04 ユーロ系

2010年9月13日 (月)

EDGAR FROESE/Aqua

Aqua


 1974年リリースのヴァージンでの第一作。フローゼがオール時代のソロを残していたのかどうか、実ははっきりしないのだが、おそらくソロ作品としてはこれが第一作となるだろう。時期的には73年の「フェードラ」と74年の「ルビコン」の間くらいに制作されたようで、実際聴こえて来る音楽も、調度両作品の狭間のようなものになっている。
 具体的にいえば、オール時代のシリアスで重厚な音響に、徐々に抒情的あるいはロマンティックな情緒が浸食し始めたタンジェリン・ドリーム本体の音楽に、ほぼ歩調を合わせた趣きといってもいいと思う。まぁ、フローゼはタンジェリン・ドリームのリーダーだったから、こうなるのも当然といえば当然だろうが、ソロ・アルバムにありがちな趣味的な部分を展開したようなところが全くないのは逆におもしろい。

 ただし、タンジェリン本体とは違って、ペーター・バウマンがいないので、例の扇動的なビート感はほぼ皆無、フランケのパーカッシブでアブストラクトな音響センスもないので、音楽はややこぢんまりとしているのはソロ作品だから仕方ないところだろう。まぁ、その代わりといってはなんだが、ここには「悪夢の浜辺」や「フェードラ」を思わせる飛び散るようなシンセの粒子感、白日夢のようにどろーんとしてやけにスペイシーなオルガンの白玉が全面に出ているのが特徴ともいえる。
 タンジェリン・ドリームの音楽というのは、テンポの緩急やサウンドのメリハリという点で、一聴して即興的に聴こえても、実は明確にハイライトが設定された構成的なもの(特にスタジオ録音はそう)であるのに対して、ここで聴こえてくる音楽は一見それと似ているようで、ある意味アンチクライマックスの音楽というか、時間のとまった宇宙を永遠に漂っているような感覚があるのが特徴だと思う。まぁ、そのあたりがタンジェリン・ドリーム本体とはまた違った気持ち良さだろう。

 収録曲では17分に及ぶタイトル・トラックの「アクア」が聴き物だ。文字通り「水」をキーワードに様々なイメージを膨らませた音楽で、ふざけた表現をすれば「悪夢の浜辺(フェードラ)に至る川の流れ」といった趣きが感じられる。2曲目は「パノフェリア」は単純なシーケンス・パターンにのって様々な音響が繰り出させれるタンジェリン・ドリーム本体の「フェードラ」を思わせる作品だが、さすがにこういう作品ともなると、スケールといいサウンドの多彩さといい、さすがに本体の完成度にはかなわないという気がする。
 旧B面の「NGC891」は序盤でオール時代を思わせる荒涼としてスペイシーな音響が展開され、途中から「ルビコン」を思わせるリズム・パターンが入ってきてタンジェリン・ドリーム本体を彷彿とさせる音楽となる。ラストの「アップランド」もオール時代を思わせるスペイシーな音楽で、オルガンの狂おしさが懐かしい。

2010年6月13日 (日)

TANGERINE DREAM / Live In Bilbao`76 Pt.1 (The Bootleg Box Set.1)

Td


 前回取り上げたクロイドンでの公演から約3ヶ月後、1976年1月のスペインはビルバオのパフォーマンスである。この時期のタンジェリン・ドリームはツアーで忙しかったのか、結局1974年の「ルビコン」から1976年「ストラスフィア」までの間は結局スタジオ録音のアルバムを残さなかったことになる。もちろんその間「リコシェ」があり、もう何度も書いているとおり、あのアルバムはこの時期のライブ・パフォーマンスの「最良の部分のみを再構成した」アルバムだから、まぁ、半分スタジオ録音といえないこともないのだが…。
 いずれにしても、1975年という年のタンジェンリン・ドリームはおそらく音楽的な充実度という点ではひとつのピークを迎えいていたことはほぼ間違いなく、この時期に彼らが入念なスタジオ・ワークでアルバムを残さなかったのは、むしろ彼らのために惜しまれるものである。

 さて、本パフォーマンスだが、意義面からいえば「リコシェ」と「ストラスフィア」と間隙を埋める演奏記録ということが出来ると思う。この時期のタンジェリンの布陣でいうと、バンド内のテンションは「リコシェ」の時がピークであり、この後は彼らはかなり急速に緊張感を失い、自己の作り上げたスタイルの再生産をするようなる…というが、私の考えだが、このパフォーマンスでもそのあたりが随所に伺えような気がする。
 冒頭の約10分は「リコシェ:パート2」の前半の抒情的空間を入念に開陳し、そこからややシュールな音響を経て、同じく「リコシェ:パート2」の後半風な遠近感のあるパーカスにのってメロトロンが活躍する場面となり、やがてシンセ・ベースなリズムが導入、そしてお得意のパターンとなっていく訳だ。もちろん「リコシェ」直近のパフォーマンスだから、まだまだ演奏の覇気やテンションは十分に高いのだが、なんというか、スタイルとして飽和点に達してしまっていて、今までの手の内であれこれやりくりしている感が強いのである。

 ひどい邪推だが、彼らは「リコシェ」を作るにあたって、あれこれと展開された自己のパフォーマンスから、最良な部分を選別しつつ、逆にそれがバンド内に刷り込まれてしまったのではないか。このパフォーマンスを聴くと、既に「リコシェ」で聴いたことがあるような音ばかりなのである。1977年に出た「リコシェ」の夢よ再びという感じで購入してきた「アンコール・ライブ」では、バンドのテンションのあまりの降下ぶりに、愕然としたものだが、この時にその萌芽はあったといえる。
 さて、このパフォーマンスの後半であるが、シンセ・リズムの王道パターンの中、やがてギターがフィーチャーされ、この時期特有の狂おしいテンションが感じられる素晴らしい演奏になっていく、このあたりは最盛期ならではものといえるだろう。ちなみにこのパートでは、最後の最後までシンセベース風のリズムが途切れずに鳴っているが、このパターンは多少珍しいかもしれない。

2010年5月16日 (日)

TANGERINE DREAM / Live In Croydon`75 Pt.2-3 (The Bootleg Box Set.1)

Td

 パート2は、シンセの白玉にのってアコスティック・ピアノが入る。「リコシェ」や「アンコール」でお馴染みのものである。タンジェリンがいつから、そして、どんなきっかけでアコスティック・ピアノを導入し始めたのかはよくわからないのだが、おそらく導入はこの時期であることに間違いあるまい。ついでにそのきっかけとなったのは、想像だが、やはり当時一世を風靡していたキース・ジャレットにあるのではないだろうか。冒頭からインプロ風につま弾くところなど、その影響は明らかという気がするのだが....。
 さて、それがしばらく続くと、例のシューベルトみたいなトラディショナルなフレーズが登場する訳だ。このフレーズをフローゼは気に入っていたようで、その後何度も使い回すことなる。このアコピのパートはアルバムだと、こうした部分はほんの刺身のツマくらいのスペースしかさかれていないが、実はこういう風に延々とやっていた訳だ。

 5分ほどしたところで、一旦、シーケンサー風のリズムが登場して、お得意のパターンへと発展すると思いきや、いったん静まり。またして抒情的な空間に舞い戻ってしまうが、このあたり、当時のタンジェンリンが本当にインプロでステージをやり繰りしていたことを物語る展開だと思う。やがて鼓動のようなリズムが聴こえてくると、メロトロンのクワイア、SEなどが絡み、本格的にリズムが始まる。このパートではバウマンが手弾きしたパターンを主体にした、まさにリズムのつづれ織りのような、「エキサイティングなテリー・ライリー」の如き音楽であり、「リコシェ」そのものといった音楽になっている(ちなみに、録音したテープが30分だったからだろうか、最後に欠落があるのは、なんとも残念だ)。
 ちなみに子細に聴き比べた訳ではないから、断言はできないが、どうやらパフォーマンスの一部が「リコシェ」にも使われたようで、フローゼのギター・パート以降のかなり部分は、そのギターやシンセのフレージングからしてほぼ同一ソースのようにも聴こえる。ともあれ、この狂おしいまでのテンションは、まさにもうひとつの「リコシェ」といっても過言ではない仕上がりである。

 パート3は前パートの続きなのか、アンコールなのか判然としないが、おそらく前者なのであろう。前パートのテンションそのままで、シンセによるリズムの饗宴になっているが、後半多少疲れてきたのかテンションが落ち気味なのが残念だが、バウマンのイマジネイティブなキラキラするようなシーケンス風フレーズなど聴きものである。
 という訳でこのパフォーマンスは、「リコシェ」リリース時のタンジェリンが、実際のステージではどうだったのか知る上で、貴重なものであることは間違いない。わずか半年前のライブはおそるおそる使っていたという感じのシンセのリズムがここではメインとなり、初期の幻想的な音響がこのリズムの引き立て役みたいに変化していったことも良く分かるし、その後彼らがここで作り上げたいくつかのパターンを、自ら構造化させていく歴史を考えれば、その意味でも貴重な記録というべきだろう。

2010年5月15日 (土)

TANGERINE DREAM / Live In Croydon`75 Pt.1 (The Bootleg Box Set.1)

Td


 こちらは前回取り上げたロンドン公演から半年後の1975年の10月23日のパフォーマンスである。冒頭は一聴して誰でも驚くだろう。なんと「リコシェ」の同一のリリースの長いシンセ・ベース風の音が鐘のように鳴り響くあのパートの「元ネタ」である。「リコシェ」ではすぐさまリズム・ボックスのようなサウンドが重なって入ってきたが、ここではそれは入らず、比較的なだらかな起伏でこれが3分ほど続くことになる。「リコシェ」というアルバムがいかにも様々な音源を持ち寄って作られた仮想ライブだったことがよくわかろうものだ。
 この後はシーケンサー風なリズムが導入される。ここは「リコシェ」の元ソースではないようだが、かのアルパムの旧A面にそっくりな、バウマンの手動シンセベース・リズム+フランケのSE風シンセ+フローゼのギターでぐんぐん盛り上がっていく、全盛期のタンジェリン特有のあのサウンドである。スピード感あるリズムの元で、ギターのエロティックなフレーズが空間的なシンセの絡みあい、狂おしく上り詰めていくように展開していく様は全く素晴らしいものだ(オーディエンス録音風な音質なのがちと残念だ)。

 後半はリズムは次第静まるものの、狂おしいテンションはそのままシンセの乱舞状態になり(かなりのトランス状態)、それがしばらく続くと、次第に抒情味を増したムードが立ちこめていく。やはり「リコシェ」の旧A面のラストや「ルビコン」のオーラスに近い雰囲気である。やがて冒頭に聴こえてきたリリースの長いシンセ・ベース風の音も登場すると、ムードは桃源郷風なものとなり、静かにこのパートを終える。
 こうして聴いていくと、このパート1は大筋としてはほぼ「リコシェ」の旧A面の流れと同じだということがわかる。ただ「リコシェ」のような圧倒的な起伏、情報量はここにはなく、淡々とシンセでインプロを興じているという風情であり、ある意味「やはりライブでは、こんなもんだったのか」という感もするくらいだ。やはり「リコシェ」というアルバムは、実に様々なソースが総動員された結果、あの凄まじい音楽になったということなのだろう。ともあれこのパート1のパフォーマンスは約20分、半年前に比べれれば、シーケンサー風のリズムがより大きくフィーチャーされ、バンド全体のテンションがより上がってきていることは感じさせるのは確かだ。

2010年4月22日 (木)

DUNCAN MACKAY / Chimera

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 知る人ぞ知るキーボード奏者といえるダンカン・マッケイが、1974年に残したファースト・ソロ・アルバムである。彼は南アフリカ出身なので、本作は渡英する直前に母国で録音されたものらしい。本作がどの程度有名なのか、私にはよくわからないが、彼は渡英後コックニー・レーベルに参加中に残した「スコア」は、ほぼリアルタイムで国内発売されたこともあって比較的知名度が高いものの、本作に至ってはほとんど知られていない「埋もれた作品」だったと思われる。
 なにしろ、70年代の終わり頃にジョン・ウェットン、アンディ・マカロック、メル・コリンズ等豪華メンバーを率いて制作された「スコア」を聴いて、あまりのすばらしさに驚喜して、彼の名前を注意深くチェックするようになった私ですら、このアルバムの存在は近年まで全く知らなかったのだから、後は推して知るべしという感じであろう。

 さて、本作だがダブル・キーボード+ドラムスというトリオ編成での演奏で、基本的にはゴードン・マッケイ(弟?)がベーシックなパートをピアノ系の楽器で担当し、ダンカン・マッケイはその上を縦横無尽に走りまくるというグリーンスレイドばりのスリリングなスタイルで演奏されている。1曲目の「Morpheus」はとりあえずボーカルをフィーチャーした作品にはなっているものの、勘所はエレピ+ハモンドオルガン+ドラムスのアンサンブルでもって、目まぐるしいほどのリズム・チェンジとナイスやエクセプションを思わせるフレーズで埋め尽くされていて、典型的な鍵盤プログレになっている。
 また、驚くのは2曲目の「12 Tone Nostalgia」で、なんと全編に渡って次作の「スコア」使われる旋律がフレーズが散りばめられているのは驚いてしまう。まさに次の大傑作「スコア」の予告編かような作品になっているのだ。もちろん「スコア」のような完成度はなく、ホーム・デモのような仕上がりなのだが、ひょっとすると、「スコア」をプロデュースを担当したジョン・ウェットンはこの曲に目をつけて、数分ずつの曲にバラした上で交通整理をして作り上げたのではないか、などと推測したくなるような実に興味深いトラックになっている。

 3曲目は多分旧B面を使い切った20分の組曲で、雷鳴のSEから始まるドラマチックな大作になっている。特にテキスト化されたようなストーリーはなさそうだが、1曲目同様、激しいリズム・チェンジとクラシカルなムード、テクニカルなフレーズがつるべ打ちされた、ちょうどレフュジーがやった組曲のような、典型的な鍵盤プログレの様相を呈している。ダンカン・マッケイのキーボードは、リック・ウェイクマンな賑々しいフレーズとパトリック・モラツ的名技性、そしてジャズ的なムードなどヴァーサタイルなプレイに特徴があり、それは次の「スコア」で全面的に開花する訳だけれど、この組曲でもそれが十分に堪能できる。むしろグリーンスレイドにも迫ろうかというダブル・キーボードなスタイルの分、プログレ度は強いくらいである。
 という訳で、これはなかなかの傑作だ。完成度としては次作に遠く及ばないものの、この執拗なまでの鍵盤へ執着ぶりはマニアならニヤリとするところだろう。また、いかにもマイナー・レーベルでの録音しました的なナロウでモコモコした音質も、ユーロ・ロックのレア盤らしい雰囲気があって楽しいものだ。

2010年4月12日 (月)

TANGERINE DREAM / Live In London`75 Pt.2 (The Bootleg Box Set.1)

Td


 続いて、第2部を聴いてみた。このディスクには約40分に渡る本編(a~c)、そしてアンコールとおぼしき10分のパフォーマンスが収録されている。さすがに後半だけあって、「ルビコン」や「リコシェ」のB面と同様、かなりハイテンションなリズムで、ホットかつ大いに盛り上がる音楽になっており、編集なしで多少は間延びしているところはあるものの、当時のタンジェリンに心酔した人なら、かなり楽しめるバフォーマンスになっていると思う。

Part:2_a
 第2部はシンセの分厚い低音から動きの少ない瞑想的な音響からスタートし、SEとリズムの中間くらいのゆったりとしたパルスみたいなシンセ音、そして「ルビコン」風な桃源郷サウンドに発展していく。このあたりは「ルビコン」や「リコシェ」がすぐそこにあるという感じの全盛期のタンジェリンらしいサウンドだ。ちなみに、あくまでも、想像だが3人の大まかな役割分担としては、低音やパルスがフランケ、メロトロン、ストリング・シンセはフローゼ、きらきらするようなシンセ、高域SEがバウマンといったところか?。音楽がやや不穏ムードを増したところでパート2へ以降する。

Part:2_b
 こちらはメロトロン(クワイア)の荒涼とした響きが主体になり、前半は鳥の鳴き声みたいなシンセ音、後半はメロトロン(フルート)、ギター風なシンセなどが随時アクセントになって進行する。全体としては「ツァイト」の頃を思わせるようなSF的な響きだが、抒情的な趣きもある。聴きどころとしては、後半のメロトロン(2台?)が重層的な響きわたるところで、このあたりは最高にファンタスティックというか、奈落の底に延々と落ちていくようなイマジネイティブな場面となっている。

Part:2_c
 ここでようやくシンセのリズムが登場。低音の煽るようなリズムにパルス風なサウンドが重なるかなりアグレッシブなリズム(これも手弾きと思われる)で、途中、様々なリズム的なSEが加り、なにやらインド音楽のラーガの如きテンションで延々と進んでいく様は、即興とはいえ見事な構築力を見せつける。「リコシェ」のB面の中間部などは、おそらくこうしたパートから選りすぐって構成されたものなのだろう。エレクトリック・サウンドとはいえ煽るようにテンションが上がっていくホットな展開はやはりタンジェリンが「ロック・バンド」であったことを思い出させる。
 十数分に渡るリズム・パートを経た後は、メロトロン(フルート)、ストリング・シンセなど効果的に使ったお得意の抒情的な空間になっている。私の聴く限り、このステージから音源は採用されていないようだが、「リコシェ」のラストとほとんど同様な音楽となっている。

Part:2_d
 「d」はおそらくアンコールなのであろう。嵐のようなノイズにのって、ちょっとファンキーなリズムが繰り出させれる。そういえば、はるか後年に「ロゴス」にこんなリズムが繰り出される部分があった。さて、本編はアンコールなだけあってかなりテンポ良く進み、リズムもかなり小気味よい(シーケンサーが併用されているのかもしれない)。おそらくアンコールはこのパターンが多かったのだろう。後で「リコシェ」を聴くと、B面の中間部には、このパターンで行われた他日のアンコール部分と思われる部分が、実に効果的にインサートされていたことがよくわかる。

2010年4月11日 (日)

TANGERINE DREAM / Live In London`75 Pt.1 (The Bootleg Box Set.1)

Td


 先日取り上げたタンジェリン・ドリームの公式ブートボックスから、今日は75年4月2日のロンドン公演のパートを聴いてみた。前回も書いたが、この時期のダンジェリンはまさに全盛期であり、しかも75年4月といえば、おそらくは「リコシェ」の素材となったテープを回していた時期になるハズなのである。「グレイテスト・ヒッツ・ライブ」というか再構成された産物であった「リコシェ」に対して、「本当はどんなパフォーマンスを展開していたのか?」を知る意味でも、とても興味深いソースである。CDを聴く限り、このステージは2部構成で、前後ともに50分程度のパフォーマンスだったようだ。とりあえず、今回はその第一部のみを取り上げてみる。

Part:1_a
 導入は、この時期のタンジェリンらしい不穏な音響に始まり、そこに鳥のさえずりを模したようなやや耳障りなシンセ音が絡みつつ進行。やがてサウンドはクラスター的に重層化されていき、から異次元トリップ風な趣に展開。この部分はおそらくフローゼとバウマンがメインの音響を担当し、フランケはより効果音的な部分を担当しているのだろうと思われる。再び鳥のさえずり風なシンセが登場すると、バウマンの弾くメロトロンのフルートがフィチャーされたややミステリアスな音楽となり、このまま「ルビコン」を思わせる彼岸というか桃源郷風なサウンドへ変わっていく。このあたりのプロセスは非常にイマジネイティブなであり、当時のオーディエンスはさぞやトリップできだたろうなぁと思ったりする。

Part:1_b
 前パートからそのまま続く「b」は4分ほどの短いパートだが、特にここだけ独立した印象がある訳ではない。音楽的にはちょうど「リコシェ」の最終パートのようなコラール風な抒情的空間で、後半にはメロトロンのクワイア(合唱)が大活躍するのはいかにもタンジェリンらしい展開である。ちなみにこの時期の彼らのライブはほとんど即興だったようだが、この後、それはどんどん構造化していき、最終的にはほとんどスコアリングされたような音楽になっていく。ここで聴けるパートなども、その後のライブでは定番として現れるものだ。

Part:1_c
 前パートのムードをそのまま引き続き、華麗なるメロトロンの乱舞に乗って、いよいよシンセ・リズムが登場する。リズムそのものはシンセ・ベース風なシンプルなもので、タイプとしては「ルビコン」や「フェードラ」のA面を思わせるものだ。なお、この時期の彼らは一応シーケンサーも使っていたようだが、ここで聴けるリズムはおそらくバウマンによる手弾きでろう(微妙にリズムの位相をズラしているし、よれているところもある)。他のパートは-あまり根拠のない推測だが-、パーカス風な音を絡めるのがフランケ、メロトロンがフローゼといったところだと思わせる。ともあれ、全盛期のタンジェリン・ドリーム・サウンドであり、後半に行くにしたがって、上り詰めるようにテンションが上がっていく、そのパフォーマンスはさすがというしかない。

Part:1_d
 リズムが一段落すると、なにやら異次元空間を突破していくようなスペイシーさを感じさせる、ホワイト系や粒子系のノイズ、メロトロンが乱舞する音響となる。後半は再び「リコシェ」や「ルビコン」の終盤を思わせる抒情系な音響空間が展開され、そのまま第1部は幕となる。なので、この「d」パートは結果的に、パート1の後奏というかエピローグとも呼ぶべき役割だと思うのだが、それにしては14分という演奏時間はやや伸ばしすぎな感もなくはない。「リコシェ」ではこれに相当する部分は数分で切り上げていたはずで、こういう編集の妙こそが、「リコシェ」がいかにも傑出したパフォーマンスに感じさせたマジックの一端だったんだろうと思う。

2010年4月 1日 (木)

TANGERINE DREAM / Live In Sheffield `74.10.29(Bootleg Box Set Vol.1)

Td

 タンジェリン・ドリームは、彼らの全盛期のひとつであるヴァージン・レーベル初期、つまり70年代中盤に「リコシェ」というライブ・アルバムを残している。この時期の彼らが残した「フェードラ」「ルビコン」「ストラスフィア」といったアルバムはどれも名盤だが、「リコシェ」はライブ・アルバムであるにもかかわらす、前述の3枚に伍して何ら遜色のない、いや、ひょっとすると、それ以上に優れた音楽を展開していた傑作であった(ニック・メイスンが参加しているのもポイントが高い)。
 かの「リコシェ」は当時のタンジェリンが行っていた無数のライブ・ステージを収録したテープから、優れたパフォーマンスのみを抽出し、再構成されたアルバムだった。結果的にタンジェリン・ドリーム的なるものが非常に高密度に凝縮されていたことに加え、巧みな編集によって、まるで最初から1つの楽曲であったとしか聴こえないほどに、スムースな推移とスリリングな構成が感じられる、完成度の高い楽曲に仕上げられていたのである。

 さて、数年前に発表されたこのオフィシャル・ブートレッグ・ボックスは、1974年から75年にかけての行われた5つのライブ・ステージの模様がほとんど編集なしで収録されているものだ。今回聴いているのは、74年のシェフィールドでのライブであるが、「リコシェ」より多少以前のステージだから、様相が違っているのは当然だとしても、かなり「リコシェ」とは異なるパフォーマンスになっている。楽曲はノンストップで45分ほど続くものだが、まず驚くのは当時のタンジェリンの「売り」であったはずの人力+シーケンサーで醸し出されるエレクトリックなリズムが後半に多少出てくるくらいで、全体としてはあまり目立たないことだ。
 音楽はホワイト・ノイズ風なSEから始まり、最初の30分間はほぼ辺境の惑星の幻想的な風景を綴ったようなスペイシーの音楽に終始しており、例のリズムが出てくるのは、30分も過ぎたあたりである(それもかなり地味)。なので、音楽の様相はむしろオール時代の「ツァイト」や「アテム」のスタティックなイメージに近く、「ルビコン」、なかんずく「リコシェ」とはかなり違った印象を受けるのも確かである。

 当時、彼らのステージはオール即興といわれていたが、このパフォーマンスから分かることは、少なくとも当時の彼らは、ライブでは本当にいろいろなことをやって、これはその中でもかなりスタティックで、昔のスタイルでやってものたまたま捉えたものだろうということだ。私は「リコシェ」というアルバムは、ほぼリアルタイムで聴いたクチだが、こんな凄まじい演奏を全て即興でやってのける、彼らのパフォーマンスに驚愕したものだったが、今から思えば、あれは当時の最高のパフォーマンスのみを凝縮した、いわば「グレイテスト・ヒッツ・ライブ」だった訳である。
 という訳で、あれから長い年月を経て公開された、このルーズでだらだらしたライブを聴くと、当時、個々のステージで展開された彼らライブ・パフォーマンスと「リコシェ」は、明らかに別物であったことがよく分かる。いや、ルーズでだらだらしているからこそ、このアルバムは当時の本当のタンジェリンのライブが堪能できで、ひととき幸せな気分になれるのではあるが....。

2010年3月17日 (水)

FOCUS / Focus 7 - 9

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FOCUS_7 - New Skin (2006)
 「フォーカス9/ニュー・スキン」には珍しく、「FOCUS_7」と「FOCUS_9」というナンバリング・シリーズが2曲収録されている。前述の通り、再結成フォーカスのアルバム「フォーカス8」には、そのタイトルと整合性がとるかのように「FOCUS_8」が収録されていたので、結果的に7番が完全な欠番になってしまうことから、アルバム「フォーカス9」に「FOCUS_9」と共にこの「FOCUS_7」も収録されたのだろう。
 曲の方は、なにやら「FOCUS_3」を思わせるマイナー調に始まり、ギターを大きくフィーチャーしつつ進んでいく、ナンバリング作品では久々の短調といったところだが、どちらかといえば、かつての「ストラスブルグの聖堂」とか「ブラザー」といったバロック路線に近い作品のような気がしないでもない。あと、全くの推測だが、この番号からすると、本作品はタイスとヤン・アッカーマンの組み、事実上のフォーカス再結成プロジェクトとなったアルバム「青き旅路」のための作品だった....という可能性もある。

FOCUS_8 - Focus 8 (2003)
 こちらは「Focus_4」を思わせる、大海原を行くような広がりと、なだらかなリズムでゆったりと進んでいく作品。ヨーロッパ風な明るさとエレガントな雰囲気はナンバリング・シリーズならでは仕上がりで、バンドはもちろんそうだが、約30年ぶりにナンバリング・シリーズも復活したという訳である。本作を初めて聴いた時、かつてのムードの再現にぶりに、「おぉ、タイスはまだこの路線を忘れてなかったんだね」と思わずニヤついてしまったものだ。アレンジ的にはもう一山欲しいところがないでもないが、まずはフォーカス復活の印象を焼き付けた1曲ではあった。
 テーマはピアノとユニゾンで決めているのは、残念ながらアッカーマンではなく、ヤン・デュメーという人だった訳だが、この人はややスリムなものの、なかなか官能的なフレーズの使い方はうまく、フォーカスらしい雰囲気を出しているのは感心した(ライブではパット・メセニーの影響も伺わせたりもしたが....)。

FOCUS_9 - New Skin (2006)
 ナンバリング・シリーズとしては一番最後の作品となる。こちらはシリーズ最初の「FOCUS」を思わせるリズム・パターンにのってテーマが演奏されるが、途中アコスティック・ピアノとアコスティク・ギターのユニゾンでもって、室内楽風に進んでいく部分がかなり長く展開されていて、その途中でフルートが絡むあたりがミソだろう(もう少しフィチャーしても良かったとも思うが)、結果的に演奏時間は8分近くなり、シリーズの中では「Focus」に次ぐ長尺作品となっているのが特徴だ。
 ただ、まぁ、これだけ演奏時間をかけた割には、やや盛り上がりに欠けるというか、全体にかなり地味というか、かつての覇気が後退してしまったような気がしないでもない。まぁ、タイスも60歳を超えて、相応に枯れてきたというところはあるだろうし、ある種このシリーズに対するこだわりのようなものが、タイスの中で溶解してしまっているということも考えられるが....。

2010年3月16日 (火)

FOCUS / Focus 4 - 6

F1974


Focus_5 -Ship of Memories (1977)
 「ハンバーガー・コンチェルト」に先立つ、1973年のレコーディング・セッション(デモのようなものだったと思われる)で収録された作品。従って、順序からいえば「Focus_4」となるのは、当然この作品のはずだったのだが、結局「ハンバーガー・コンチェルト」にこの「Focus_4」が収録されなかったため、同曲は数年を経て、フォーカスの落ち穂拾い的アルバム「美の魔術」で、「Focus_5」として公開されることになる。
 本編は従来のドラマチックなクラシカル路線から、ほんのりとボサノバの香りがするジャジーな音楽へと趣を変え(アッカーマンがウェス・モンゴメリー風のキダーを弾いているのにニヤリ)、むせかえるようなロマンティシズムを醸し出している。当時いかなる理由があったのかは知らないが、これがお蔵入りになったのは到底納得できない、シリーズ屈指の名曲といえる。なお、私は未聴だが、同曲のオーケストラ・ヴァージョンは1977年の「Introspection 3」に収録されている模様である。

Focus_4 -Mother Focus (1975)
 フォーカスがフュージョン的なスムースさとコンパクトなポップを身に纏い、イメージ・チェンジしたサウンドで賛否両論(否の方が多かったが)を生んだ「マザー・フォーカス」に収録された作品。前述の通り、これは本来なら「Focus_5」となるべき作品だったのだが、先行した作られた「Focus_4(5)」がお蔵入りになったので、こちらは繰り上がって「Focus_4」となった訳である。
 「マザー・フォーカス」は、レイドバックしたような「緩さ」をバンド自身がコンセプトとして意図的に狙ったアルバムだったので、この「Focus_4」にもそれが反映した仕上がりだ。フルートとピアノによるイントロから、エレガントなテーマをギターを交えてゆったりと演奏していくが、その様は船が大海原をゆったりと曳航していくような趣きがある。このテーマが繰り返されると、味付け程度にリズム・チェンジする場面が盛り込まれているが、基本的な曲調はほとんど変化しないのは、まさにこのアルバムのコンセプトを敷衍したからだろう。

Focus_6 -THIJS van LEER / Reflections (1981)
 先日も書いたとおり、この曲は目下のところフォーカスによるバンド・ヴァージョンが存在しておらず、あるのはタイスによるオーケストラ・ヴァージョンだけになっている。曲の方は、「Focus_4」と共通するややトロピカルなおおらかなムード、「Focus」を思わせる優美な明るさ、「Focus 2」に似た旋律があり、さながらフォーカス・ナンバリング・シリーズの総決算というか、良いとこ取りみたいな趣がないでもないでもない。
 ちなみに再結成フォーカス最初のアルバム「フォーカス8」には「Fretless Love」という曲が収録されているのだが、この曲のテーマが「Focus_6」と酷似していると思えるのは私だけだろうか。中間部の展開は全く違った様相を呈しているが、ひょっとすると、タイス(もしくはメンバーが)は「Fretless Love」を「Focus_6」のイメージを無意識に踏襲して作ったのかもしれない。かの曲は確かにナンバリングこそされていなかったものの、その仕上がりは明らかにこのシリーズに入れてもおかしくないものであった。

● 愚にもつかぬ つぶやき