即席感やくたびれた感じは全くなく、非常に充実している。特に森園の円熟のギター・ワークが問答無用の素晴らしさである。往年の彼はクラプトン、サンタナ、ギルモアなどの影響があまりにもあからさまな、日本製ギタリストだったけれど、これだけの年月が経た現在、もうそんな影響云々はどうでもよくなってしまい、「森園のギター」だけが聴こえてくるのは、森園自身の変化もさることながら、やはりリスナーの方の受容姿勢が今やすっかり様変わりしていることも大きいと思う。

 演奏には70年代のナイーブさやシャープさは当然にない。メンバーが50代後半なのだから、当たり前である。ただし、その分、練達のテクニックと経験でもっで、往年の曲を実に大らかにバンド自身が楽しんで演奏しているような老獪で円熟した良さがあり、聴いていてオリジナルから不足感や欠落感といったものをほとんど感じさせないのはさすがだ。例えば「泳ぐなネッシー」など、さすがにテンポが上がってからの、目まぐるしい展開は、オリジナルに比べると多少もっさり感があるものの、ここで聴けるちょっとモヤとしたようなうねりのような感覚は初期の四人囃子そのものであり、ここに当時より数段豊穣なフレージングを聴かせる森園のギターが入って、結果的には昔よりこちらの方がいいんじゃないかと思わせたりするくらいだ。

 また、昔も今のステージのハイライトに登場するらしい「一触即発」の前曲から切れ目なしにスタートするが、原曲にあったフロイド、パープル、ELP、サンタナのあからさまなコピーみたいなところは、既に確実に昇華され、現在ではスタンダローンな名曲としての、風格すら感じさせるような演奏になっているのも、やはり時の流れを感じずにはいられない。また「レディ・ヴァイオレッタ」もオリジナルのフュージョン風なところはぐっと後退させ、森園のロック的ボキャブラリーで再構成したようなアレンジになっていて、前後のプログレ風な曲と並べても違和感のない演奏になっている。それにしても、この曲はプログレというよりも、明らかにフュージョンといった趣の曲だが、いずれにしても日本のギター・インスト史上に残る名曲だと思う。

 アルバムのラストには「CYMBALINE」が演奏されている。70年前後のフロイドのステージ・ナンバーとして一時ファンには有名だった曲だが、おそらく70年代に四人囃子はステージで頻繁に取り上げていたのを再現したというところだろう。四人囃子はフロイドの影響が濃厚なバンドだったから、さぞやフロイド的な演奏になっているのかと思いきや、彼らほどにはシュールでも特有な浮遊感かある訳でもなく、もう少し日常的な幻想風景を見せてくれるあたり、逆に四人囃子という「日本のバンド」の個性が出た瞬間といえなくない。という訳で、このオマケの一曲も含め全編に渡って非常に充実したライブ・アルバムである。ファンならめっぽう楽しめること請け合いだ。


● 愚にもつかぬ つぶやき